正義の影に落ちた就活生
白く発光するスマートフォンの画面が、桐谷大和の虚ろな顔を照らしていた。
画面に映し出されているのは、世間を熱狂させているニュースメディアのトップ記事。希代のジャーナリスト、神崎修司の署名が入ったそのスクープは、飛ぶ鳥を落とす勢いだった気鋭のITベンチャー企業が、裏で反社会的勢力の資金洗浄に関与していたという決定的な証拠を暴いていた。
世間の反応は早かった。SNSでは「正義の鉄槌だ」「悪党は消えろ」という称賛と罵詈雑言が入り乱れ、企業はわずか数日で社会的に抹殺された。神崎の放った光は、あまりにも鮮烈で、一切の容赦がなかった。
だが、大和にとってその光は、自分の人生を焼き尽くす業火でしかあらなかった。
大和は、そのITベンチャーから春からの内定をもらっていた大学四年生だった。
三ヶ月後には華やかなオフィスで社会人生活をスタートさせるはずだった。しかし、神崎のスクープが全てを狂わせた。内定は事実上の白紙。それどころか、SNSでは内定者まで特定され、「反社の手先になるつもりだった連中」「見る目がない」と心無い言葉が投げつけられていた。
「俺は、何も知らなかったのに……」
薄暗いワンルームのベッドに座り込み、大和は頭を抱えた。
必死に自己分析をし、面接の対策を練り、ようやく掴み取った「勝ち組」のチケット。それが、自分の全く預かり知らない他人の不正によって、理不尽に引き裂かれたのだ。
春からの就職先を失い、大学の友人たちからは腫れ物のように扱われ、再就職の道も「あのいわくつきの会社にいた学生」というレッテルがつきまとう。
世間という巨大な定規で測れば、今の自分は完全に「不良品」だった。
途方に暮れた大和は、ネットの深海をあてどなく彷徨い、藁にもすがる思いである噂に行き着いた。
「社会的に終わった人間でも、強引に再生させる裏のコンサルタントがいる」
眉唾ものの掲示板の書き込み。普段の大和なら絶対に信じないような怪しい情報だったが、もう彼には、正規のルートで社会に戻る気力は残っていなかった。
指定された住所は、駅前の喧騒から遠く離れた、シャッターの閉まった寂れた商店街の裏路地だった。
「陣内再生相談所」という、手書きの古びた看板がかけられた雑居ビルの二階。恐る恐る錆びたドアを開けると、珈琲とタバコの入り混じった苦い匂いが鼻を突いた。
「……何だ、お前。死に損ないみたいな顔をして」
部屋の奥、書類が乱雑に積まれたデスクに足を投げ出し、文庫本を読んでいた男が顔を上げた。
無精髭を生やし、鋭くも底知れない深さを持つ双眸。彼が、裏の再生屋・陣内創だった。
「あ、あの……ネットの書き込みを見て。どんな経歴の人間でも、立ち直らせてくれるって……」
大和の声は震えていた。陣内は文庫本を閉じ、立ち上がって大和の前に歩み寄った。長身から見下ろされる圧迫感に、大和は思わず息を呑む。
「名前は?」
「桐谷、大和です。……あの、俺、神崎修司のスクープで潰れた会社の、内定者だったんです。俺は何も悪くないのに、いきなり内定を取り消されて、ネットでも叩かれて……人生がめちゃくちゃにされて……」
せきを切ったように、大和は自分の不幸を並べ立てた。いかに自分が理不尽な目に遭ったか。社会がいかに冷たいか。自分の努力がどれほど無駄になったか。
同情してほしかった。誰かに「君は悪くない」と言ってほしかったのだ。
しかし、陣内の口から出たのは、氷のように冷たく、刃のように鋭い言葉だった。
「で? だから何だ?」
「……え?」
「神崎のせいで人生が狂った。社会が冷たい。運が悪かった。……それで? お前は一生、誰かのせいにして、部屋の隅で泣き喚いているつもりか?」
陣内は、大和の胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。
「痛ッ……!」
「甘えるな、ガキが」
陣内の声には怒りすら滲んでいた。
「お前が泣き叫べば、神崎が謝りに来るのか? 世間が『君は可哀想だから特別に採用してあげる』って手を差し伸べてくれるのか? 違うだろ。誰も、お前の人生の責任なんか取ってくれないんだよ」
「でも、俺は被害者で……!」
「世間の定規が折れたくらいで、死んだツラをするな!」
陣内の怒鳴り声が、狭い部屋に響き渡った。大和は恐怖で言葉を失う。
「お前は、世間が用意した『大企業の内定』っていう定規でしか自分の価値を測れないから、今絶望してるんだ。他人の定規に依存して生きるから、他人の都合で簡単に人生が折れる。違うか?」
図星を突かれ、大和は唇を噛み締めた。
確かに大和は、自分のやりたいことよりも、世間体が良く、親が安心する企業を選んでいた。「勝ち組」というラベルが欲しかっただけなのかもしれない。
陣内はゆっくりと胸ぐらから手を離し、大和を冷たく見下ろした。
「机の上の綺麗な言葉や、自己分析なんてクソの役にも立たない。意味と構造を理解したら、あとは現場で血肉にするしかないんだ。他人の評価なんか気にする暇もないくらいの、泥臭い現場でな」
陣内はデスクに戻り、一枚の汚れたファイルを取り出して大和の胸に押し付けた。
「明日からここに行け。世間に怯えて隠れてる暇があるなら、自分の足で立て。逃げるなら二度とここへは来るな。……さあ、どうする?」
ファイルに書かれていたのは、華やかなIT企業とは対極にある、泥臭く寂れた場所の住所だった。
理不尽な絶望。そして、逃げ道を完全に塞ぐ劇薬のような宣告。
神崎が放った正義の光の影で、大和の不格好な再生の物語が、今まさに始まろうとしていた。




