第十七話 エルディア王国、さようならの始まり
リューシャとアミティーを見送った教皇は、すぐに教会上層部たちを招集した。
会議室に集う彼らの表情は、一様に暗かった。
すでに、事実関係の確認は終わっている。
エルディア王国は、神青保持者への保護義務を、長年にわたって怠っていた。
いや、正確にはエルディア王国内の教会が王族と深く癒着していたため、王族側に都合の悪い情報を敢えて制限していたのだ。
「……決まりだな」
低く、鋭い声が、執務室に響く。
「エルディア王国から神龍教は撤退する! 現地神官は全員拘束し、異端審問にかけろ。情状酌量の余地はない」
教皇は、紙束を机の上に放り投げた。
「……親も、随分と羽振りがよさそうだ」
本来アミティーのものであった補助金を使い、領地は再建されていた。
もはや貧乏子爵家ではない。
むしろ豪遊している始末だ。
兄については、王城での縁故採用。
能力に見合った評価は、一度もなされていない。
教皇は、深く息を吐いた。
そして、ふと脳裏をよぎる。
――あの時。
リューシャが、何気なく告げた言葉。
『ふうん……困った国だね』
あれは、ただの感想ではない。
恐らく、エルディア王国を覆っていた神龍の加護が、反転したのだろう。
教皇は、そんな予感を拭えなかった。
「……考えただけでも、恐ろしい」
報告は、それだけでは終わらない。
エルディア王国から、今回参加していた者たちは、ここ数日、公務を放棄し、下町で公費を使って遊び歩いているらしい。
その間の実務は、すべてアミティーに押し付けられていた。
彼らは、最終日の晩餐会だけ顔を出すつもりだったらしい。
「……愚かだな」
神を欺き、神の色を虐げ、神の教えを利用した。
その報いを、受けるときが来ただけのこと。
教皇は、静かに目を閉じた。
エルディア王国の終わりは、すでに始まっている。
まだ誰一人、そのことに気づいてはいなかった。
先ほどまで遠くで鳴っていた雷が、すぐそばまで来ている。
王都から少し離れた避暑地で、涼を楽しんでいたカーサーやシルビアは、突然降り出した雨に、急いで屋敷まで戻った。
窓の外は、わずか先ですら煙るような豪雨。
空からは、いくつもの稲妻が地上へと落ち、数秒遅れて、地響きのような雷鳴が鳴り響いた。
ピカッ。
昼だというのに薄暗い室内を、眩い稲光が切り裂く。
「きゃっ!」
シルビアが驚いて、側にいたカーサーの腕に縋りついた。
「大丈夫だよ、シルビア」
カーサーは彼女の背中を優しく擦った。
「この時期に珍しいな」
窓の外を眺めていたケインが呟く。
この地は夏でも涼しく、雨も滅多に降らない。
王家は毎年、避暑地として利用していた。
もちろんアミティーは招かれたことはない。
「明日は晴れるかしら。海にいってみたいわ」
「危なくないか?」
カーサーは言う。
「浅瀬なら遊べるはずよ。それに護衛も多く連れていくわ」
「まあ、それなら」
カーサーはしぶしぶ頷いた。
海は神龍の加護が薄く、魔物も多い。
漁師たちも沖へは滅多に出なかった。
「ああ! せっかくの休みが」
ケインはぶつぶつと文句を言い、窓の外を眺めながら紅茶を飲み干した。
「殿下。王都よりお手紙が届いております」
執事が、銀のトレイを持ってカーサーに近づいてきた。
国王である父からの手紙だった。
読み終えたカーサーは、おもむろに立ち上がった。
「用が出来た。部屋に戻る」
「あら? 急用かしら」
シルビアが尋ねると、カーサーはハッと我に返った。
「ああ、シルビア。ディナーのときにまた」
カーサーはシルビアに近づくと、彼女の頬に指を滑らせて軽く口付けを贈った。
シルビアは、ほぅっと頬を染める。
その様子に、ケインは口笛を吹く。
カーサーは笑みを浮かべたまま、手の中の手紙をぐしゃりと握り潰した。
自室に戻ったカーサーは、再び手紙を広げる。
元老院で、側妃制度が却下されたというものだった。
過去の激しい継承権争いが後を引いており、正式に立太子すらしていないカーサーに、現状側妃は必要ないとの理由だった。
カーサーは、奥歯を噛み締めながら机を叩いた。
「このままでは、アミティーを娶れない!」
それでもカーサーは諦めきれなかった。
「妾にするか……」
婚約者はすでにシルビアで決まっており、アカデミー卒業とともに婚姻することになっている。
国王の決定は覆せない。
下賜するなどもっての他で、自分が囲って独占したい。
だがきっと、それではシルビアが許さないだろう。
「ああ、クソっ」
都合の悪い現実も、元老院も、婚約も――すべてが、ひどく面倒なことに思えた。
「……子を宿せばいいか」
カーサーはぽつりと呟いた。
その瞬間。
稲光が走り、室内が真昼のように照らし出された。
鏡に映ったカーサーの顔は、歪んだ笑みを浮かべていた。
「……なんだ、簡単なことだ」
喉の奥で、小さく笑いが漏れた。
愛している。
だから囲う。
守るために——捕らえて縛る。
きっとアミティーも、それを望んでいるはずだ。
制度が通らないのなら、通す理由を作ればいい。
「誰にも文句は言わせない」
雷鳴が轟く。
「アミティー。待っていて」
そう呟いた瞬間、稲光は、これまでで一番激しく空を裂いた。
その夜。
カーサーは何事もなかったかのようにシルビアを部屋へ招き入れた。
甘い言葉を囁き、頬に口づけると、シルビアは幸せそうに微笑んだ。
だがカーサーの頭に浮かんでいたのは、終始アミティーのことだけだった。
どこまでも静かな夜。
雷鳴はおろか、虫の声さえも聞こえない。
闇は果てしなく深く、ランタンの火だけが、細く揺れていた。




