第十一話 いざ亡命へ
夏季休暇目前、アカデミー最終日。
成績表が張り出された掲示板の前で、アミティーは足を止めた。
――全教科一位。
アミティーは自分の順位を見て、思わず笑みが零れる。
カーサー六位、ライル十一位、ケイン四十六位。
「すごいですわ、アミティー様。私も励まなければ」
隣に立つシルビアが、そう言って微笑んだ。
「ありがとうございます。努力を、と殿下から日頃より言われておりますので」
嘘である。
総本山へ行ける解放感が、そのまま結果に表れただけだ。
アミティーは、仕事でも勉強でも、わかりやすく結果が目に見えるものが好きだった。
いままでは、疲れのせいで、まともに結果が出せずにいた。
今なら、鼻歌のひとつも口ずさめそうだ。
――そこへ。
「この程度で得意げとは、下品ではないか!」
吐き捨てるような声が響き、周囲の空気が一瞬で冷えた。
……はい、出ました。
四十六位のケイン殿。
今のアミティーは過去の自分とは違う。
心に余裕があるのだ。
「ごきげんよう、殿下」
アミティーとシルビアは、後ろに立つカーサーに頭を下げた。
「機嫌が良いわけがないだろう。アミティー・フォール。さきほどの、あなたの下品な振る舞いを見て、殿下は大層呆れておられる」
ライルが、当然とばかりにカーサーの気持ちを代弁する。
大司教の嫡男で、十一位のライル君。
なぜ、お前が代弁する。
アミティーの心の余裕が、一瞬で消し飛んだ。
「婚約者候補などともてはやされ、調子に乗っているのではないだろうな!」
「たかが試験で一位を取ったからといって、慎みが足りないのではないか」
ケインとライルが同時に罵る。
アミティーは、ゆっくりと息を吐いた。
怒りが、すっと一点に集まる感覚がする。
「……そのようにおっしゃいますが」
声は、思った以上に落ち着いていた。
「全教科満点の私に、これ以上、何をお求めなのでしょうか?」
アミティーは言い切った。
少しだけ鼻の穴が膨らんでいるのは気のせいだ。
一瞬、空気が止まる。
反論されると思わなかったケインとライルは、言葉を失った。
「う、うるさい! 取り組む姿勢が大事なのだ!」
「そのような反抗的な態度で、許されると思っているのか! 身の程を知れ!」
我に返った二人は、アミティーに向かって声を荒げる。
「……態度、ですか? 具体的には、どのような点でしょうか」
アミティーは小さく首を傾げた。
「そういう態度が生意気だと言っている!」
「日々の生活態度だ。もっと努力しろということだ!」
気づけば、周囲には人だかりができていた。
いつも謝るだけだったアミティーが言い返したことで、二人は周囲の視線も忘れ、口汚く怒鳴り始める。
アミティーはぎりりと奥歯を噛んだ。
彼らは理屈ではない。
ただ、アミティーという存在が気に入らないだけだ。
これを言えば、もう後戻りはできない。
それでも構わなかった。
彼らと顔を合わせるのも、きっと今日が最後だ。
だったら全部言ってやる。積年の恨みごと、けちょんけちょんに言い負かしてやる!
今のアミティーには、周囲の人だかりなどどうでもよかった。
彼女の中で、完全にスイッチが入っていた。
一方カーサーは、周囲のざわめきに、さすがにまずいと思ったのか口を開きかける。
しかし、その声を遮るように、アミティーが腹の底から声を張り上げた。
「毎朝、五時に起きて登城し!」
その声が、周囲に響き渡る。
カーサーが慌てて何か言おうとするも、アミティーは止まらない。
「九時まで雑務を行い、その足でアカデミーへ通い、下校後は生徒会の雑務を手伝い、その後、また登城し!」
淡々と事実だけを並べていく。
「全てを終えて自室に戻るのは、深夜です! それを三年以上、続けてきました!」
拳を握る。
悔しいからではない。
今のアミティーは、大声を出すことが気持ちよすぎて、高揚感でいっぱいだった。
「これ以上、どう努力すればいいのか、教えていただけますか?!」
校舎中が静まり返る。
しばらくの沈黙の後、ケインの顔が歪んだ。
「生意気な! だから、お前は側妃で十分だと言っているんだ!」
ケインが怒鳴った。
ライルの顔色が変わった。
カーサーも息を呑む。
その先で、シルビアだけが静かに目を伏せていた。
「……側妃って?」
「なに、それ……?」
「初めて聞いた」
周囲がざわめき始める。
「ありがたく側妃にしてやると、カーサー殿下がおっしゃっているんだ! もっと従順にしたらどうなのだぁ!」
ケインの怒号が校舎中へ響き渡る。
この国は、過去側妃が起こした痛ましい事件のせいで、現国王と元老院が厳格に側妃制度を禁止している。
カーサーの顔から血の気が引いた。
アミティーは一度、呼吸を整え、敢えてケインの目を見て尋ねた。
「では、お聞きします」
アミティーの声は、驚くほど冷静だった。
「努力とは、睡眠や食事を削ることを指すのでしょうか? 睡眠と食事がなければ、人は死にます。それは拷問と同じです。身体がもちません」
「お前の能力が足りていないだけだ!」
吐き捨てるように、ケインは言った。
「それに、側妃制度は、すでに国で禁止されています!」
「関係ない! いずれお前は、我々に下賜されるんだからな!」
有り得ない言葉に、誰もが耳を疑った。
「お、おい……やめろっ」
血の気を失ったライルが、慌ててケインの腕を掴む。
カーサーでさえ、言葉を失っていた。
「……下賜、ですか」
アミティーは、怪訝そうに尋ねた。
「だからそうだと言っている!」
止めるライルを振り切って、ケインは再びアミティーに怒鳴る。
——ああ。
そういうことか。
彼らにとってアミティーは、人ではない。
好きに扱える、自分たちの所有物だった。
それは、あまりにも明確な侮辱だった。
アミティーは、カーサーに視線を向ける。
「殿下。私は、婚約者候補を辞退いたします」
声は、思っていたよりも静かだった。
カーサーは、目を見開いた。
「き、君の一存で、決められる話ではない」
「大丈夫です。私一人ではありませんから」
アミティーは周囲を見回し、紙束を取り出した。
この日のために、ミケと用意した書類だ。
「皆さま。ここに『婚約者候補辞退の嘆願書』があります」
アミティーは紙束を高く掲げた。
「アミティー嬢、何を……!」
ライルが顔色を変え、制止しようとする。
「どうか、署名をお願いします!」
その言葉に、周囲の生徒たちが顔を見合わせた。
「……え? 嘆願書?」
「署名?」
「どういうこと?」
「私はこれまで、何度も言われてきました。殿下の婚約者候補を早く辞退しろ、ふさわしくないと」
アミティーはニコニコと笑いながら続ける。
「私もそう思います。ですが、私から辞退を申し出るには、あまりにも身分が……」
アミティーは、軽く目を伏せる。
だがすぐに、視線を上げて周囲をゆっくりと見回した。
「ですが、皆さまがこの紙に署名してくだされば、私は正式に辞退することができるかもしれません。どうかお力をお貸しください!」
頭を下げるアミティーに、誰もが気まずそうに口を噤み、反論も承諾もできなかった。
「明日から夏季休暇です。できるだけ早く署名を集め、国王陛下に提出します。どうかご協力をお願いします。書き損じても大丈夫です! 何枚も用意していますから!」
アミティーは、周囲の生徒に近寄ると、その手に強引に書類を握り込ませる。
アミティー自身、署名が集まらなくても別に構わなかった。
亡命前に、皆の前ではっきりと気持ちを宣言したかっただけだ。
「待つんだ」
今まで黙っていたカーサーが、ようやく声を上げた。
だがアミティーは、彼に向かって微笑んだ。
「もちろん殿下も、ご署名いただけるのですよね」
「え?」
「大丈夫です。数は力ですから。きっと辞退できるはずです」
アミティーは笑顔のまま、カーサーの手へ嘆願書を押し込んだ。
「私は……」
カーサーは初めて焦ったような表情を浮かべる。
「君を手放すつもりはない」
その言葉に、周囲がどよめく。
彼の背後で、シルビアが驚いて目を見開いた。
アミティーの口角が、ぴくりと動く。
「そんなはず、ないです。私が責められているとき、殿下は何も、否定してくださいませんでした」
「そ、それは……」
カーサーは、気まずそうに視線を逸らす。
「どうか、シルビア様とお幸せに」
深く一礼した後、アミティーは、シルビアに向かってにっこりと微笑む。
頭上でカーサーの息を呑む音が聞こえた。
「それでは、ごきげんよう。殿下」
アミティーは内心べぇっと舌を出しながら、踵を返し、校門前の馬車へと向かう。
案の定、誰も追い掛けてはこなかった。
一度だけ振り返りそうになり、やめた。
「おかえりなさいませ。お嬢様」
ミケが馬車の扉の前で、にこやかに出迎えてくれる。
向かう先は、神龍教の総本山。
車内は、亡命用の荷物でいっぱいだ。
「ただいま! ミケ」
アミティーは掛けていた眼鏡を放り投げると、意気揚々と馬車に乗り込んだ。
一方カーサーは、手の中の嘆願書を握りしめたまま、生徒会室へ戻った。
どかりと椅子へ腰を下ろす。
前髪を掻き上げても、胸のざわめきは収まらない。
「どういうことだ……アミティー」
何がそんなに不満だった。
……いや、違う。
シルビアとの婚約話を聞き、焦ったのか。
側妃では嫌だと、そう言いたかったのだろうか。
だから、あそこまで感情的になったのか。
……まったく。
「嫉妬するくらいなら、素直に言えばいいものを」
だが、手のかかるヤツほど可愛い。
カーサーは口元を緩めた。
手元の嘆願書へ視線を落とす。
「こんなものまで用意して」
カーサーは紙をびりびりと破り、そのままゴミ箱へ放り投げた。
「落ち着けば、きっと分かってくれる」
夏季休暇が終われば、すべて元に戻る。
カーサーは、そう信じて疑わなかった。




