30話
落下していくノクスを見ながら、この後に考えを巡らせる。実のところ、状況が良くなったわけではない。
空からは落としたが、それが彼の戦力低下にならないのはもう分かっていることだ。そして背後で渦巻くノクスの力は少しも淀んでなどいない。だから、ラッキーパンチで終わっていると理解できた。
終わらせなければならない。その思いはどんどん強くなる。心臓が高鳴る音よりも、激しい衝動が体の最も深い部分にあって、それが急かしているみたいな気分だった。
落下したノクスは床にぶつかって激しい音を立てる。でも彼の目はハッキリとこちらを向いていて、満月よりも目が光って、離さない。
落とした時、体まで切り付けた筈だが、彼の体に切り傷が見えない。元々着ていた服を模したように生えた体毛が思ったよりも硬いのか、あるいは別の力が働いているのかは分からなかったけれども、ダメージを通すのが困難なことはよくわかった。
どうしたものか。さっぱりいい考えは浮かない。こんなことならもっと早くこの力に目覚めたかったとも思う。今、自分が足場にしているモノの原理だってよくわかっていない。ノクスの力の止め方も分からないし、決着が着いたらどうなるのかもわからない。それでも急き立てられるように胸の奥で力ががなり立てる。もしかしたらそのせいで考えが纏まらないこともあるのかもしれない。
ノクスが飛び上がる。速いし少し予想とは違った。彼なら中遠距離に徹すると思っていたから僅かに行動が遅れる。でも、近距離ならこっちの領分だ。動きを見ながら構えて、同じように宙を蹴って跳ぶ。
「ははははは! 最高の気分だ!」
昂り切った声が響く。ノクスの表情は恍惚としていて、口から出る音は歓喜に溢れていた。それが酷く不快で、でも押し込めた心の底では理解が首を擡げていた。
「チッ、さっさとくたばれよ!」
「そんなこと言わないでおくれよ!」
水の中で寄り添う2匹の魚みたいに宙を跳びまわりながら応酬を続ける。やはり近距離ならこちらに分があるから手数は勝っていた。でも、宙という状況の慣れと手札の枚数では明らかに劣っている。
はやく、はやくこいつを止めなくてはならないのに、出来ないことに眉の皺が深くなっていく。戦闘は激化するばかりで進展はない。同時に一つ、ポカンと浮かんだこともあった。
全力を出せない。疲労が原因ではない。普段なら思いもしないことが、この状況で浮かんでくる。
目覚めた力は強力だ。さらにノクスと攻防を続けているうちに、どんどん力の詳細が頭の中で花開く。でもその結果、全力を出さなければノクスを倒せそうにないことが分かるのに、全力を出した場合、仲間まで巻き込んでしまうだろうという事に辿り着いた。
どうすれば良いのか。頭の中は、ひっくり返したおもちゃ箱のように、あちこちへ思考が散らばっていく。
当初の予定では、ウィリアムがノクス相手にやったみたいに、地上に叩きつけてから、総攻撃で押さえつけた最後に、自分が止めを受け持とうと思っていた。でも、今の状態のノクスを皆の攻撃で押さえつけるなんて出来そうにないことが分かってしまう。俺たちは自分たち以外では倒せない。一番の解決策は、俺とノクスが全力の攻撃をぶつけ合って、最後に立っていた方が勝者という、あんまりにも、この場においてはいっそ雑としか言いようのない方法だった。だから、ノクスは未だに力を練り込んでいるのだ。一撃で、全てを終わらせるために。俺と言う、あらゆるモノを乗り越えて突き進む、原始の力を持った存在を消そうとしているのだ。終末らしく。すべてを無かったことにするために。
視線が絡み合う。いくつもの魔法――終末の力が混じった魔法が威力を増しながら迫って来る。火ならば消えず、風なら劣化させる。光は濁り、闇は深くなる。この身と武器一つでは捌き切るのも困難になってきた。でも大技を使う余裕は、ない。
力一杯にノクスを払いのける。そして自分は降りていく。そして仲間の元へと戻る。決断が必要だった。
「ルーク、大丈夫?」
「あぁ、怪我はねぇ」
振り返ることもなく、そう答える。顔を見たら決心が鈍ってしまいそうだったから。
「……なにかあったらしいな」
ウィリアムが呟いたのが聞こえたけれど、図星だったから返事ができなかった。
「ルーク? どうしたの?」
プロトの気遣わした声が聞こえる。こんな状況でも変わらない彼の優しさが今は痛い。
見上げればノクスに動きはない。今の攻防で、ただ撃ち合っても良い結果になりそにないことはノクスにも分かっているのだろう。だから宙に留まって力を放つ準備を進めていると良く分かる。
ただでさえ遅れているのだ。焦る胸中を他所に自分も腹の底、胸の奥の奥から湧き出す力を強引に掻き出していく。間に合う。原始だからこそ、目の前にある山が高ければ高い程、谷が深ければ深い程、この力は応えるように肥大する。自分の意思が折れてしまわぬうちは。
「お願いが、あるんだ」
震えてはいなかっただろうか。
「お願い?」
状況が逼迫しているのに、お願いだなんて口にしたからか、ミラの声は少し間の抜けた声だった。
「あぁ。お願いだ」
振り返らない。ここで恰好悪いなら、この後のお願いも聞いては貰えそうにないから。格好良くても聞いて貰えるかは分からないけれども、万が一を思えば恰好が良い方がいい。
「みんなには、ここから撤退してほしい」
「えっ?」
いっそ呆けた老人みたいな声だった。
「本当は皆で倒したかったんだけど……どうにもあの状態じゃ俺以外の攻撃は通りそうに無くってさ。それに奴の背後、分かるだろ?」
畳みかけるように言葉を続ける。口を挟まれたら次が出せないかもしれないから。
「でも、俺が全力を出せれば……なんとかなる。いや、何とかしてみせるさ」
「おい」
ウィリアムが咎めるように声を掛けて来たのも無視する。ごめん。でもウィリアムにはまだ大事な仕事があるから、待ってほしい。
「だからさ。先に此処から出て欲しいんだよね。大丈夫、道は残ってるし、戻れるさ」
「ルーク!」
ごめんプロト。今は聞いてほしいんだ。それにプロトなら隠された通路だって見つけられる筈だ。ここが研究施設なら、緊急避難路だってありそうだろ?
「かならず戻る。だからさ、今は俺の言うことを聞いてくれないか? 巻き込んだら面倒だしさ」
ちょっと突き放すように言葉を吐く。でも仲間から返ってくる感情はどうにも離してくれそうにない。何なら背中を引っ張られているような感じもある。もうそろそろ力が溢れそうだから、離してくれないと危ないなぁと他人事のように思った。
「ミラ。悪いんだけど、これはやっぱり、俺とアイツの戦いだったんだ。だから最後は、俺たちで決着を着けなくちゃ駄目なんだ。だから、先にここから出てって欲しい。大丈夫、俺は逃げ足と土壇場には強いからさ」
笑おうと思ったけれど、上手くはいかなかったから直ぐに止めた。
「ウィリアム、二人連れて逃げる体力はあるだろ? 此処に居られると、巻き込んじゃうからさ、連れてってくれよ。俺が勝っても皆が無事じゃなきゃ意味ないからさ」
「ルーク!」
滲んだ声が真後ろから聞こえる。でも、振り返らない。ノクスから目を離せないのもあるけれど、力が鈍っちゃいそうだから。
「……」
迷うような。怒りが突き抜けたような気配がウィリアムのほうからする。呆れているのかもしれない。
ミラは優しいから、動いてくれそうにない。でもウィリアムなら、彼女を救うために俺を置いていくことを決断できる人だとも思ってる。だってミラの騎士なんだからさ。
嘗ては母国だって相手にしたんだ。世界の敵相手でも逃げられるし、俺が間に立つんだから問題ないんてないさ。
「ルーク!」
悲痛だった。勿論胸が痛い。でも、こんなにも呼び止める人が仲間で良かったと思えば温かさがあった。
「頼むよ。絶対に戻るからさ。これで嘘ついたことないだろ?」
納得するような雰囲気はない。でもそろそろノクスも待ってはくれないかもしれない。そう思えば早くしなければならない。
「ルーク……」
「プロトも悪いな。先に行って待っててくれ。俺たちは約束しただろ? また旅をするんだ。死なないさ」
直後、ノクスの背後、遥か上から強い力の波動がした。勿論自分だけでなく、全員が感じ取れただろう。まるで、太陽が落ちてくるのを目の当たりにしたような衝撃だ。体が少し固まる。
本当に止められるのだろうか。越えられるのだろうか。分からない。でもやらなきゃならない。
「ウィリアム! 頼むぞ!」
吼えるように口を開いた。そして自分を掴んでいたミラの手を払う。
「あ……」
本当に振り払われるとは思ってなかった。そんな声だった。思い返せば彼女の手を握ったり、背を押したり、並んで歩いたことは多々あれど、振り払ったことはなかった。でも、このままだと、三人の無事はないものだ。だから仕方がない。
ノクスへの視線を強くする。そしてミラが離れたことで、体から更に力を解放させていく。ノクスがやっていたように、力を鎧のように纏うことで自滅を防いだり、放つ力を安定させる為だ。
地面が揺れ、自分の放つ力の奔流が耳を塞ぐ。もう、仲間の声は聞こえない。でも、きっとウィリアムとプロトがミラを引っ張って逃げてくれると信じてもいた。
暫くの間、お互いに万全の力を出し切るための沈黙があった。短いとはとても言えない。でも、あっという間だった気もした。そして、準備が整ったと同時に空間が悲鳴を上げる。今にも天井が砕け、山を貫いて空が見えるんじゃないかとすら思った。同時に自分の鼓動が足元を揺らし、山を崩すイメージもあった。
「さて、待たせたな」
「いや、存外悪くは無いさ」
不思議なもので、もうこれで終わる。そう思えば一番落ち着いてノクスと言葉が交わせた。でも、語る事はもうなかった。それが酷く残念に思ったのは口にはしない。もう全部過ぎ去った。
まるで自分のことではなく、芝居を見ているような気分だった。クライマックスの前だ。物語の全部が決まる瞬間、主人公が勝つんだろうと思いながらも、万が一を考えてしまって、先が見たいような、見たくないような。胸の奥がギュッとしながら手が震える、あの感覚だった。
「僕の方が時間を貰ったけど、卑怯とは言わないね?」
「勿論だ。おまえも俺の諦めの悪さを醜いとは言わないだろ?」
ノクスが両手を振り下ろす。次の瞬間、空が落ちて来たのかと思った。比喩なんかじゃない。本当に、全てが引き裂かれながら何かが落ちて来たんだ。だから、応えるように原始の力を振りかざした。
誰かの笑い声がした気がした。そして全ての音が消えた。
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