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第十五話 神龍様、顕現する

 ひとつ、神青を持つ者は神龍の加護を受けし者である。

 ひとつ、神青を持つ者は手厚く保護せよ。

 ひとつ、神青を権力や財で縛ることを禁ず。

 ひとつ、神青を虐げし者には神龍の裁きが下る。



「……これ、本当のこと?」


 アミティーは、教皇から受け取った本を、ベッドに寝転びながら斜め読みしていた。


 どの頁にも、神青を持つ者の重要性が記されている。

 繰り返し、繰り返し――

 まるで戒律のように。


「各国の王族と神龍教の高位神官へ配られる神聖な御書だそうです」

 ミケが静かに答える。


「じゃあ……うちの国には、渡されてなかったとか?」

「いえ。各国へ配られております」

「ああ……書庫の隅で埃かぶってそう」


 もし内容を理解していたのなら、今回、自分が参加者に選ばれるはずなどなかった。

 自分の境遇を少しでも話せば、大騒ぎになることくらい、誰にでも分かったはずだ。



 アミティーは、ふと、自分の髪を指で摘んだ。


 今は、茶色に染められた髪。

 けれど、生まれたときは灰青色だった。


 物心ついた頃から奇異の目で見られ、気味悪がられ、疎まれてきた色だ。

 今になって尊いと言われても、正直なところ実感は湧かない。


「……青って、すごかったんだね。知らなかった……」

 アミティーはベッドにごろんと寝転がった。 


「でも、これで亡命は成功したのね。ミケ、例の物、出して」

「は? またですか?」

「いいじゃない。祝杯よ!」


 ミケは小さくため息をつくと、小さなグラスに龍の聖水を注ぎ、アミティーの前へそっと置いた。



「ありがと! かんぱーい。いえーい!」

 アミティーはグラスを掲げ、ぐいっと飲み干す。


「くぅ~!」

「……おっさんですか」

 ミケは、冷ややかに突っ込んだ。


 どこか呑気な二人とは裏腹に――

 この出来事が、すでに国どころか世界を巻き込む大きな歯車を動かしていることを、アミティーは、まだ知る由もなかった。







 エルディア王国の教会で、アミティーの前に顕現して以来、リューシャは総本山の遥か上空にある神域から一歩も動かなかった。

 彼女が来ると信じ、ただ待ち続けていた。


 そしてついに、教皇からの書状が届く。

 セフィルはすぐにリオを呼び、総本山へ神託を伝えさせた。


「神龍リューシャ様が顕現されます」


 その神託は、総本山に集う者たちの言葉を失わせるには十分だった。

 静寂ののち、抑えきれない騒めきが総本山を揺らした。


 ――長き沈黙を破り、神龍が動き出す。




 神託が総本山中へ伝えられる頃。

 リューシャはすぐに下界へと飛び立った。

 セフィルも慌てて後を追った。


 瑠璃色の髪をなびかせ、衣をはためかせながら、総本山へ向けて一気に降下していく。


 鳥たちは驚いたように左右へ散り、彼の軌跡には彗星の尾のような光の粒子がたなびいた。


 ふわりと降り立ったのは、ひと際大きな大樹の根元だった。

 彼が足をつけた場所には、たちまち新芽が芽吹き、大地を淡く染めていく。


 リューシャは落ち着かない様子で辺りを見回した。

 少し遅れてセフィルも着地する。


 やがて遠方から神官たちが駆け寄り、少し離れた場所で一斉に足を止める。

 その中央から教皇が静かに歩み出た。



「ようこそ、人界へ。顕現痛み入ります」

 深々と頭を垂れる教皇に続き、神官たちも一斉に頭を下げた。





 一方その頃、荘厳な鐘の音に包まれ、アミティーは目を開けた。

 白い石造りの天井が目に入る。


「……あ、神龍教の総本山に来てたんだ」


 昨夜、眠る前に飲んだ龍の聖水のおかげか、目覚めは驚くほどすっきりしていた。

 頭の奥に残っていた重さもなく、身体の芯まで軽い。


「後でまた飲もうっと」


 小さく鼻歌を口ずさみながら、アミティーはベッドを降りた。

 簡素なワンピースに着替えると、ミケを起こすこともなく、一人で総本山の散策へ出掛けた。


 大聖堂の前には、早朝にもかかわらず、祈りを捧げる人々の姿があった。

 その流れに紛れて中へ入ると、アミティーは静かに祈りの間へと進んだ。


 昨日よりも、空気が澄んでいる。

 張りつめた静寂と荘厳さが、胸の奥までしんと染み渡った。


「一人で、ゆっくりお祈りしたいんですけど……」


 近くにいた神官に声を掛けると、彼は一瞬息を呑み、すぐに深く一礼した。

 だがすぐに我に返ったように頷くと、何も言わず奥の部屋へと案内してくれた。


「ありがとうございます」


 軽く頭を下げ、祈りの間へ足を踏み入れた。

 想像以上に広い空間。

 重厚なソファが並び、正面には瑠璃色の布を纏った神像が静かに鎮座している。


「個室っぽいけど、……なんか、すごい部屋」

 思わず声を潜め、アミティーは神像の前に跪いた。


 そっと両手を組み、目を閉じた。

 何を願うべきなのか、すぐには思い浮かばない。

 ただ、ここまで辿り着いたことだけは確かだった。


「えっと、無事にここまで辿り着けました。あと、龍の聖水がたくさん飲めますように」


 小声で願い事を告げたそのときだった。

 頬を撫でるような、やわらかな風が静かに吹き抜ける。



 チリーン、チリーン。



「?」

 どこか懐かしい音が聞こえた気がしたアミティーは、ゆっくりと目を開いた。

 すると、神像の前には、いつの間にか一人の男が立っていた。


 エルディア王国で祈りを捧げたとき、白昼夢のように現れた男だ。


「あ……」


 戸惑うアミティーのもとへ、リューシャが瑠璃色の長い髪を揺らしながら歩み寄り、目線を合わせるように静かに跪いた。

 彼が浮かべるその笑みに、世界が少し明るくなったような気がした。



「こんにちは」

 低く、よく通る声だった。

 穏やかな微笑みとともに差し出された手を、アミティーは反射的に取り、立ち上がった。


「あ、こんにちは」


 見下ろしてくるその顔は、今まで見たどんな人よりも美しい。

 瑠璃色の髪と、金色の瞳。

 アミティーはぼうっと見惚れた。


 ゆっくり細められたその瞳に、なぜかアミティーの胸の奥が、くすぐったくなる。

 少し離れた場所では、銀髪の男が何とも言えない表情で二人を見ていた。



「あ、えっと……。もし、このお部屋を使われるのでしたら、私……」


 そそくさと立ち去ろうとした、そのときだった。

 リューシャは優しくアミティーの手を取り、その指先で決して逃がさぬよう包み込んだ。


「私の名は、リューシャ。あなたは?」

 彼は笑顔のまま、じっとアミティーを見つめていた。



 その瞳には、まったく蔑む色が見えなかった。

 こんなにも近くで、笑顔のまま目を合わせてくれた人は初めてだ。


「え……あ、アミティー、です」

「そう。アミティー」

 リューシャは名を確かめるように繰り返し、ふっと笑みを深めた。


「ふふ。可愛いね」

「……え?」


 思わず、目を見開く。

「可愛い」と言われたのは――生まれて初めてだった。

 頬が、じわりと熱を帯びた。


「ふふ。可愛い」

 重ねて告げられ、アミティーは思わず俯いた。


「……でも」

 リューシャは、ふと首を傾げる。


「綺麗な色を、どうして染めているの?」

 彼の視線が、アミティーの髪へと向けられた。


「髪ですか? それは……命じられて」

「そっか」



 リューシャは小さく頷くと、軽く指を鳴らした。

 ぱちん、と澄んだ音が響いた瞬間。

 アミティーの髪は、懐かしい灰青色へと戻っていた。

 磨かれたガラスに映る自分の色に気づき、息を呑む。

 慌てて髪を手に取って確認した。



「あの、困ります。国の人に、何て言われるか……」

「うん? でも亡命するんでしょう?」

 当然のように言われ、言葉に詰まる。


「もう会うことのない人たちでしょう?」

「……それは」

 一拍置いて、アミティーは頷いた。


「……たしかに」

 アミティーは、わりと素直だった。


「……髪、触ってもいい?」

「えっ!? あ……はい」


 なぜか、拒む気にはならなかった。

 胸の奥が、不思議なほど穏やかになった。

 初めて会ったはずなのに――どこか、懐かしい。


「こっちに座って」


 促されるままソファに腰を下ろすと、隣に座ったリューシャが、指先でそっとアミティーの髪をすくった。

 彼の伏せた瞳を縁取る長いまつ毛が、静かに揺れた。

 アミティーの灰青色の髪が、ゆるやかに編まれていく。

 動きは丁寧で、静かだった。


「可愛いね」

 まただ。

 どうやら、これは彼の口癖らしい。


 不意に、リューシャがアミティーの額に触れた。

 眩い光と共に額に熱が帯び、小さな紋が浮かび上がる。

 アミティーは驚いて額に手を当てた。



「うん。これで、もう迷子にならないね」

「迷子……?」


 どうにも会話が噛み合わない。

 アミティーは思わず、背後に立つ銀髪の男へと視線で助けを求めた。


「あ、彼はね。私の従者で、セフィルっていうんだ」

「は、はあ……セフィル、様」

「呼び捨てで結構です。アミティー様。よろしくお願いいたします」

 セフィルは恭しく一礼した。


 しかしアミティーが知りたかったのは、彼の名ではない。

 問いを飲み込んだまま、相手の流れに抗えず、彼女はとりあえず頷くしかなかった。



 その一方で、セフィルは頭を下げたまま、額にじわりと汗が滲むのを感じていた。

 あの額の紋の理由を、主が説明するつもりはないらしい。



「私のことは、リュー、う~ん、ルーって呼んで」

「ルー……?」

「そう。ルーだよ。よろしくね、ミティー」

「え……」

「いや?」


 首を傾げるその仕草が、あまりにも自然で。

 拒むという選択肢が、最初から存在しないかのように思えた。


「い、いえ……愛称呼びは、生まれて初めてで……驚いただけです」

「そっか~。うれしい」

 満面の笑みのまま、ぐっと距離を詰めてくるリューシャ。


 覗き込まれた彼の瞳を見ていると、胸の奥が不思議と懐かしさで満たされた。


 だが、すぐに我に返ったアミティーは、顔を真っ赤にして俯く。

 そんな彼女の頭を、リューシャは軽くぽんぽんと叩いた。



「可愛い」

 ——また言われた。


 胸がどきどきして、頭の中は真っ白だった。

 この状況で、まともな判断などできるはずがない。

 実に、ちょろいアミティーである。



 背後で黙って立っていたセフィルは、もはや言葉を挟むこともできず、ただ二人を見守るしかなかった。


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