第十八話 三食昼寝付き、おやつも付きます。
「あ、これ美味しい」
柔らかく煮込まれた肉を口に運び、アミティーは思わず頬を緩めた。
目の前のテーブルには、所狭しと料理が並んでいる。
どれも食べやすい一口サイズで、味付けもやさしい。
「アミティー様、今日はこのお皿を平らげましょうね」
「え……。さすがに無理かも」
過労続きだったアミティーは、もともと食が細い。
ここへ来てからは一日三食に加え、二回のおやつの時間まで設けられているが、毎回、完食するのに苦労していた。
食べたい。
けれど、胃がまだ追いつかない。
「だいぶ頬にも肉が戻ってきましたから。頑張りましょう。食べないと、体力も戻りませんよ」
ミケは穏やかながら、譲らない口調だった。
「大丈夫! 私には、龍の聖水があるから!」
「あれは、そんなに頻繁に飲むものではありません」
「ええ~」
「ほら、食後に一杯ご用意しますから。頑張って食べましょう」
「はーい」
アミティーは食後の一杯を楽しみに、一口ずつ皿を空にしていった。
――結果。
「ぐ、ぐるしぃ……」
お腹を押さえ、そのままベッドに倒れ込む。
「よく頑張りました」
ミケはそう言って、食後の片付けを始めた。
ミケはアミティーの服を楽なものに整え、横になった身体にブランケットを掛けた。
「少し休みましょう。寝る子は育つと言いますし」
「……もう子供じゃないんだけど」
頬を膨らませるアミティーに、ミケは苦笑しながらランタンの明かりを落とした。
「さあさあ」
促されるまま目を閉じたアミティーは、ほどなくして、規則正しい寝息を立て始めた。
ミケは、外からの明るさを和らげるため、静かにカーテンを引いた。
この様子では明日の朝まで、起きないだろう。
枕元に水差しを用意していると、控えめなノック音が響いた。
扉を開けると、教皇が立っており、その背後にリューシャとセフィルが立っていた。
ミケは驚きのあまり息を止めた。
「ミティーは?」
背後のリューシャが、教皇より先にミケに問いかけた。
とんでもない美形を前に、ミケは思わず見入ってしまう。
「アミティー様はいらっしゃいますか?」
教皇が、額の汗を拭いながら尋ねた。
「……先ほど、お休みになりました」
「……そうか」
そう答えると、リューシャは当然のように部屋へ入ってきた。
「え、あの、ちょっと……」
ミケが慌てて呼び止めようとするも、教皇にやんわりと制されて口を噤んだ。
教皇の態度を見て、目の前の青年が教皇よりも上の立場なのだと悟ったミケは、何も言わずに下がった。
リューシャは、眠るアミティーの顔を覗き込んだ。
ぷうぷうと小さく鼻を鳴らし、気持ちよさそうに眠る口元から、わずかによだれが垂れている。
「可愛いね」
リューシャの言葉を聞いたミケは、驚愕の表情をしたのち、そっと視線を逸らした。
彼が正気なのかどうかを問いただす勇気は、さすがになかったが、眠るアミティーに向けられるその眼差しは、あまりにも柔らかかった。
リューシャの眉が僅かに寄ると、アミティーの額にそっと手を添えた。
「ああ、可哀想に。……やはり魂が、痛んでいる」
リューシャがそう言って指先を数回擦ると、小さな赤い実が現れた。
それを軽く潰し、そっとアミティーの口元へ運ぶ。
「さあ、呑み込んで」
リューシャが囁くと、アミティーは無意識に口を開けてそれを嚥下した。
その瞬間、アミティーの身体が淡く内側から光る。
「!?」
ミケが驚いて目を見開いた。
「そ、それは……一体……?」
「龍の実ですね」
思わず尋ねたミケに、背後で控えていたセフィルが答えた。
「龍の実って……もしかして龍の聖水の原料の……」
「よく知っていますね」
独り言のように呟いたミケの言葉に、セフィルが彼女の横に立ちながら答えた。
「はい。お嬢様が最近気に入っておりまして」
セフィルの説明を聞きながら、リューシャは部屋をぐるりと見渡した。
やがて棚に置かれた龍の聖水へ歩み寄る。
「これを飲んでいるの?」
ミケに尋ねると、彼女はこくこくと頷いた。
「う~ん。これ、あまり良いものじゃないね。今のミティーには濃度が低すぎる」
リューシャは瓶を戻して振り返る。
「教皇」
「はっ。すぐに取り寄せ致します」
教皇は深く一礼すると、足早に部屋を出て行った。
神龍教の頂点に立つ教皇を顎で使うこの男は、一体何者なのか……。
ミケはリューシャをじっと観察した。
「今日中には、もっといい龍の聖水を取り寄せるから、最低一日二回以上、ミティーに飲ませてあげて」
「あ、はい」
突然言われて、ミケは慌てて頷いた。
「人族には酒精が強すぎるけれど、ミティーにとっては癒しの雫だからね」
「え……」
リューシャは再びベッドで眠るアミティーのもとへ歩み寄り、額にそっと触れた。
「ゆっくりお休み」
アミティーを見つめるその眼差しは、あまりにも優しかった。
ミケは、はっきりと悟った。
これはもう、疑いようもない。
アミティーの人生に、春が訪れている。
しかも、教皇よりも上の立場の殿方。
これ以上、分かりやすい答えがあるだろうか。
ミケは、静かに息を整えた。
あとは、アミティー自身が気づくだけだ。
お嬢様! 特大の玉の輿ですよ!
カーサーかカスかは知らないが、クソ王子なんかよりも優良物件です!
ミケは、誰にも気づかれていないつもりで、小さく拳を振った。
その横を、リューシャたちは静かに部屋を出て行った。
――この人が、これからもアミティーのそばにいてくださるのなら。
未来は、きっと大丈夫だろう。
ミケはほっと息を吐いた。
喉の渇きで目を覚ましたアミティーは、カーテンの隙間からわずかに光が差し込んでいることに気づいた。
枕元に手を伸ばし、水差しを見つけて喉を潤した。
ほのかな柑橘の香りが、身体の内側へ、ゆっくり染み渡っていく。
時計を見ると、六時を少し回ったところだった。
「……朝? それとも、夕方?」
時間の感覚が掴めず、ぼんやりと天井を眺めていると、書類の束が視界の端に映った。
手を伸ばして取ると、それは、アカデミーから出された夏季休暇の課題と、ここへ来る前、移動中にやるよう命じられていた雑務の一部だった。
「……もう、やらなくていいんだよね」
信じられない気持ちで、ぱらぱらとページをめくった。
以前は、どんなに眠くても自然と頭に入ってきた内容が、今はまったく入ってこない。
文字を追っているはずなのに、目だけが滑っていく。
アミティーは小さく息を吐き、ぱたりと書類を閉じた。
サイドテーブルへ置き、力なく肩を落とした。
水をもう一口飲み、再びベッドに横になる。
目を閉じると、意識はすぐに深い眠りへと沈んでいった。
どれほど経ったのか。
頭の奥だけが微かに覚醒すると、ベッドのそばに人の気配があった。
足音が近づき、紙束がばさばさと落ちる音がしたかと思うと、暖炉から薪のはぜる音が、ぱちぱちと小さく響いた。
――誰か、いる? ミケ?
確かめようとしたが、瞼が重く、どうしても開かない。
わずかな不安が胸をよぎった、そのとき。
ふいに、やさしい風が頬に触れた。
チリーン。
チリーン。
心地よい音色。
「大丈夫だよ。安心して。私がいるから」
耳元で囁かれる、低く穏やかな声。
「少し、熱があるね」
額に張り付いた前髪を、ひんやりとした指先ですくわれる。
それだけで、胸の奥がほどけていく。
今まで感じたことのない、深い安心が、身体を満たしていった。
その指先が、心地よくて。
アミティーは無意識に、その手を握り返し、頬を摺り寄せた。
その瞬間、目を閉じていても分かるほど、室内がふわりと明るくなった。
それがどこか心地よくて、アミティーはうっすらと口元に笑みを浮かべた。
そしてそのまま、温かな感覚に包まれながら、再び、深い闇の底へと沈んでいった。




