12話
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「誰もいない・・・?」
恐る恐る開いた扉の先には無人の廊下がスッと伸びていた。赤いカーペットが中央に敷かれ、廊下の端にはここの主が如何に偉大な者である事を示す為の装飾こそ為されてはいるが、それを守るための騎士の姿は無かった。いや、本来なら帝都の騒ぎだって聞こえてこなければいけない筈なのだがそう言った音も聞こえない。まるで夜逃げした家のような沈黙が佇んでいた。
そろりそろりと廊下へ体を躍らせてみても上質なカーペットは足音を確りと吸い込んで、自分たちでさえも沈黙の世界へと引っ張りこんでくる。普段ならなんて良い造りなんだろうと感嘆するのだろうが今は闇の其処へ足を突き入れている様な気分だった。騎士たちがいない事は喜ばしい筈なのに、今だけは彼らの偉そうな足音が恋しく思えた。
「・・・行くぞ」
ウィリアムが低く、警戒した声音で先を促す。此処を警備していた彼からすれば、この現状はかなり違和感を覚えるだろう。それでも戸惑いを隠して予定通りのルートを進み始め、その背を追いかける。底冷えする様な気配がした。モノとクロの待ち伏せの事もある。この先にも困難が待ち受けている事は想像に容易い。しかし引くわけにもいかなかった。
幾つもの廊下を進み、階段を駆けあがる。嘗て自分が侵入したルートとほぼ同じだ。そして妨害する騎士の姿が無いとなればその歩みは実にスムーズだった。しかしそれと比例して不安と居心地の悪さが足元からせり上がって来るような感じがした。それは他の仲間たちも同じなのか、堪えるようにグッと口を噤み、軽口の1つ、荒くなった呼吸音1つ漏らさない様にしているように感じられた。思わず何度も背すじが冷え、後ろを振り返って見るが誰もいない。此処に来るまでと同じような光景が広がっているだけだ。そんな筈は無いのだが迷宮染みた城の内部は、何も知らなければ数日は迷いに迷ってしまいそうなほどに似た風景が続いた。
「止まれ」
遂に中継地点である連絡通路までやって来た。やはり誰と遭遇することもなく、音を聞く事もなかった。しかしこの連絡通路までやって来た時、氷室にでも放り込まれたのではないかと思う程の冷たさが体を襲った。実際に冷たい訳ではなく、体の芯を凍てつかせられたような心地と言えばいいのだろうか、氷柱を一飲みさせられた様だった。そしてハッキリとウィリアムが、今までで聞いた事がないような警戒心が露わになった声を出した。
「やはり、来たか」
そいつは正面から歩いて来た。一見すれば深層の令嬢を思わぜる見た目だった。目尻は下がって優し気に、スウッと通った鼻筋に薄い唇、奥まで透けそうな白い肌はいっそ病的に思える程だが不思議と不健康にはちっとも見えなかった。そんな彫刻みたいな顔には斜めに痛々しい切り傷が我が物顔でドンと座り込んでいる。しかしけして不格好では無く、寒空に浮かぶオーロラとでも言えばいいのか、彼女の美貌を引き上げる為のアクセントにも見えた。
「・・・ブライヤ」
ミラが固い声で呟く。ブライヤ、ウィリアムの同僚にしてこの国の片翼だ。鋭利で尖った耳が彼女をこの精霊種が覇権を握る国の騎士団長として相応しい事を露わにする。同時に肩に力が入っていくのが分かる。
「ミラ様・・・お久しぶりでございます。久方振りの出会いがこのような形になった事は悲しく、思います」
ミラに名前を呼ばれたブライヤはチラリとミラの方へと顔を向けて一瞬だけ、その抜身の刃物のような表情を和らげた。親しかった、というのは本当の事だったとそれだけで良く分かったし、同じように美貌を誇る彼女たちは姉妹の様にも見えた。しかしそんな雰囲気は長くは続かない。緩められたブライヤの表情は直ぐに再び抜身の刃物の様に鋭さを増し、ウィリアムの元へ向けられる。その中には自分への物も混じっていたし、プロトも同様だった。
「相変わらず、感情に任せて走る癖は治らないのね」
「この感覚が間違った事はない」
ウィリアムが断ち切る様に言葉を返す。長々と話すつもりはない、そう言った感情が見て取れた。しかしそんなウィリアムを見てもブライヤは淡々と、静かに手にしていた杖、幾本もの蔦が絡み合い、華を咲かせた奇妙で特徴的な杖をトンと1つ床を叩いただけだ。その動作に思わず肩を竦めたが攻撃では無かった。彼女の種族と手にした武器を思えば決して臆病では無い筈だがそう動いたのは自分だけだった物だからこんな緊迫した状況なのに少しだけ頬が熱くなった。
「交渉、なんて受け付けるわけが無いわね」
「ごめんなさい、ブライヤ。貴方がそちらに立つ限り、私は貴方の提案を飲んで上げる訳には行かないの。半端な事をしたら、ここ迄来た事が無駄になってしまうから」
ミラもブライヤの言葉に強気に返す。簒奪しに来た側と防衛側、分かり合うには状況が余りにも逼迫して、混沌に傾き過ぎていた。
「いいえ。それが貴方の選んだ道ならば。私も、私の道を選んだに過ぎません。ですがその道同士がこのような形になったことだけは少し寂しくも思います」
首を小さく振る。それに併せて彼女の天の川のような薄い金色の長髪が揺れて光を反射した。良く見えれば翡翠のような色身も混じっている。
「では、仕方ありません。私も、私の役目を果たしましょう。お覚悟」
彼女たちの問答は彼女たちの築いて来ただろう絆や年月に反して酷く短く、淡泊に打ち切られた。しかし、それに待ったを掛けられる様な人物もいなかった。賽は振られた。当の昔に、いわばこれは出目の出る前の僅かな戯れに過ぎなかった。
始めに動いたのはブライヤだった。彼女の右手に握られた杖が一回転し、床を叩く。それと同時にその根元から不思議なことに木々が溢れる様にして生み出される。長耳族特有の力だ。彼らは生まれた時に一本の聖樹が自ら切り落とした枝を杖として一緒に育つ。そうする事で自然との調和を何よりも是とする彼らは自然の力を借り受けるのだ。魔法に似て、魔法に非ず。彼ら固有の力だった。そんな彼らをドルイドと呼んだ。そしてその自然の力が今まさに自分達へ向けられた。
「ウォォォオォ!!」
始めに自然へと抗ったのはウィリアムだった。彼は両手で握った大剣を振り、蔦の様にうねる木の雪崩を切り崩す。しかし生み出される木々に限りは無く、まるで森が死んだときのような勢いでもって通路を埋め尽くす。まだ自分たちが飲まれていないのはウィリアムが後退しながらでも必死に木々を切り開いてくれているからだった。
「燃えろ!」
プロトの声と共に火球が飛ぶ。しかし分厚い木の壁は容易に焼ける様な事はない。水分をタップリと含んだ様子で、まさに生きた木、意思のある森は火球如き、何と言うことは無く呑み込んでいった。
「チッ、ここが外ならなぁ!」
眉間に皺が寄るのが良く分かった。外の方が彼女の行使出来る力は増えたかもしれない。でもこの限定的な状況は自分たちに取って不利に働く。なにせ容易にこちらとあちらが分断されてしまったのだから堪らない。遠距離のドルイドは無敵だ。早く近付かなければ次に何をしてくるのかさえ分からないのだからその脅威は計り知れない。単純に言えば森どころか自然界に転がっている脅威が人の意思によって扱われるのだ。これがどれほど脅威かなんて語るまでもない。
「立て直す。ウィリアム!少し下がれ!プロト、とびっきりの火だ!ミラもこっちに!」
そう叫ぶのが精一杯だ。そしてそれで生まれる数秒に何が出来るか。それがこの戦いの行末を握っていた。
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