19話
「ミラ! ミラ!?」
ノクスの魔法が玉座の間ごと破壊してしまった影響で視界が悪い。それでも足はミラの居た所へ勝手に動き、ノクスを背に走ってしまった。口からも彼女の名が決壊した様に溢れ、頭の中も彼女で一杯だ。
「返事をしてくれ!」
視界は直ぐに晴れる。しかし足元がおぼつかず、無数の瓦礫を引っかけた。それでも必死に彼女を探せば地面に倒れ伏した彼女の足が見えた。心臓が嫌な音を立てる。周囲の音も聞こえない。
「ミラ!?」
駆け寄り、体を起こそうとして踏みとどまる。捲れた外套のフードが彼女の顔の半分を覆っていた。そして下半分には赤い線が流れていた。喉の奥が詰まる感じがした。鉄錆の匂いが鼻を通る度に体温が下がっていく。震える手を抑え込みながら膝を着く。
「ミラ?」
掠れた声が出た。フードを外して顔を覗き込む。影になっていた部分が露わになっていくにつれて心臓が打楽器にでもなってしまったかのように耳元まで響く。そして露わになっていく部分が増えるにつれて赤い線が川の様に太くなった。
ミラの目は閉じられていた。気絶してしまったようだった。気絶だと分かったのは微かな呼吸音がしたからだ。心臓が激しく鳴っていても耳には彼女の微かな息遣いが邪魔される事なく入って来た。同時にグッと汗がしみ出してきた様な感覚と共に力が抜ける。詰まっていた息が口から溢れて彼女のフードが揺れた。
「あぁ、少し力加減を間違えたみたいだ。運がいいね、殺すつもりだったんだけど。やっぱり長年地上に蔓延った種族なだけはあるね。おっと、危ないじゃないか。人が喋ってるんだからキチンと座っておきなよ」
「キサマァァァァ!!!」
ウィリアムの怒号が響く。しかしノクスの何でもない声の方がずっと響いた気がした。でも何を言われたのかを理解するには至らなかった。ただ、酷く興味の無い態度な事は分かったし、彼が本当に自分以外を虫けら位にしか思っていないことも良く分かった。腹の底に何かが燻る。
「ルーク、ミラは」
ミラの顔に三角帽子の影が掛かる。そして何か息を飲んだような音がした。プロトもミラが重傷を負った事が理解できたのだろう。オロオロしたような空気が揺れる影で分かった。
でも彼を気遣う余裕は無かったし、そんな言葉は頭に浮かばない。兎に角、応急処置だけでもすべきかと思うが、頭を強く打っただろう相手に出来る処置はそうそうない。精々血止めが精一杯だ。自分に彼女と同じ才があればと歯噛みする。魔法の1つも使えない自分が嫌になる。
「ふん、そろそろ君にも退場してもらいたいんだよね。獣と遊ぶのは趣味じゃないしね。ペットでもないのにじゃれ付かれるのは鬱陶しいよ」
「ふざけるなぁ! 貴様を殺すまで止まる事はありえん!」
激しい戦闘音が背中越しに聞こえてくるが振り向くことがまだ出来ない。しかしこうしてられないのも良く分かっていた。ウィリアムが自分だっ駆け付けたいだろう気持ちを抑え込んでノクスと相対してくれているから今、自分は背を向ける事が出来ていた。それに加えてノクスが自分に何かを期待しているから本格的に自分へ危害を加えていないのもある。腹立たしい現実の上に自分は立っていた。だから早く次の行動を起こさなければならなかった。
「プロト、これ頼む」
背中から小さなバッグを下ろしてプロトに渡す。中には簡易な医療品が入っている。ミラの血ぐらいなら止められるかも知れない。場所が場所だけに不安は募るが、ここで自分が止まる訳にはいかない。きっと自分がノクスと相対し、越えなくては状況を変えられないだろう、という確信があった。
「え、でも、ルークは」
「俺は行く。アイツをぶちのめさなきゃいけない。だからプロト、ミラを頼む。血だけでも止めてやってくれ」
双刃剣を回して肩に乗せる。そしてプロトの方を見れば彼の雫が落ちたような目が泣き出しそうになっているように見えた。
「頼むよ」
何か口にしようとしたプロトを遮る。そして身を翻してノクスの方を見ればウィリアムがノクスの魔法に吹き飛ばされて後退したのが見える。
「あぁ、漸くこっちを向いてくれたんだね、ルーク。今すぐにこれも黙らせるよ」
ノクスは此処に来た時となんら変わりのない声音だ。なんならさっきよりも喜色が含まれている様に思えた。だからか心臓がさっきとは違う、荒々しい音で胸を叩く。良く知っている音だ。彼らが戦っている場所へと駆けだす。振り返る事はもうしない。
「グォォォォ!!!」
「ほら、君の出番はもう終わりだよ。塵に還ると良い」
全身の毛を逆立て、自らの血でまだらに染まった金色を棚引かせたウィリアムが吼える。しかし彼の限界が近い事は明らかだった。此処迄の旅で初めて見る彼の姿に驚きが無いかと言えば嘘になる。彼ならノクスが相手でも今まで通りに余裕を持って立ち振る舞うだろうと心のどこかで思っていたのは事実だ。でも、そんな勝手な予想は容易く覆された。それでも彼が自分の役目を果たすために真っすぐと立ち向かう姿は勇気になった。さっきまでは折れそうだった足に力が漲る。そして背に風を受けたように前へ足が進んでいく。まずはノクスを殴る前にウィリアムを助けなければならない。
ノクスが魔力が迸った光の槍を幾本も宙に作り出し、ウィリアム目掛けて放った。彼はそれでもその場から動かず、腰を落とす。動き回る余裕が無い証拠だ。だから彼を追い越すようにして前へ、手遅れになるなと自分を叱咤すればそれに応える様に体が震えた。この感覚はブライヤの戦いでも覚えがあった。心臓の奥が破裂する様な感覚が最後にした。
「それじゃ、バイバイ」
雨の様に光が降り注ぐ、その最前線へと飛びだした。
光の中、極限まで引き延ばされた意識が時間を遅く感じさせた。その中で、手に握った双刃剣を風車の様に回して降り注ぐ光の槍を強引に捌く。手には堅いものを力一杯に叩いたような刺激が走る。それでも腕を振るのを止めない。槍が床に刺さり、その影響で飛んできた破片が頬を切る。痛みはない。そして前に、前にと歩を進める。そうすれば槍の先にあのクソッタレな笑みを浮かべたノクスがいた。
「あぁ、ルーク! 信じていた。やっぱり君は最高だよ! 間違いなく君は僕の仲間だ!」
ノクスの目が彼の魔法よりも輝いた様に見えた。真っ白な歯がハッキリと見え、少しだけ赤くなった頬が艶めかしい。まるで最高の宝物を発見した冒険家の様な表情は普段なら見惚れる位あどけのない顔だっただろう。でも今は苛立たしさが湧くばかりだ。
「さぁ、見せておくれルーク! 君の進化を!」
ノクスがそう言いながら蝶の羽の様に広げた両手を振る。その瞬間にさっきまでの攻撃が遊びだったとしか思えない量の光が軌跡に沿って幾つも生み出されて引き延ばされていく。その行く先は当然自分だった。しかし恐れは無かった。ノクスの一挙手一投足毎に怒りが爆発したような感覚が体の奥底から湧いて、力に変わる。だから嵐のような魔法攻撃に対して真っすぐに突っ込む。
「あはははは! それが君の進化なんだねルーク! いいよ、いいよ! さぁ、もっともっと踊ろう! 僕たちの最初の一歩だ!」
「ウルセェ!」
魔法を掻い潜り、飛び出す。戦いが始まってから一番ノクスに近付いた。間違いなく攻撃を届かせられる位置だ。吐き出した怒りと共に、双刃剣を彼に向かって振る。
「おっと、危ない危ない。いいね、ルークはやっぱり原始の色が多く出たんだね。やっぱり僕に相応しいのは君しかいない」
「何言ってんのか分んねぇんだよ!」
ノクスが此方をジロジロと見ながら口を回す。彼の言葉の意味は良く分からない。ただ、彼が口を開くたびに怒りが湧く。何だろうか、引っ付こうとした瞬間に裏返った磁石の様な感じだった。彼から目を離せない。しかし目を背けたくなる。仲間だが怨敵。気分が悪い。だからそれを振り払うように床を跳ね回り、跳んでは双刃剣を振る。
「ふふ、この戦いが終わったら教えてあげるさ。その頃には君は僕と一緒にいるだろうし、僕の言葉がきちんと理解できる筈さ。さぁ、これはどうだい!」
少しだけ高い所へ膝を丸めて回転しながらノクスが飛び上がる。同時に彼が纏う魔力の質と放たれるプレッシャーが実際に重みを持ったかのように肩へ圧し掛かる。自然と眉間に皺が寄ったのが分かった。
「ハハハハハ!! さぁ、魅せてくれ! これが終末! 僕の進化だ!」
ノクスの狂人とも、歓喜とも区別の着かない笑い声が木霊する。同時にあれ程激しく戦っていてもビクともしなかった帝国の城が揺れる。それは城どころか国が、いや、大地そのものが怯えているようにも思えた。しかし自分の心の奥底の火はその揺れに呼応するように燃え上がり、来るなら来い、すべて食い破ってやる。そんな感情が全身を駆け巡った。
ノクスの頭上、いや、城の外、屋根よりも高い所から光が降り注いだ。それは星々が直接この場に落ちてきたようだった。流れ星だ。そう思った。火力が高すぎるが故に白くなった火の様に輝いて、尾を引きながら落ちてくる姿は流星そのもの。それが幾重にも折り重なって降って来た。頑丈で、絢爛だった屋根は溶けるようにして一瞬に姿を瓦礫に変え、夜空になった。その中央では届かぬものに手を伸ばす様な姿をしたノクスがポツリといて天を仰ぐ。自分だけではなく、この辺り一切を無くしてしまうノクスの魔法は絶望で終焉、あらゆる最後を思わせた。だから吼えた。その感情がどこから来るのかは分からなかった。しかし、吼えなくてはならないかった。そして自らの腹の底から湧き上がる感情の全てを籠めて双刃剣を振るった。それで何が出来るというのか、そう言われても仕方が無かっただろう。でもそうするべきだと何かが語った。そして結果として振った双刃剣はノクスの放った攻撃に負けないほどに光り輝いて、極光を放つ。音が消えた。自分が今、何処で何をしているのかも分からなかった。そして光がぶつかった衝撃が全身を叩いた。意識が引き延ばされる。そして永遠にも思える時間の後、空間が裂けた様な音が世界に響いたのが聞こえた。
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