2話
ミラとはあの時から再び会えなくなってしまった。尤も、彼女はとても忙しい身で、あの脱走も相当に怒られた事は想像に容易い。だから寂しさはあっても、頭は冷静だった。ついでに言えば、ミラにあぁ言ったことで覚悟も決まったと言っても良かった。だから少しずつ、旅の準備を進めていた。一日で用意しきれなかったのは、きっとまだ心に取っ掛かりがあるからだろうけど、それでもひっそりと用意をし終えた。幸い、お金は支給されていた――ノクスの撃退の報酬という名目だった――から何の問題もなかったし、帝都で手に入らない物もない。それに1人分なのだ、身軽も身軽だ。飛空艇だって使えるだけの伝手があったし、旅立つのに障害はなかった。
「ここも見納め、かな」
テラスから振り返って、自分には似合わない豪奢ながらも品の良い部屋をぐるりと見る。毎日気が付いた時には新品の様になっていて、元々荷物の少ない自分が使っているのもあってか、元々誰も居なかったかのように見えた。でもそれでいいと思う。自分は元より、此処は不相応だ。だから自分の痕跡が無いのはしっくり来た。
「1人旅か」
ポツリ呟く。実の所1人旅は初めてだ。だから不安があった。ミラとウィリアムはここでの役目がある。プロトは頼めば着いて来てくれるかも知れない。でも、自分の都合が過ぎるし、彼の良心に乗っかるのは避けたい。約束はあるが、万が一だってあると思えばやっぱり一緒に来てくれとは言えなかった。きっとこの旅は1人で立ち向かうべきものだ。だからこの不安は乗り越えなくちゃならない。何度も深呼吸をしてみるが、穴でも開いているのか、幾ら吸っても胸が一杯になる感じはしなかった。
肌触りの良いシーツに身を包む。旅立ちは朝日が登る寸前からだ。夜に出たほうが人目は避けやすいけれども、不審に思われるのは面倒だ。だから朝一番の飛空艇に乗り込んでノクスのいる方へと進む。飛空艇のチケットはもう取ったし、早めに入ってしまいたいことも伝えた。だからそこまで見つからなければいい。
「怒るかな……」
勝手なことをして、そう言われるだろうか。手紙は書いたが書きなれていないから上手く伝えられる気はしなかった。だから結局感謝の言葉と、旅立つ旨を書くので精一杯だ。ミラはまた、顔を悲し気に歪めるだろうか、ウィリアムは眉を潜めて溜息をつくだろうか、プロトは驚いて、肩を落とすだろうな。でもこれが最善だ。そう何度も言い聞かした。
眠れない夜はアッと言う間に過ぎていく。それを埋める様に胸の奥には不快感と孤独感が募り、息が詰まってしまいそうだった。それでも時間が来れば体は動き出す。サラサラとしたシーツはするりと自分から離れた。それから服を着替えて荷物を肩にかける。周囲を幾ら見たって自分の物はない。荷物も軽く、双刃剣の方が重いんじゃないかと思ってしまう位だ。ここには自分の影が無い。でもそれでいい。元より盗賊、たった一人の種族だ。いっそ今の状況が自分にはピッタリな様に思えた。
城は予想通りと言うと変だがアッサリと出ていくことが出来た。隠れて出た訳ではない。ノクスの事が有ってからむしろ警備はより厳重だ。それに一回はミラを誘拐だってされたのだから騎士たちのやる気は好調を維持して、皆張り切っていた。騎士団長も揃ったのだから穴も無く、ミラも彼らに完全に任せている分、より強固な警備体勢を敷かれていると言ってもいい。でもそれは外からやって来る外敵に対してというのがもっぱらの話で、中から、それも皇女のお友達でお客様への警戒は皆無だった。勿論、自分はあまり良く思われてはいない。誘拐犯なのは多くの騎士が知っている。ただ、最終的に帝国の奪還に手を貸した事とミラやウィリアムの説得があったから、表立って邪険にする人が少ないだけだ。だから、仕事で命じられたのでなければ外へ行く自分を止める者はいなかった。きっと報告だってしないだろう。
朝焼けの前は何時だって冷たい。何処にいても、どんな場所でも、この時間帯は酷く冷たく、この後の熱さが嘘の様に静まり返る。朝と夜の境目は自分の足音だって良く聞こえた。
そんな帝都を足早に飛空艇の発着場へと足を向けた。振り返りはしない。思わず、止まってしまいそうだから。
「おーい。誰かいないか?」
まだ閑散とした空気の残る発着場は人の気配こそするものの、客相手のカウンターには誰もいなかった。まぁ、この時間は最終確認だとか、積み込み作業があるから余計な人員が割けない。一応事前に言付けておいたから、勝手に入ってもなんとかなるのかもしれないが、余計な騒ぎになったら面倒だ。特に荷物の作業があるのだから泥棒に間違われようものなら誤解は簡単には解けないだろう。最悪、通常の営業まで待つことになるかもしれない、そう思いながらも声を掛ければ予想に反して慌ただしい足音と共にカウンター奥の扉が開かれる。
「このクソ忙しい時に誰だ! まだ開いてねぇのが分かんねぇのか!」
人相が悪く、ガタイの良い4蹄族の男が睨みを利かしてくる。その背中には荷物が簡単に括りつけられていて、偶々この辺りを通った荷運び係の様相だった。突き出した四角い鼻は息も荒く、2対の弧を描いた白角が威嚇するように上下する首に併せて揺れる。
「悪い悪い、でも俺も事前に頼んでたんだ。ここの一番の船に早めに乗せてもらう約束でね。ほら、チケットもあるし、確認してきてくれよ」
「あぁ? チッ……ちょっと待ってろ。俺の担当じゃねぇからな」
「おう、待ってるぜ」
客である証明は出来たからか、4蹄族の男はあ苛立たし気に足音を沢山鳴らしながら扉の向こうへ消える。あの男が話をスムーズに通してくれるかは疑問だが、とりあえず待つしかない。カウンターに寄りかかって夜明けの空をぼんやりと見上げた。
「おぉ、お客人。待たせたな」
「いや、俺こそ我儘聞いてもらったからいいさ」
それなりに待った。でもこの時間帯にしては早かったから文句はない。というより文句で腹でも立てられたら厄介だ。だからにこやかに言葉を樽みたいな腹をした猩々族の男へと返す。黒々とした毛に覆われた腕が自分の胴体より太い。こんな奴に大口を叩く馬鹿はいない。
「いやはや、こんな時間にやって来る客は久々でね。ほら、最近まで厄介な奴等が街を練り歩いて居たでしょ? あれが面倒でねぇ……特にこの辺りは出入りの最たるもんだから勝手に入って来て警備の真似事をされてたんだ。ほんと厄介な奴等だった。でも殴ったら事だろう? おまけに魔法使いじゃ、どうしようもねぇ。だから今はすっきりと気分もいい」
「そうなのか。俺は旅で寄っただけだからなぁ……知らなかったよ。でもそれなら俺は幸運って訳だ」
「違いないですな。なんだか見てるだけでゾッとするような奴等でしたから。にしても差し支えなければ何故、こんな早くに? 出港は変わらないし、その位の荷物なら、人ごみも問題では無さそうですが」
「あぁ、実は、喧嘩別れでね。少しでも早く別れたかったんだ」
「ははぁ……そうですか。まぁ、そんな事もありますか。ほら、夜逃げ、って感じもしないですから」
「そうだな。むしろ新たな旅立ちにワクワクしてるくらいだ。寝れなかった位にね。だから早くに船に乗って寝てれば遅れないだろ?」
「ハッハッハ、違いないですな」
どうやら自分の言い訳を気に入ったらしい相手が笑う。信じているのかは分からないが突っ返される様な事はなさそうだと内心安堵の息を吐いた。
「それではこの部屋でお待ちください。あぁ、それと部屋を出るなら必ず警備のものを連れて歩いてくださいね。何かあった時の保障にもなりますので」
「あぁ、分かった。ありがとう」
自分の返事に案内してくれた男は手を振るに留めて部屋を出ていった。そうなると突然部屋が無音になって寂しさが隅の方から顔を覗かせる。それを頭を振って振り払うと荷物をおいて簡易なベッドに寝ころぶ。眠れなかったのは事実だ。どうせ起きていたって碌な方に行きやしない。だから本格的に寝る事にした。
「…………」
「あん? 騒がしいなぁ」
ふと眠りが覚めたそこまで本格的に寝入った感じではないから頭の奥に薄い靄が掛かったような感じがある。それなのに意識がハッキリともしていた。
「足音、か?」
どれだけ時間が掛かったかは分からないが、飛んでいる時特有の浮遊感はないから出港前なのは分かる。ならば客の類だろうか? でも自分がいるのは客室というには簡素過ぎる部屋だ。何せ秘密裏に、という目的があったから客を運ぶための船ではなく、荷物が客の船に乗ったのだ。だから客がこっちに来るのは変だった。でも足音は間違いなくこっちにやってきていた。そして勢いよく、自分のいる部屋の扉が開かれる。思わず身構えるがそこに居たのは想像もしなかった相手だった。
「あぁ、やっぱり居た。ほら、今日当たりに出て行くって言ったでしょ?」
聞きなれた声だった。でも、彼女がいるわけがない。出ていくことすら困難な状況で来られる訳がない。でも自分の目は確かに彼女と目が合った。
「ルーク、1人で行くなんて許さない。私たちは仲間でしょ」
そう言ってここにいるはずのない彼女、ミラが笑ってこちらへ向いた。その後ろにはウィリアムとプロトの姿もあった。
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