12話
「どうなった!?」
背から弾き出されるようにして、転がり落ちた。右手は力が入らない位に痺れが肩まで奔っていた。それでも大事な武器は手放さない。でも、あの力はすっかりと溶けてしまい、その反動で身体が酷く重たい。雪に刃を突き立てて、無理やりに起こす。
氷龍がいた辺りは爆弾が幾つも破裂したかのように、濛々と雪埃がたっている。だから彼の影すら見えはしない。倒せたのだろうか。咆哮は未だ響いては来ない。でも、倒せた実感は湧いてこない。
ウィリアムが自分の斜め左前でジッとしているのが見えた。大剣を持つ手は緩んではいないし、鋭い眼光は鈍い刃物のように光っていた。遠く、上の方ではプロトの魔法が膨らんでいるのを感じるし、ミラが固唾を飲む音が聞こえた気がした。
「――ッツ!? やっぱりまだか!」
大地が震えた気がした。実際に揺れたんだと思った。もしかしたら自分の足がガクンと折れただけかもしれない。でも、実際に氷龍がまだ死んでいなかった。
舞っていた雪が、吹雪になって飛ばされていく。頬を掠めた氷の粒が薄く肌を切った。熱くなっていた身体が冷え切って、酷使された身体が固まっていく。振り切るように、身体を揺すって、足だけで立つ。こっちも限界だ。でも氷龍だって限界の筈だ。元気なら、こっちが待つ時間なんてないことが分かり切っている。
「―――――――」
洞窟の中、大きな氷を叩いたような、澄み渡った音が響く。細い、捨てられた子供のような声だった。ただ、悲壮な決意のような感じもした。そして晴れた視界の先に氷龍は立っていた。
ボロボロだ。美しかった氷の身体は、稲妻が奔ったように背中を中心に広がりながら無数の罅が刻まれていた。罅からはシューシューと青白い煙を湯気のようにたたせている。でもその冷気が傷を塞ぐようなことはない。全身で呼吸をしているのか、巨体が大きく上下して、今にも顎が地面に着いてしまいそうだ。口元からも沢山の冷気が漏れていた。
緊張が再び空間を広がって張り詰めさせていく。氷龍の縦に割れた、クレバスのような瞳は、こちらに向いている筈なのに、別の所を見ているようにも感じられた。酷い手負いの相手なのに、まだ動けない。一歩、誰かが踏み出した瞬間、最後の衝突になることだけはハッキリとしていた。
(どうする? どうすればいい……今の俺じゃ、コイツを止められない。でもウィリアムはどうだ? 強いけど、保証はさっぱりだ。龍は死んでも龍。プロトと一緒なら? でも……)
頭の中であらゆる可能性が、悲劇と喜劇が入り混じって、固まらない。なにが正解で、間違いなのか、相手がノクスだったとしても教えて欲しいくらいだった。しかし、そんな自分の悩みを無視するように、或いは無視するしか無かったかのように、氷龍が動き出した。
氷龍は大きな呼吸で頭が下がったと同時に、倒れるような恰好で前へと走り出す。もはや背の翼が無い以上、彼が進むなら足で走る他にはない。その足も傷だらけの巨体を支えるには頼りなく、ふらふらと左右に大きく揺れる。それでも家とは比べ物にならない程の大きな身体はそれなりの速度を保証した。もしかしたら、龍というプライドをかなぐり捨てた結果かもしれなかった。でもそれがこちらが想定する最悪なのも事実だった。
「ウィリアム!!」
先ず、氷龍と相対したのは、最も近い場所にいたウィリアムだ。彼はもう逃げるには難しい立ち位置だったし、氷龍が狙いを定めたのも彼だったから、後出しの行動になった時点で、天秤が氷龍に大きく傾く。今更になって思う。プロトに最大火力で氷龍がいるだろう場所に攻撃させるべきだった。そうすれば、相手に先手を取られる事はなかったかもしれない。でも全てが遅い。状況は一気に加速した。
「ウォォォォォ!!!」
ウィリアムが全身で吼えた。迫る氷龍にだって負けない威圧感が彼にはあった。それでも、元の大きさが余りにも違った。消耗している訳ではない筈なのに、あの背が頼りない。そんな風に思ってしまう程には、小さく見えた。
激突寸前、ようやくプロトがいる高台から真っ赤な紅蓮が降ってくるのが見えた。でも間に合うかはかなり微妙だったし、ドンピシャなら、ウィリアムが少なからず巻き込まれる。そんなタイミングだ。チラリと映った視界の端ではミラがプロトの横にたって、指を差していた。彼女の指示だ。彼女はウィリアムを守るために傷つく選択を選んだ。ウィリアムなら必ず状況を戻せる、そういった信頼も見えた。
「行かなくちゃ」
なら、自分も早く、氷龍の下へ行って、もう一発くれてやらなければ駄目だ。絶望の中、仲間が行動をしたんだから、自分も信じなきゃ嘘だ。駄目で元々の相手、やり切るのが前提、もう無理だと思った身体に力が戻る。
走り始めた頃には既に氷龍はウィリアムの眼前にいた。ウィリアムはただ真っすぐ、一本の木のように大剣を掲げていた。それは祈りにも見えたし、彼の覚悟そのものにも見えた。口を開き、その鋭い牙でウィリアムを噛み殺そうとする氷龍が吼える。それに応えるようにして、ウィリアムが吼えた。
領域に入った瞬間、ウィリアムの大剣が降り下ろされる。見たことが無いくらいに、気迫の籠り切った刃は、開こうとする氷龍の鼻っ柱とぶつかった。そしてさっきの咆哮に負けないくらい大きな衝突音が響いた。
「ググググッ!! ガッァアァァア!!」
しかし体格差だけはどうしようもない。ホンの僅かな拮抗の後、ウィリアムと身体が押され始める。氷龍の足は止まらず、このままなら、口が開き、その鋭利な牙がウィリアムの身体を切り裂くのは目に見えていた。なんなら、口が開くのを止められているのも奇跡に近い話しだ。だけど、勝利だけが欲しい場では苦しい状況だった。
「耐えろ!!」
全力で走りながら、聞こえているかは分からないがウィリアムへ叫ぶ。心なしか、後退する速度が弱まったように思えた。でも、依然として状況は悪い。でも其処へ真っ赤な影が落ちた。
氷龍が、巨体をのけ反らせる。止められそうに思えなかった勢いが確かに止まった。落ちて来たのは当然、プロトの火だった。傷だらけになった身体なら流石に通じるのか、それとも罅を伝って、内部に熱が届いたからなのか不明だが、膝を氷龍が崩れるように折る。そして火炎の中から、毛を焦がし、今も火が付いたウィリアムが飛び出してきて、転がって距離を取りながら消火する。それを横目に入れ替わる。
「止めは頼んだ!」
今の自分では止めをさせないのはハッキリと分かっていた。だから無理難題なのは承知でそう声を掛ければ、追い越すと同時に、ウィリアムが立ちあがる音がした。
炎の中、のたうち回る氷龍と目が合った。その瞬間、身を焼かれる痛みも忘れたのか、自分に向かって氷龍が吼える。そして折れた筈の足を立たせて、倒れ込むように氷龍は突進してきた。そこには意地でもこちらを巻き込んでやるという意思が感じられた。だけど一緒に死んでやる訳には行かない。手に持った双刃剣を振りかぶり、投げ槍に見立てて身体を撓らせながら投擲する。直後、自分を追い越すようにして見慣れた毛並、やや焦げた匂いが駆け抜けていった。
投擲した双刃剣は真っすぐに氷龍の目に刺さった。普段であれば絶対に刺さらないだろうそれは、罅だらけの身体では可能だった。氷龍は咄嗟に下を向いて、首を振った。その瞬間、ウィリアムが再び大剣を振りかぶり、一番細い首の部分へと近寄って振り下ろした。
聞こえてきたのは氷の砕ける音、そして全身で感じたのは大量の冷気だった。悲鳴は聞こえない。咆哮も、あの揺れも無かった。ただ、陽射しも遮る様な冷気が辺り一帯を埋めたのだった。
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