8 事件発生時: 反撃で対応(正当防衛)
侯爵はフレデリカの手首をつかむと、テントの奥へと引きずり投げ飛ばした。床に倒れたところに間髪入れず仮面のような水で顔を覆われた。密着した水が鼻や口に流れ込んで息ができなくなり、苦しさにもがいていると、
「おまえの魔力を役立ててやる。ありがたく思え!」
無理矢理仰向けに押さえつけられたフレデリカは、揺らぐ水の向こうに侯爵が迫ってくるのを見た。侯爵はフレデリカが暴れるのもものともせず、フレデリカの両膝を割って無理矢理自分の体を足の間に押し入れようとした。
いやだ!
バリン、とフレデリカの魔力を抑えていたアンクレットが破裂し、破片が侯爵の太ももや股間を突き刺した。
「ぐおっ」
続けて腕ほどの太さの氷の錐が侯爵の胸を貫き、風を受けたように大きく膨らみはち切れそうになっている天幕に氷錐が侯爵の体もろとも突き刺さった。
ずれたズボンも血まみれで丸出しになっている股間もそのままに、さらに額、両手両足にも氷錐が貫き、侯爵は大の字になって天幕にはりつけにされていた。
自分の顔を覆う水の仮面を砕き、激しく咳き込んでいるフレデリカの元に、騒ぎを聞きつけた護衛がやってきた。
「一体何ごと…、か、…閣下!」
天幕に刺さる侯爵を見て、護衛はすぐさまフレデリカを捉えようとしたが、伸ばした両腕はフレデリカに触れる前に炎を上げた。
「ぎゃあああああっ!」
燃える腕に護衛は悲鳴をあげて転げ回った。他の護衛も執事も駆けつけ、上着を使って消火を試みたが炎は弱まる様子を見せない。魔法を使える護衛が腕にまとわりつく炎を魔法で消そうとしたが、炎の魔法は相殺できず、水魔法や土魔法を使っても消すことができない。
追って現れた魔法使い達は炎に手こずり騒ぐ護衛達に
「何をしてる! 早く消さないかっ」
と手際の悪さに顔をしかめたが、天幕に張り付いた侯爵の姿が目に入ると、侯爵を優先し、慌てて下ろそうとした。しかし何人かの魔法使いが試みたが刺さった氷を抜くことも溶かすこともできなかった。天幕の布は体の重みを受けても垂れ落ちることなく、侯爵ははりつけになったまま微動だにしない。
「すぐさま魔法を解除しろ!」
大柄の魔法使いが声を荒げフレデリカの襟をつかもうとしたが、手は空を切り、瞬時に後方へ弾き飛ばされた。柱にぶつかる寸前で執事が魔法で受け止め、魔法使いを床に下ろすとゆっくりとフレデリカに近づいた。
威嚇するように足下に炎が上がり、氷の刃が執事をかすめ、腕と頬に血の線がついた。周りにいた護衛達は腰の剣を抜き、魔法を使える者は魔法を起動したが、執事は振り返ると、
「手を出すな。引け」
と周囲の者に命じた。
執事はフレデリカの1メートルほど手前、手の届かないところで足を止めた。
フレデリカの服が乱れていることに気付き、侯爵のあられのない姿から何があったのか察した執事は、しゃがみ込んでフレデリカと目線を合わせた。
「襲われたか…。自分を守ろうとしたんだな」
フレデリカは、
「ま、…魔物、…」
とつぶやいた。
執事が自分に向けて伸ばした手に気付くとびくりと身を震わせ、それを見た執事は手を止めた。
フレデリカは、
「…大丈夫、…大丈夫」
と何度も自分に言い聞かせ、荒れる息を懸命に整えようとした。
「黒いの、立てるか?」
執事はもう一度ゆっくりと手を差し出したが、フレデリカの警戒は解けず、手を取ることはなかった。身分の低い者に直接触れることのない男だ。紙切れ一枚さえも人を介して渡してきた。そんな人が立たせるためだけに手を伸ばす訳がない。
互いを様子見していた二人だったが、フレデリカは何かが近づく気配に気付き、
「あ、…」
と小さな声を上げた。
遠くでうなるような音が響き、二人の意識は天空に向けられた。
魔法騎士もまた迫り来る気配に気付き、一人がテントを出て天を仰いだ。目を細めて空の先を見通し、音の正体がわかると、魔法騎士は大声で周囲に呼びかけた。
「防御を!」
天幕がはじけるように大きく裂けた。ドスンと鈍い音を立て侯爵が落ちてきたが、助けに向かう者はなく、誰もが天幕の裂け目から空を見上げていた。
半球の空を横切るように尾を引きながら流れた星は、消えるどころか光を増してまっすぐここへと向かってくる。
執事が天を見据え、呪文を唱えながら耳につけていた赤いピアスを外し、天に向けて投げると、赤い魔石から放たれた光が流星に当たり、はずみで流星はわずかに軌道を変えた。しかし燃え尽きることなく、そのまま遺跡の向こう側に落ちた。
空を割るような爆音が響き、まばゆい光が昼間のように周辺を照らした。
大気を裂く風が届くより早く、遺跡はその全体が青い光のドームに包まれていた。遺跡に近いテントは青い光の中にあって守られ、少し離れたテントも目の前の遺跡が盾になり、魔法使い達の防御魔法も間に合って、落下した隕石の衝撃波を受けながらも強くはためいた程度だった。
遺跡を守る光のドームを見つめるフレデリカは、緻密な防御魔法の美しさを目の前にして自分でも気が付かないうちに笑みを浮かべていた。
それを見た執事は心の奥がざわめくのを覚えた。
目の前にいるのは名も知らない、魔法陣を書かせるためだけに連れてきた平民だ。にもかかわらず、いつになく強く意識してしまう。これは一体何だ。




