1話
「良い天気だなぁ……」
城の一角、突き出したテラスの桟に乗り出して帝都を眺めた。高い所だからか頬に当たる風は昼間なのに少しだけ冷たい。でもその位の方が物思いに更けるには丁度よく感じられた。
「みんな忙しそうだし、遊びに行くってのもなぁ」
桟を背に直して上を見上げる。太陽が嫌になるぐらいには燦燦と輝いて、目を細めた。今度は風の冷たさが感じられず、茹りそうだと思った。
「あれからもう、7日も経ったのか」
そう呟いても何の実感も得られなかった。なんならついさっき迄ノクスと相対していたような気さえした。でも体はきちんと回復していたし、他の仲間もそれぞれに仕事を熟して、忙しそうにしていることは良く分かっていた。
例の戦いから7日目、帝国は概ね城の中を除いて嘗ての景色を保っていた。まず、ミラが帝国の正統後継者としての証明から始まった復興作業はノクスが排除していた騎士たちや、官僚たちを城へと戻す作業が終わり次第少しずつではあるが元の形に戻りつつあった。
外へ追い出されて居た彼らは概ね記憶が怪しく、何やら洗脳染みた処理をされていた。廃人にされる様な事こそなかったが動揺は大なり小なりあって、説明と説得には時間が掛かった。それでも落ち着きさえすれば優秀な彼らはミラの積極的な行動と呼びかけで一時的かもしれないが今は通常業務へと戻る事が出来ていた。
「あ、ルーク」
「お、プロトか。今日はもう終わりか?」
「うん。ボクがやる事はもうないかな。研究所の人も、もう暫くはいいって言ってたから」
そう言いながらポテポテとプロトが近寄って来て、同じように桟の近くに立つ。
「そうか。大変だったろ?」
「ちょっとだけね。でも皆良い人だったよ。僕も殆ど魔法撃ったり、お話してただけだから、そんなには」
「へぇーそうなのか。まぁ、でもそんなもんか」
「うん、なんかミラが色々言ってくれてたみたい」
「そうか」
会話が途切れた。でも悪くはない。最近プロトとも会えていなかったから、並んで空を見上げる、というのも懐かしさが感じられる。
プロトは当初ノクスの仲間として見られていた。何せ帝都でプロトによく似た魔道人形たちがかなり幅を利かせていたのだ、戻って来た人がそう思うのも仕方が無い。彼らにとっては突然城内や城下に溢れた奴等でしかないのだ。おまけに魔法を自在に扱えるというのも恐怖だっただろう。だから似たような外見をしているプロトもかなり怪しまれ、敬遠された。そこでミラの一声があった事で少しずつ誤解を解いていったのだ。勿論、プロトが良い奴なこともあったと思うし、ウィリアムも騎士を中心にプロトへの誤解を解いて回っていたからこれも効果があった。
「ルークは最近ミラに会った?」
「いや、会えてないなぁ……メイドさんには一生分会ったけど」
此処での生活が始まってからは嘗てフォード公爵邸に居た時の様に人に世話されていた。あまりにも痒い感じがして断っていたのだが、向こうも仕事であり、誇り迄持ち出されては仕方がなかった。実際、随分心地はよく、今では疑問にも思わないほどだ。これが王族に仕える人かと思った。
「そっか。ボクも全然会えてなくて……ウィリアムはこの前会えたけど、やっぱり忙しい見たい」
「まぁ、アイツも騎士団長に戻ったんだ。やる事は一杯だろうよ」
あの顰め面も暫く見ていないと寂しく思うんだなと他人事の様に思う。でも彼は今、戦いの傷が回復したブライヤと一緒に騎士団を再編して立て直しの真っ最中だった。それも帝国の軍となれば規模は随分大きくなるし、旅をしていた影響でブランクもあるだろう。彼が書類関係に優れている想像が着かないだけに、アタフタしつつも眉を顰める想像は良くついた。
「そうだよね……これからどうなるんだろう?」
プロトが遠くを見る。果てしなく続いているように見える景色は心を躍らすことは無く、むしろ空っぽな気分にさせた。
「さぁな……」
なんて言ったら良いのか良く分からず曖昧に濁した。でも彼らには彼らの仕事がある。だから此方から我儘は言いたくないし、ミラからの依頼で始まった旅の大半は既に叶ったと言ってもいい。だから別れが近い事もなんとなく分かっていた。自分にもやるべきことがある。それは此処にいては叶わない事も。だけど少し踏ん切りが着かなくて、ミラの好意に甘える形でここに滞在していた。
それからプロトとも別れて城下を目指した。城の中は優雅で、何不自由など無いが、やっぱり自分には空気が合わないのか、ここら非ずだった。だから久しぶりに城下に降りてみることにしたのだ。特に被害は無かったとは思うけど、城下の事が気になるのも事実だ。そう思いながら帝都で尤も賑やかだろう方へ歩いていると突然、後ろから走る音がして、自分を追い越しがてら左手がなにやら柔らかい感触で捕まれる。
「え?」
その勢いの儘に足がややもつれながらも直ぐにバランスを戻して、小走りになる。そして自分の手を引っ張った相手の背中が目に入る。知らない恰好だ。大きめのフードにすっぽりと隠れていて白っぽいローブは光を反射して眩しい。知らない筈の相手だから普段なら振り払って声を張り上げただろうけど、その背姿が余りにも始めて彼女を連れ出した時の記憶の中の彼女と合致するものだから振り払えなかった。そう思えば手の形も、感触も記憶の中と一致する。でも彼女は今、荘厳なドレスに身を包み、酷く威厳のある雰囲気と言葉でこの国を立て直している真っ最中の筈だ。だから頭が混乱した。
「お、おい!」
暫く引っ張られる儘に着いて行くと人気の無い所にグルンと入り込み、足が止まる。手は繋がれたままで、相手の少しだけ荒くなった呼吸の揺れが手を伝って自分も揺らす。
「ふぅ……久しぶりに走ったなぁ」
自分を引っ張って来た相手がぼやく。なんとなく分かっては居たがいざ、その声を聞くと不思議と落ち着いた。普通に考えれば不味い状況なのだが、それでも嬉しさが他の全てを上回って、自分でも口角が上になったのが分かる。彼女の声が聞けた。それだけで胸の奥にあった空白があっと言う間に埋まっていく様な感じさえした。
「大丈夫なのか?」
「あはは、駄目かな……でも、ちょっと、ね」
自嘲気味な笑い。でも抑えきれなかった感じもした。少なくとも玉座に腰かけている彼女では出来ない笑いだと思った。そして彼女は膝から手を離すと振り向いて、フードの奥を覗かせた。
「でも、ちょっと疲れちゃった。だから遊びに来たの。付き合ってくれる?」
「はは、仰せの儘に」
眦を下げながら、ほんの僅かに寂しさがある様な顔で言われたなら仕方がなかった。だからお道化た振りをする。そうすれば彼女が小さく笑った声が聞こえて、同じように笑った。
「やっぱり凄い賑わいだな」
隣を過ぎていく人が何を喋っているのかも分からない程の喧噪が帝都には溢れていた。抑圧からの開放もあるのか、あの死んだ様な雰囲気から一変した風景は春を越えて夏のような熱さがあった。
「うん。よかった、皆が元気になってくれて」
フードを深く被り直したミラがキョロキョロと周囲を見ながらそう零す。逸れないようにと手を繋いだが、人波の中の彼女は魚の様に揺れて、手を繋いでなくてはあっと言う間にどこかに行ってしまいそうな程に浮いていた。
「ずっとお城の中に居たから、皆がどうしてるか知りたかったんだ。ルークたちにも全然会えないし」
「まぁ、皆元気さ。それに平民なんか皆勝手に折り合いつけながら生きてるんだ。上の人が思うよりもずっとしぶとい。勿論、悩みは少ない方が良いけどな」
「そう。なら少しでも頑張らなくちゃ。私が生まれた国だもの。少しでも民が幸せになってくれたら嬉しい」
「ミラがそう思ってくれるなら彼らも幸せだろうさ」
2人並んでそんな会話を続ける。最近では無かった温かさがじんわりと染みる。こうやって呑気に喋ることが出来るのは幸せだった。そして一通り帝都の賑わいを眺めながら散歩を続けた。
「もう、夕方になっちゃうかな」
空を眺めたミラがぽつりと呟く。確かに陽が少し傾き始めた。まだ夕飯を作るにしても早いが騎士たちも慌ただし気にしており、なんとなく悪い気もしてきた。でももう少しだけ彼女に自由の時間が有って欲しいとも思ったから隠すように立ち位置を変える。
「どうする? あと少しなら大丈夫だと思うけど」
実際、隠れている訳ではない。だから見つけようと本気で思うなら見つかっている。それこそブライヤかウィリアムが直接探しに来ていれば一発だ。それが無いのだから彼らも思うところはあるんだろうなと思う。だからもう少しなら大丈夫だと思った。
「う~ん……そうだ、落ち着ける場所が良いかな」
「落ち着ける場所、ね。つっても俺も詳しく無いからなぁ」
今は郊外だ。だから賑わいからは少し遠い。だけど人が住んでいるのも事実だから落ち着けるかと問われると何とも言い難い。公園でもあればと思うがそこまで詳しくないのもあって首を振る。
「聞いてみようか」
そう言うとミラは辺りを見まわしてこの辺りに住んでいそうな人へと近付いて行ってしまう。慌ててその背を追えば彼女はこっちの気等知らぬとばかりに楽し気に話しかけていた。
「そうなんですね。ありがとうございます」
そう言って頭を下げた彼女がくるりとこっちへ向き直る。
「あっちに良い公園があるって! 行こう、ルーク!」
そう言うとミラがまた、手を掴んで引っ張る。まるで好奇心旺盛な子供の面倒を見ている気分だ。でもそれが何だか心地よくて、「はいはい。」と苦笑いしながら彼女に手を引かれていった。
「こんな所あったんだ。知らなかったなぁ」
やって来た場所は公園と呼ぶには何も無かったが、憩うには丁度よい閑散具合だった。端には自分達と同じように、ノンビリとしたい人たちが和んでいるのが見えた。その中を2人でノンビリと歩く。
「はぁ、楽しかった!」
ミラが旅をしていた頃の様に、地べたに勢いよく寝転がった。彼女のローブがはためいて、これを洗濯する人の苦労が思われる。まさか帝国のトップが土で服を汚すなんて誰も思わないだろう。
「そりゃよかった」
彼女の横に静かに座って同じ方を見上げる。夕暮れに差し掛かる空は寂しさがあって、終わりを思わせるから何だか好きではない。でもミラと一緒に見上げるなら悪い気はしなかった。
「……」
暫く息を飲むような、或いは喉の奥がつっかえたような空気が間に溜まる。ミラが言いたいことは実の所当たりが着いていた。これでも結構長く一緒にいたから、彼女が何か大事な事を話す前の空気というのは直ぐに気が付けた。そしてそこから連想するのは簡単だ。
「……あのね。本当は今日、ルークに聞こうと思ってたんだ」
沈黙がゆっくりと破れる。
「あのね、ルークはこの後どうするのかなって。ノクス、追うの?」
「あぁ、追うよ」
自分でもびっくりするぐらいにスッと言葉が出た。迷いなんて幾らでもあったはずが、出たのは肯定だった。
「……そっか。そうだよ、ね」
「行かなくちゃ行けない。うん、そう思う。だから行くよ」
アイツはこっちが来るのを待っている。だから行く。それにもし行かなかったら何があるか分からない。
「でも、場所とか」
「なんとなく、分かるんだ。だから大丈夫」
あの攻撃の撃ち合いの後、なんとなくではあるがノクスと何かが繋がっている様な感じがあった。だから、行くべき場所は分かっていた。あとはどのタイミングで向かうかだ。
「大丈夫。全部、なんとかするから。ミラはもう、ここでやる事があるだろうし、一緒には行けないだろうけど、大丈夫。これは俺がやらなくちゃいけない」
「……私は」
「駄目だぜ。ミラはもう皇女として立たなくちゃ。だから旅には行けない。それに役目だろ?」
そう言うとミラが酷く傷ついた様な、そんな顔をしたのが分かった。胸の奥でイガのある物が転がっている、そんな感じがした。
それから互いに何を喋ったらいいのか分からなくなってしまった。勘だけど、もしかしたらもう会えないかもしれない。そう思えば喋るべきなのに、言葉が出てこなかった。そして遂に出たのが「もう帰ろう。皆も探し疲れただろうさ。」そんな言葉しか出てこない自分が酷く嫌だった。だからミラの顔はもう見れなかった。
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