第十話 総本山への招待状
「総本山? 嫌ですわ。わたくし、寒いところが苦手ですの」
王城の庭園で、シルビアはゆっくりとカップをソーサーに置きながら、目の前に座るカーサーに言った。
「そう、だったな」
総本山は、浮島であり標高が高いこともあって、かなり寒いと聞いている。
カーサーは考え込むように目を伏せた。
「それにその時期は、王領でのバカンスと決まっているではありませんか? 欠席でよろしいのでは?」
「ふむ、だがそうなると代役が必要だ」
「それなら、ライル様に行ってもらえば宜しいのではなくて?」
「ライルか」
「ええ」
カーサーは、ライルが以前「一度でいいから総本山へ行ってみたい」と語っていたことを思い出した。
大司教の息子である彼にとって、神龍教の総本山は憧れの地だった。
「ライル様も喜ばれるでしょう。大司教様も参加されますし、良い社会勉強になるのではないかしら」
カーサーは腕を組んだ。
この件の判断は、父である国王から一任されていた。
必ずしも参加するよう命じられているわけではない。代理を立てることも認められている。
「確かにそうだな」
カーサーは頷いた。
シルビアの父は現宰相だ。
彼女が強く推した案を、わざわざ退ける理由もないだろう。
「せっかくだから、アミティー様も連れていったらどうかしら?」
「アミティーだと?」
カーサーは怪訝そうに眉をひそめた。
「ええ。身の回りの雑務をさせるのに、丁度良いでしょう?」
「雑務なら、確かに問題はないか……」
「あの子、カーサー様の隣に立つにはまだ少し経験不足ですわ。こういう場で経験を積ませてあげなければ、きっと潰れてしまいますもの」
「……そうだろうか?」
「カーサー様ったら、女心にうといのだから。そんなことだと、嫌われてしまいますわよ」
「なに!?」
「まあまあ、冗談ですわよ。うふふ」
カーサーは気まずそうに視線を逸らすと、おもむろに席を立った。
「もう行かれるのですか?」
「陛下に報告が必要だ」
「カーサー様」
去り行くカーサーの背中を、シルビアは呼び止めた。
「なんだ?」
「素敵なバカンスにしましょうね」
シルビアはにっこり微笑んだ。
一人になったシルビアは、使用人に新しい紅茶を入れさせ、ゆっくりと香りを楽しんだ。
「総本山には、本物の青を持つ方々が集まりますもの。あの子も、自分の立場を理解できるでしょう」
シルビアは心の底からそう信じていた。
身の程を知ることも、立派な教育なのだから。
アミティーが日々こなす雑務の多くは、シルビアが父へ頼んで回させているものだった。
身分の差を覆すには、死ぬ気で努力するほかない。
それができないのなら、それまでの器というだけの話だ。
父もまた、アミティーを快く思ってはいなかった。
おかげで話は驚くほどスムーズに進んだ。
下々の者も、働けば対価を得られる。
だからアミティーにも、きちんと給金が支払われるよう父へ頼んであった。
「それで家計が助かるなら、なお宜しいのでは?」
給与も出る。
家計も助かる。
経験も積める。
あの子のためにもなる。
我ながら悪くない采配だ。
シルビアは満足げに紅茶を口へ運んだ。
その日のうちに、宰相がアミティーの元を訪れた。
「この日程で、神龍教の総本山に行ってもらう」
アミティーは、書簡を受け取りながら思わず息を呑んだ。
だが、なんとか無表情に努めた。
「……私が、ですか?」
「五年に一度、世界各国の上層部が集まる式典だ。参加予定だったカーサー殿下には外せない用事ができたのだ。ライル殿が代役となるため、お前は雑用係として同行しろ」
「ライル様の雑用、ですか」
必死に口元を引き締める。
思っていた形とは違う。
だが、総本山へ行けることに変わりはない。
「……私でお役に立てるでしょうか?」
「つべこべ言わずに行ってこい」
宰相は感情のない声で続ける。
「ああ、それと。くれぐれも余計な発言は慎め。黙って我が国の名を売ってこい」
それだけ言うと、宰相は振り返りもせず部屋を出ていった。
「いや、……おかしくない?」
思わず声が漏れる。
「黙って名を売るって……なに?」
意味がさっぱり分からない。
「……まあ、いっか!」
そんなことより、総本山だ。
ついに行ける。
それだけで十分だった。
宰相の態度など、どうでもよかった。
「……完璧じゃない、完璧!」
合法的に国を出られる。
しかも夏季休暇中なら、しばらく姿を見せなくてもカーサーたちは不審に思わない。
「……いける! にししっ」
アミティーの口から、令嬢にあるまじき笑い声が漏れた。
「お嬢様……」
黙って部屋の隅にいたミケは、呆れたようにこめかみを押さえた。
「あ、いけない」
周囲を見渡し、アミティーは慌てて口をつぐんだ。




