8話
「本当にあったな……」
冷たい岩の上に腰を落として呟く。視界の端からは血のように赤い夕焼けがサーチライトの様に洞窟の中へ差し込んでいた。それから逃げる様にして全員が隅で背を預けていた。
「そうね……もう足がパンパン」
疲労が滲む声でミラが続く。顔を少し開いた足の間に落としこんでいて、表情は見えないが肩もがっくりと落ちている。抱え込まれて飛び出した杖が枝の様で、切り株を思わせた。
「……そろそろ寝ないと駄目かも」
「あぁ……良いぞ。俺はまだ余裕が有るから。プロトは寝ちゃってくれ」
「ごめんね」
プロトはそう言うと目を伏せて、動かなくなった。稼働限界だ。ここから数時間は起きられないだろう。勿論動く気はないから問題は無いが、例の件を思えば此処で彼が動けないのは痛手だ。いざという時はウィリアムにでも背負わせる事になる。
「ミラ。ミラもちょっとご飯食べたら寝てくれ。どうせ動けないし、夜が来る」
「えぇ……そうさせてもらうわ」
ミラはそう言うとノソノソと動いて食事を摂り始めた。慣れない雪原の旅は思ったよりも疲労を訴える。兎に角雪と温度が体力を容赦なく奪い取って行く。幾ら休憩を多く挟んだとて、それは先送りに過ぎない。買い込んで置いた食料も兎に角栄養価の高いモノばかりだ。それでも足りないと思わせる程には環境は過酷だった。
「ウィリアムは悪いんだけど、俺と交代で良いか? ちょっと時間が短くなるんだけど」
「構わん」
力強い。先頭でひたすらに雪を掻き分けながら歩いたにも関わらず、彼から強い疲労は感じない。勿論疲労こそしているだろうが、それでもまだ動けそうな程には余裕がありそうだ。自分も随分成長したと思ったが体力的な面ではまだまだ彼には届きそうにない。
夜になるのはミラが眠ってから直ぐの事だった。洞窟の入口近くに陣取って、風よけの布を張った。完全に覆うのは難しいが無いよりはマシだ。目立つから普段はしないが山を迂回し始めてから魔物の襲撃も無かった事を思えば大丈夫だろうと判断した。その隙間からは赤色が消え、触れたら凍り付いてしまいそうなほどに冷たい青白い光が差し込んでいた。
「嫌な気配とやらはまだ消えないか?」
「あぁ、今もずっとだ」
風に揺れる布の向こうをジッと見つめていると対面に座り込んでいたウィリアムが声を掛けて来た。
「何だと思う? やっぱり龍だったりするか?」
「さぁな。吾輩には分からん。しかし龍だとしても何一つ襲い掛かって来ないのは不気味だ」
「違いないな」
事実として分かっているのは山を覆い隠す雲の色が黒々としていっている事だけだ。それが何の意味を持っているのかは分からない。それこそ、この地域特有の自然現象である可能性も十分にある。無知である事が牙を向いて来ていた。それでも足を止めることが出来ない自分達は酷くちっぽけだ。
「予定ではまだ数日だ。半分も来てない。それまでに何か起こるかな?」
「……分からん。だが何かあった時には逃げる他ないだろう。この環境では、吾輩もどうなるか想像もつかぬ」
「だな。その時はミラを担いで逃げてくれ。俺はプロトの手でも引っ張るさ」
最悪な想定を笑い飛ばすように軽く言葉を出す。まぁ、自分がそんな事を言わずとも何か起きればウィリアムはミラを最優先してくれるだろうけども。
夜が更ける。そろそろ自分が寝る時間だ。ミラとプロトはまだ寝ている。きっと自分が起きる方が早いだろうが、それでいい。ウィリアムに軽く合図を出してから寝袋に体を滑らせて横になる。叶うなら良い朝が来てほしい、そう思わざるを得なかった。
「ま、一晩明けた位で状況が好転するわけがないよな」
入口にかけた布がひらひらとはためくのを見ながら愚痴を零す。昨日に感じた嫌な予感は膨れ上がる様な事こそ無かったが、減りもしなかった。何かが襲ってくる様な事も無いが、見張られているような感覚を全身で浴びながら休める訳もなかった。幸いと言うのは変かもしれないが、この嫌な予感を肌で感じるのは自分位だから、他の仲間がぐったりとしているなんて事はなかった。お陰で旅に支障はない。
「どうしたの、ルーク?」
「いや、ちょっとこの先どうすっかなぁってな」
「成る程ね。でも行くしかないでしょ?」
「ま、そうなんだけどさ。あぁ、この洞窟の先が分かればなぁ」
後頭部を掻く。外を歩いていれば嫌な予感に晒され続けてしまうが洞窟の中なら外よりも幾分マシだろうと思えた。何せ広い訳ではないのだから巨体が入って来ることはない。流石に山を砕く様な馬鹿力は龍とて無い筈だ。でもそんな洞窟も何の地図も無く入る勇気はない。地図が無い。そもそも行き止まりではないと証明もされていない。明らかに自然の物で、何があるか分からない。それこそ何かしらの魔物の巣である可能性も今更ながら思い当たる。だからこの洞窟は今しか使えず、リスクの高い宿に留まった。
「そうね。でも出来ない事は考えても仕方がないわ。それよりも早くに此処から離れる努力をしましょ」
ミラはそう言って胸を張る。まぁ、彼女の言う事は一理、この状況ならむしろ一択だ。反論はない。それにそんな彼女の姿を見ていたら少しはやる気も湧く。
「そうだな! よし、今日も頑張ろうぜ!」
そう言って右拳を突き出せば、ミラも同じように拳を握って軽く当てた。
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