エピローグ
快晴。とてもいい天気だ。城のバルコニーから見下ろす帝都はどこもかしこも活気に満ちて、今日を喜んでいるように見えた。
風は温かく、式典用のドレスがとても豪奢だからか、少し暑い位だ。でも、我慢しなくちゃいけない。今日の主役は私だ。それに民衆の前に立つ時間は長くない。だけど、いざ着ると、実際の重さよりもずっと重く感じられもした。
ウィリアムが呼びに来るまではもう少しだけ時間がある。プロトは今頃大忙しかな。祝砲の最終確認をしているだろうから。彼も、どうしてるだろうか。少し世界が陰ったように思えた。
あの戦いから季節が一週した。ルークはまだ帰って来ない。こうして一人で暇を持て余してしまうといつも思い出してしまう。
私たちが集まって彼の話をすることも減った。だけど時折、夢に見る。あの日、振り払われた手を、振り返ることもしなかったあの背を夢に見る。
「はぁ……」
溜息も零れた。今日は私が皇帝として正式に名乗りを上げる。ノクスとお母さまによって乱れた帝都は新たな指導者を求めていた。その相手が私で良いのだろうかと何回も思いもしたが、臣下や民衆の覚えがよかったこともあったし、帝都に戻った時の戦いが吟遊詩人によって謳われた影響もあってか、すんなりとこの地位が転がり込んできた――だけどとっても重い。とても一人で抱えられそうになかった。だから今も必死に勉強している。その甲斐あってかなんとか今日にこぎつけた。でも。ぽっかりと開いた空洞に無理やり物を詰めたみたいだった。だから違和感がずっとある――しょうがないよね。だって君がいないんだから。
「姫様。お時間です」
ノックの後、ウィリアムの声が扉越しに響いて来た。もう時間だ。
「開けていいわ」
待たせるのは申し訳ないから、直ぐに返事をする。そうすればウィリアムを筆頭に護衛のための騎士が並んでいるのが見えた。
ルークが私を攫った時から貴人の護衛はより強固になった。詳しい仕組みは知らないのだけれど、ウィリアムが言うには二度と誘拐など起きないと胸を張っていた。
今は私しか帝室の直系がいないから、何かあったら血が途絶える。見た目よりも大陸最大の国は危うい場所にいた。だから、護衛の者に対する試験や訓練は一層厳しいものになった。でも、希望する者も一層増えていると聞いた。
嬉しい限りだけれど、やっぱりあの旅をしていた日々と比べると、息苦しい感じはした。でも、これが私の為すべき事。文句はなかった。
「ふんふふーん」
鼻歌を鳴らす。さっき聞いた楽団の音が耳に残っていた。彼らの前説を聞くところによれば、今日の為に書き上げた新曲のようで、荘厳ながら、長閑な雰囲気があった。多分、前帝末期の苦しさからの解放と新たな皇帝への期待の表れなんだろうなと素人目にもわかった。
帝国の賑わいは以前見た時より遥かに派手だ。来てから初めて知ったのだが、どうやら新しい皇帝が即位するらしい。それもまさに今日、お披露目と正式な儀式をやるらしく、まさにクライマックス寸前だ。屋台も帝都に根付いているあらゆる店もこの日を祝った商品が目白押しだ。でも、値段は何れも控えめだ。どうやら新皇帝の指示で商人に補助金が出ているらしい。だから祭にしてはとても安い。ほかにも特典があるのか、商人たちは素直に値段を下げているのに詐欺の感じもしない。それが不思議だったが、新たな皇帝の名を思えば、そんなこともあるかもしれないと思った。
「さて、どうしよっかなぁ……」
大きな、皆が目を引ん剝くようなことがしたい。別に、怒られるのが怖いとかじゃないんだ。ただ、そう。ちょっと遅くなった気はするからな。矛先をずらしたい。
「ん?」
吟遊詩人の詩が聞こえる。どこか聞き覚えのある前口上だ。
「へぇ、あの日のことか」
新しい皇帝が、皇女だった頃、前皇后の身元から勇気を持って逃げ出した時の話だった。連れ去ったのが『とある騎士』になっているのは都合のためか。
「良いな。これで行くか!」
浮かれているのかもしれない。でも、俺たちの出会いを思えば悪くない気もした。それにこれぐらい派手な方が良い。
「じゃ、早速現場でも見に行くかな」
どうやらあの日の舞台の観客席を取っ払った広場で即位の儀式があるみたいだ。都合も良い。それなら広場が見下ろせるバルコニーのあたりに出てくるに違いない。
「ふんふふーん」
さぁ、御覧じろってね。
戴冠の儀は粛々と進む。歓声も今は止み、私が現れるのを待っているのが良く分かる。もう少しすれば、進行役が私の名を呼ぶはずだ。
両サイドに控える2人の騎士団長は静かに控え、同じようにその時を待っている。彼らの恰好は今日のために拵えたもので、直接陽に当たっている訳でもないのに、自慢気に光る。それだけでなく、着込んでいるブライヤとウィリアムがそれに負けないだけの威容と実績があった。
無言でブライヤが視線を向けてくる。少し不安な様子を見せてしまっただろうか。「私は大丈夫」目線に感情を込めて、小さく頷く。ここで私が弱気な姿など、絶対に見せられない。この国は安泰で、他国と争う気もないのだ。私が守りたかった帝国の姿は、争わずして頂点に君臨する姿――もう争いなどこりごりだ。
「ミラ・セイリオス帝のご入場!」
呼ばれた。静かに立ちあがり、2人を引き連れながら城の外、広場を悠々と眺めることが出来るバルコニーへと踏み入れる。そして民衆が見えたその瞬間、音の波が全身を叩いた。
これが、私の守るべき民たち。今まで、お母さまに虐げられ、ノクスによって弾圧されていた民だ。彼らの願いは一つ。平穏だ。それを今まで広言し、政策を進めても来た。だから、私の名を歓喜と共に呼ぶ声が最も大きい。
有難いと思う。でも、彼らの期待を重くも感じたし、心の隅にまだ、彼の姿があることを申し訳なくも思いつつ、捨てることは終ぞ出来なかった。そんな私を両騎士団長も、プロトも、臣下も何も言わない。それが有難いような、寂しいような。やっぱり申し訳ないような気がした。
「私、ミラ・セイリオスが今日、この帝国の頂点に立ちます」
民衆はさっきの歓声が嘘のように静まり返る。私の声の一音すらも聞き逃さぬとばかりに耳を澄ませていた。
「貴方たちには苦難の時を過ごさせてしまいました。でも、これからは違います」
帝国の未来を言葉で紡いでいく。その全ては事前に決めたもので、私の言葉、というには多様な意図が盛り込まれ、不本意な気もする。でも、これが国の頂点に立つということだとよく知っている。これからの私はその全てに意味を籠め、理由を求められる。とても自分だけの意思なんてものは金輪際だせないかもしれない。でも、それが私の選んだ道。望んだ道の先、生かされた私が為すべきことだった。
「では、こちらへ」
誘導された先には王冠が待っていた。後は民衆の前でこれを被るだけ。それでミラ・セイリオスは完成する。
怖くない。そう言ったら嘘かも知れない。なにせこの状況になってなお、足が重たく感じられるのだから、臆病な私には大見得は一生きれそうにない。でも、これからはそうしなければならない。
王冠へと手を伸ばす。受け渡す者がいないから、私が自分で取って被らなければならない。いっそ簒奪者のようだと笑ってしまいそうだった。
民衆が固唾を飲んで見守っているのが、遠くにいても良く分かった。そして王冠に触れるか、触れないかという瞬間、なにかが風を切る音がした。
ここだ! そう思った。後は勇気と共に飛び込むだけ。その一歩を勢いよく踏み出した。
手に握るはこれの為に急遽用意したとにかく頑丈で長いロープだ。警備が異常に強固になっているから、こんな特殊なロープを用意する羽目になった――よかった、綱渡りをする劇団があって。
城に直接括った影響で回り込むように旋回する。民衆が真っ先に気が付いた。でも、ウィリアムもブライヤもまだ気が付いていない。あの2人なら真っ先に気が付きそうなものだけど、待望の瞬間だろうから、少し気が抜けたんだろう。それに俺は盗賊。大胆に動いたって気配を消すのは得意だ。
「えっ」
遂にミラの前に飛び出す。バルコニーの一番出っ張った所で王冠へと手を伸ばす彼女は余りにも美しかった。七色の髪や目が光を反射して、この為に誂えた荘厳なドレスはそれでだけで人を威圧するほどだった。でも驚いた顔はいつもの彼女の顔だった――少し間抜けだったのは内緒だ。
思わず笑いが出る。そして彼女の腰を掴み、王冠と一緒に連れ去った――ウィリアムの驚いた顔は初めて見たかもしれない。
「アーハッハッハッハ!!」
大声を上げて笑う。そして遠心力に身を任せて城をぐるりと回って、別のバルコニーに着陸する。腕の中のミラは王冠を胸に抱いたまま、目を月よりもまん丸にしてこっちを見ていた。
「ルー、ク?」
「おうよ! 遅れたけど、帰って来たぜ、ミラ! ま、まずは逃げようぜ、あの日みたいにな」
笑ってみるが、彼女はまだ呆けたようにこっちを見上げるだけだ。やっぱり不味かっただろうかと不安になり、慌てて弁解を口にしようとした瞬間、彼女の目に涙が溢れた。
「ルーク、なの、よね? 本当に?」
「あ、あぁ……本当に遅くなったけど、本物さ」
でもミラは幻が眼の前にあるかのように顔に手を当てる。少しくすぐったいけれど、悪いのは俺だから好きにさせた。でもあんまり長くそうさせてあげることは出来そうない。城はひっくり返したみたいに大騒ぎしている。それは民衆も同じで、騒めきが城の反対側まで響いていた。
ここから何とかそういう催しだったことに出来ないだろうか。
「あぁ、悪いんだけど、思ったよりやばそうだからさ……俺がやっといて何なんだけど、どうにか出来る?」
「……えぇ。本当に、しょうがない人」
ミラの左手はまだ頬に当てられたままだ。でも、少し安心でもしたのか、ミラの顔に笑みが戻って来た。
「あぁ、ウィリアムの怒号だ……」
「ふふ、なんとかしてあげるから、後できちんと怒られてね」
足を着けてやるとミラはそう言って笑う。
「ねぇ、ルーク。もう勝手に何処か行ったりしない?」
こちらへ背を向けたミラが後ろ手を組みながら言う。バルコニーへの入口は強引に塞いだ。これでちょっと時間も稼げるだろう。正直逃げるのは無理だった。
「あぁ、勝手に行く用事なんかないからな。プロトと旅には出るかもしれないけど……アイツも此処にいるんだろ?」
「えぇ、もちろん。貴方が帰って来たのは、もう知ってるでしょうけど、喜ぶわ」
ミラの声が弾む。
「そっか。ならよかった。あぁ……ミラもごめんな。もうこんなことはしないさ」
「ならいいわ。私も許してあげる。こんなに長く戻ってこなかったことも、あの場で私を突き放したことも……やっぱり、ちょっとだけ怒るけど」
そう言う彼女の声は笑い混じりだ。だから同じように笑う。
「そ、そうか。まぁ、お手柔らかにお願いするよ。あぁ、そう言えば言い忘れてた。ただいま」
「おかえりなさい、ルーク」
そう言って振り返った彼女の笑う姿はなによりも美しかった。
後ろからはウィリアムの怒号と、兵士が騒ぐ声がする。民衆のどよめきも津波みたいだ。でも、ミラが笑ってくれたなら。まぁ良いかと思った。なに、これから時間は沢山あるさ。俺たちは、皆で危機を乗り越えた仲間だ。
「さ、それじゃ、後始末するわよ! 怒られる準備は出来た? 民にも謝らなくちゃ! これが初めての仕事だなんて嫌になるわ」
「それは、ごめん! 俺も何でもするからさ!」
「胸張る場所じゃないわよ。それにあなた、只の盗賊じゃない」
そう言って苦笑を浮かべたミラと見つめ合う。そしてもう一度大きく笑い合った。確かにそうだ。でも、もう彼女の顔に憂いはなかった。俺たちは手に入れたんだ。平穏とまだまだ続く未来を。空はどこまでも澄み切っていた。
良ければ評価、ブクマ等してもらえれば幸いです。
駆け足になったけれど、一旦これで完結です。読んでいただいてありがとうございました。




