一幕目「思いを巡らす関係者達」
本格的に本編開始する前に、軽く前日譚みたいなの各視点でやろうとしたんです……
そしたら……っ、思ったよりも、文量、が……っ
(約1万5000字……。九割閑話なので読み飛ばしてもさして問題は無いです)
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side ヴァナディース特別自治区 イザヴェル
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訳が分からない
それが、キルカが今現在抱いている感情だった。
ヴァナディース特別自治区の区都、黄金都市イザヴェル。その最奥に位置する宮殿フォールクヴァングの更に奥にある執務室に置かれた机の上。
そこに置かれた手紙が、今現在キルカを苛む原因だった。
手紙から目線を外し、座っていた椅子の背凭れに身を預け、さっきまで読んでいた手紙の内容を整理する。
手紙と言っても入っていたのはB4サイズの茶封筒で、手紙の他に関係のある資料や書類が同封されていた為に結構量もあって分厚い。
送り主名は神議会、内容はキルカ個人に向けての任務依頼書。
依頼内容は要注意対象の監視及び護衛。
同封されていた資料も対象や共に依頼を受ける相方の詳しい情報、その他前情報で開示出来るであろう限りの今回関わっている組織や協力者、現地についてが書かれたものだ。
何度か読んだ限り、目立って不自然な点は無い。
目立って書かれている不自然な所は無い。
問題は、その中に紛れていた晴天の霹靂。
比較的重要度の低い情報の間に書かれ、しかも割と自然な流れで組み込まれている一文。
すなわち
『尚この任務中、キルカ ヴァナディースとレナ ファービスの両名には勠研総合学園中等部の2523年度新入生として潜入してもらう予定である。』
の文字列。
「いや何でそうなるんだよ……!」
理解出来ない指示を思い出し、キルカは憂鬱そうに目を瞑って額に手を当てる。
「というか、これだけならまだ良いんだよ。これだけなら」
まだギリギリ断れたのにな、と心底残念そうに毒づく。
そして、目の前の机の隅に追いやったもう一つの手紙をみやる。
こちらはさっきの分厚い資料群とは打って変わって、葉書サイズが一枚と乱雑に切られた封が一つ。
封は送り主や宛名すら書いておらず封蝋の赤色以外の全てが白、葉書も同様に殆どが白で用件を書いた文字の場所だけが黒インクに染まっている。
その葉書には手書きと思われる字で『次の依頼を受けること。』とだけ書いてある。
背凭れから身を起こし、不服そうな表情で葉書を手に取って天井の照明に掲げる。
若干暖色混じり光は、指令書の影をキルカの顔に照らすばかりで透かしなどの仕掛けは一切無い。
そのまま今度は、目に力を込めて見る。
もしここに他の誰かが居たら、キルカの目が金色に光るのが見えただろう。
力を込め続け、葉書を見つめる。
すると文字の右上に薄っすらとだが、紋が描かれているのが見えた。
風に靡く一枚の羽織と、羽織に書かれた"1"を意味する文字。
それはキルカが所属している組織の正式な指令書である証だった。
なんとか他の指示が無いかと折ってみたり、振ってみたり、叩いてみたり、汚してみたり、濡らしてみたり、冷やしてみたり、火で炙ってみたりと魔法で色々試してみたが──
「はぁ……、やっぱり駄目か」
──他には一切の指示も仕掛けも無く、無情にもキルカへの指示の確実性をより裏付けただけだった。
残念そうに首を振り、そのまま指令書を放って燃やし尽くす。
軽く指を振ると、指令書だった灰は机横の屑籠に飛んでいった。
そのまま封筒も手に取り、同じ様に燃やしてから屑籠に突っ込んだ。
「次の依頼って……、あれ来てから届いた依頼なんて神議会からのこれだけだし。そもそもタイミング計ったみたいに一日差で来てるし……。」
必死で否定材料を探すも、答えを裏付ける要素しか見つからない。
つまり
「俺に学校行けってこと……?」
キルカの見た目は十六歳の時に成長を止めてから体格的にはほとんど変わっていない。
埋め込んだ神格の所為かいくら鍛えても見た目は割と華奢だし、160cm少々の身長に、若干毛先が脱色した茶髪も異なる人種どころか人外とまである程度混血が進んだ現代の日本区では、ちょっとは珍しいかも知れないが取り立てて不自然では無いだろう。
それでも誤魔化せなければ魔法で幻覚でも肉体改造でもすればいい。
とにかく、キルカが他の新入生と混じって入学しても違和感無く潜入は出来る。出来はする。
「出来はするだろうけど……」
見た目だけは十六歳のキルカは溜息をつき、憂鬱そうに眉間に手を当てる。
「……封に魔力で『神議会からの手紙が来るまで開けるな』って書いてあると思ったら」
こういうことね、と心の中で呟く。
つまりはこの依頼を受けさせたかっただけ。
その為だけに指令書の証である紋と同じ手間かけて字を書くなと思ったり思わなかったりもするが……。
キルカの上司は神議会の第9席を占めていたはずだ。
依頼が届く前日に指令書は送られてきた。
ということはこの一文の存在も把握して──というかこの一文は絶対上司の仕業だろう。
「なんていう馬鹿馬鹿しい……」
どかっと背もたれに身を投げ、そのまま天井を仰ぎながら呻く。
大方いつもの"リハビリ"だろうが、今回は大分ふざけている。
何故自分が学校に、しかもよりによって勠研なのか。
理事長が理事長なので、その共謀を勘繰らざるを得ない場所だ。
そんな調子でしばらくの間、上司と依頼への悪態が頭の中を反芻する。
うだうだ、ぐちぐち、うだうだ、ぐちぐち。
最後に小さく「クソ神が」と呟いて机に突っ伏す。
それから数十秒、そのままの姿勢で頭を切り替えていく。
「はぁ」と溜息を吐き、呟きを──依頼書のある一言を漏らす。
「《黒炎の魔女》……ねぇ」
《黒炎の魔女》。
キルカが封印から解放されたのと同時期、約300年前にヨーロッパのドイツ区で発見された魔女。
依頼書には、同じく中等部へ入学する彼女を学友として監視しつつ守るように書いていた。
彼女の潜在的な危険性はキルカも昔資料で読んで知っている。
それとは相反する彼女の臆病とも言える性格ゆえに、神議会から不可侵の印を押されたことも。
要は、危ないっちゃ危ないけどこっちから何もしなきゃ向こうも何かすることは無いしほっとけ、ということだ。
今回の依頼は護衛も入ってはいるが、彼女自身は目立って危険に晒されたという記録はキルカの見た限りでは無かった。
生徒という立場での潜入で、特自区管理者の娘とはいえ未だ十一歳のレナにも依頼を出しているとなると今回の真の目的の一つは魔女を神や人類陣営に引き込むためだろう。
でも何故、よりによって関わるなと断じた神議会が関わりを持つ様に仕向ける依頼を出したのか。
それとも今回の主導はHSBで、神議会の方はお目付役としてキルカとレナをよこそうとしているのか。
勠研総合学園はパンゲア内にある人類が建てた学園だ。
従ってそれに対する発言力も人類の機関であるHSBが神議会よりも強い。
HSB主導なら自分達の庭である勠研で計画を進めようとするのは納得出来る。
ただ、お目付け役ならもっと相応しい依頼先や潜入方法があるのでどの道この依頼は不自然になる。
そもそもHSBも神議会も、信者会なんていう共通の敵が居る以上露骨な対立は避けようとするし、上同士でも懇意にしてる者は幾らか居たはずなので今回の様にお互いのテリトリーにお目付役や歯止め役を外部に依頼して出すということ自体が稀だ。
何時もなら何も言わないか堂々と配下を送り込むかの両極端なのに、何故態々何方にも属さない特自区に依頼をするのか。
大体、なんで今なのか。
魔女が発見されてから三百年も経っている。
実験なり懐柔なりするにしてもその為の時間は充分にあった筈だし、何かの儀式にしても神議会が絡む時点で条件を色々すっ飛ばす手段を取ることも可能だろう。
仮に何かの儀式だとして、神でさえ手順を守らなければいけないものなら周辺に与える影響は絶大なものとなるだろうし、それ以外だとしてもどの道何かある事に変わりないだろう。
「直近で何かあるって言ったらティオノ戦争の終戦五百年祭だけど……。魔女に関係ある節目なら寧ろ誕生日とかのが良いだろうし、しかもああいうのって大抵風水とか力技で代用できなくも無いからなあ」
他に何か無かったかと考えるも、特に関係のありそうな事柄は思い付か無い。
「まあ、今考えても仕方ないか。後でミストにでも探らせよ」
今までの考えを払う様に首を振り、体を起こす。
「どの道愛の神に依頼する時点で懐柔は目的の一つでしょ」
「まああんまりやる気無いけど」と、若干捻くれた様に呟いて体を起こす。
関係者達の目的はどうあれ、キルカが学園に行かなければいけなくなったのは紛れもなく事実だ(キルカ的には一番紛れて欲しかったが)。
今日の日付けは九月十四日。
中等部一般枠の試験まではあと約半年、入学までは七ヶ月ほど。
特自区の仕事の引き継ぎなどを考えても十二分に時間はある。
妙なところで気を利かすなよ、と毒づきながら依頼書と資料を重要書類を仕舞う引き出しに雑に放り込む。
そしてキルカは、他に山積みしていた書類に手を伸ばしながらこれからの予定を考える。
(一応玉国には根回し済んでると思うけど話はしておきたいなぁ。でも忙しいと思うしそれは後か……。となると先に仕事の引き継ぎ先を決めるかな。あ、というか今回ってレナちゃんが一緒だったよね。)
レナ ファービス。
ここと隣接する南東の特自区の管理者の娘。
管理者同士の付き合いもあって、キルカはレナが小さい頃から知っていたし可愛いがってもいた。
ただ、ここ一、二年は仕事などが重なり碌に会っていなかった。
(久々に遊びに行くのもいいかもね)
次にやるべきが決まったキルカはお土産は何にしようかなどと考えつつ、いつもより少し早めに紙の山を片付けていくのだった。
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side ルーズレイ特別自治区 ニルフール
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棚に整然と詰められた分厚い本。
壁に燦然と掛けられた数々の剣。
床に敷かれた複雑な模様があしらわれた高そうなカーペット。
使い込まれた革製の椅子に、黒塗りのテーブル。
その側に立て掛けてある炎の首飾りの刺繍をした紅の旗。
場所はルーズレイ特別自治区管邸の応接室。
見るものと居る者の悉くを威圧する部屋の中、中央に置かれたソファに座る少女──レナ ファービスの表情にはほんの少しの緊張と──僅かな覚悟の色が伺えた。
「ンデ、話ってなァ昨日のヤツか?」
部屋の奥、明り取り用の窓際から重く重厚な声が聞こえる。
今の時分は初秋の朝方。中庭に面したその窓からは夏に取り残された緩やかな陽光が斜めに射し込んでいた。
いつもレナは、彼女の特徴的な紅色の飛び跳ねた長髪から周りから「炎の様だ」と言われる。
そのレナを篝火かがりびと形容するなら、この声の主は宛さながら火口に燻る溶岩か。
臙脂えんじ色の、レナと同じく炎の様に跳ねっ気のある髪のドワーフ。ただし、その髪は短く小奇麗に切り揃えて焔色の鉢巻で纏めてあげ、ドワーフの象徴である長く蓄えられているはずの髭も首元までに揃えられている。
ただ、その眼の中の紅い瞳孔は、映る相手の影をを品定めでもするように焼いている。
ルーズレイ特別自治区管理者であるレナの父、グラス ファービス。それが、今レナが話している相手だった。
「昨日の神議会のからの依頼ン話ィでェ、何カ相談かァ?オレんでもまァイイが、もォちィッと為ンなる奴もいんゾ?ソイツの話聞ィてからでも──」
「今日は相談じゃなくて別の事です」
「ンァ、ソウか」
昨日の晩の話。今と同じこの部屋で伝えられた、神議会からレナへの護衛依頼。
現在、未だ小学生の身のレナには考えられない様な出来事。
依頼の相手が相手なだけに、この手の事情に詳しい人物を呼び寄せてから決めようということで一旦保留となった変事。
昨日の今日でまたここに来るのだから、確かにそのことについてだ。ただし、相談では無い。
己の胸中を整理し、頭の中でゆっくりと言葉を並べていくレナ。
グラスは急かすこともなく、レナが口を開くのを待っている。
(……、よし)
話すべきことを決め終えたレナ。後は、話すだけだ。
一呼吸を置いて対面に座るグラスを見据える。そして、心に決めた言葉を口にした。
「お父さん。私、あの依頼受けます」
「な゛!?」
予想だにしなかった一言にグラスが目を剥く。
「ン、ンナ昨日の今日で決めんでも。依頼っつうのァ何時もやってる工房の手伝いナンカたァ段違いのシロモンだぜ?それに今回ノはァ何年単位で掛かるし今の知り合いとも大半会えなくなる。それこそ詳しい奴に聞いてからの方が──」
「それでも受けたいの」
慌てた様に捲し立てるグラスに、レナは被せる様に言った。
「シっかしなァ……」
困った様に腕を組んで考える中、応接室のドアをノックする音が聞こえた。
「オォ、入れ」
「失礼しますよ」
ノックをした人物はゆったりと返事をし、ドアを開け入ってくる。
「あァお前だったか。どゥした、ナンかあったか?それとも客か?」
「お母さん?何かあったの?」
「ああいや、少しね」
そう言いながら入ってきた女性──ラナ ファービスは後ろ手にドアを閉めると、ソファで座る二人を見据える。
ファービス工房の若妻として工房の弟子達や近隣の婦人たちの間でも評判で、特に怖い中にも何処か優しさや美しさを感じさせる独特の雰囲気は、発言だけでも妙な緊張感を抱かせるに足るものだった。
「それで、今はどんな話をしていたの?」
(あ、お母さんがこの話し方するときって何か大事な話があるときだ……)
主に叱られるときと似た雰囲気を醸し出す母にレナは気後れする。
「タァ言ってもなァ……、一応向こうにゃ内密にってェ言われてっカラなァ……」
「あら、依頼の事ならヴァンさんに聞いたわよ?」
「ハァ!?」
「えぇ!?」
さらっと漏らされたラナの爆弾発言に、グラスもレナも驚いて思わず立ち上がる。
「ヴァンさんが言うには、こう言う事前資料に書かれてる内容ってちゃんとした所が調べればすぐにわかる事ばっかりなんだそう。それに私はレナの母親だし別にいいでしょうって教えてもらったの」
「イヤだからってェ……。大体いつの間に依頼のコトなんざ知ったんだァ?」
「昨日の夜にあなた達二人の様子が少しおかしかったから。ヴァンさんなら知ってるかなって聞いてみたの」
「ンなの……ハァ、ならしゃーねェ……のか?」
ラナのあんまりと言えばあんまりな物言いに、グラスは眉間に手を当て悩ましげに呻く。
ラナはと言えば「ヴァンさんったら凄いのよー」昨夜のことについてを意気揚々と話している。
「ったく、来るのァ来週っつってたのによォ。アイツァ暇なのか?」
「『神霊にとってこの程度の距離は散歩にもならない』って言ってたわよ?」
「つくづく便利な野郎だなァ」
しばらく顔を合わせていない友人──ヴァンこと、キルカ ヴァナディースを思いながらグラスは毒づいた。
しかし、その表情には少しだけ笑みがみてとれ、グラスとキルカの関係性を僅かばかりだが垣間見ることが出来た。
「で、どんな話をしていたの?」
「あ゛、っとソレはだなァ──」
「まぁどうせ?この子が依頼を受けたいって言って、あなたが必死に止めてるって所でしょうけど」
「っ!ンなこァ……まァ、大体そんなもんだが……」
「それで、レナ──」
言い当てられてたじろぐグラスを他所に、ラナはレナの方を向く。
「──依頼は受けたいの?」
真っ直ぐにレナを射抜く様な声。
思わず身が竦むレナだが、それでも意識して胸を張り、堂々と、自分の思いを告げる。
「受けたいです。資料を読んで私、アイラっていう人のことを助けたいって思ったんです。何が出来るかはまだ分からないけど……それでも、何かしたいんです!」
昨晩した決意、《黒炎の魔女》アイラを助けたいという願いを告げる。
レナの瞳は子供らしく純粋で、少しもブレる事なく母を射抜く。
「そう……」
ラナの目線も何かを探る様に、値踏みする様にレナを射抜く。
レナを見つめ暫く考え込んだ後、ラナは諭す様な声音で口を開く。
「あのねレナ、確かに私達は貴方に人には親切にしなさいって教えてきたつもりよ。でも何でもかんでも突き通せばいいって訳じゃあ無い、物事には丁度良い加減っていうのがあるの。それに何時も思い通りに行く訳でも無い。だからレナ──」
「っでも、お母さ」
「──あなたに覚・悟・はある?」
言い返そうとしたレナの声は、続けられたラナの言葉によって押し止められた。
決して声高にも、僅かな抑揚も付いていない一言。
しかし、確かに込められた言葉の重みはレナにとって今迄聞いてきたどの母の声とも違う雰囲気を感じさせた。
例えようの無い、居るだけで落ち着かない気持ち。それでも一つだけレナには分かったことがあった。
(依頼を受けないなら今引いた方がいい。でも、勠研に行きたいならここで怖気づいちゃだめ……だと思う。よく分からないしちょっと怖いけど、それでも頑張らなきゃ)
十一歳には過度に息が詰まるであろう状況の中、己を叱咤して母へと臨む。
「覚悟、ですか?」
「そう、覚悟──」
言いながら、ラナはレナにゆっくり歩み寄る。
「──物事には丁度良い加減がある、何でも思い通りに行く訳でも無い。その人──確かレイミアさんだったかしら、助けようとして逆に、レナ自身が傷付くかも知れない。もしかしたら、相手を逆に傷付けてしまうかも知れない。助ける助けない以前に、相手から拒絶されるかも知れない」
そう語るラナの口調は淡々としたもので、ある種の単純作業めいたものまで感じさせる。
ただし、未だにその目は何かを推量る様にレナの瞳を見つめていた。
「もしそうなったとき、周りの人は誰も助けてくれないでしょう。傷付いたのも、傷付けたのも全てレナの責任になる。ここならまだ、私やお父さんが助けられる。でも、これからレナが行こうとしてるのは遠い場所。どれだけ辛くても苦しくても、その全部をレナ一人で背負わなければいけない。誰も簡単には助けられないし、助けてもくれない」
ラナの右手が、レナの左肩に置かれる。
「そんな中独りでやり抜く覚・悟・が、レナにはある?」
瞳を覗き、真意を問う。
「かく、ご……」
ラナがレナの返答を待つ間、部屋の中を沈黙が包む。
目を開き、母の言葉を咀嚼し、レナはその返答を、己の真意を己に問う。
そう簡単な事では無い。失敗するかも、途中で折れるかも知れない。それでも諦めないでいられるか、やり遂げられるか。
(その覚悟は、あるか)
時間にすれば十数秒。その時部屋に居た者達からすれば一瞬だっただろうか、はたまたその数倍だろうか。
母と見つめ合うレナの口が薄く開く。
「…あり、ます」
一呼吸置いて、息を整えて。
そうして自分の意思を、己が真意を口にする。
「あります。何があっても、やりきります」
静かだが、聞く者の身を引き締める声。
それは先程のラナと似ていて、言い負かされてから蚊帳の外だったグラスは、場違いながらも親子だなと思った。
正面からその言葉を受け取ったラナは、暫くそのまま見つめ合う。
その後、何かに満足した様に口の端に笑みを浮かべて身を引いてから、口を開く。
「じゃあ決まりね。頑張ってらっしゃい」
「っ!はい!」
「なァ!?ちょ!」
先程までの緊張感が嘘の様に清々しく放たれたその言葉に、レナは歓喜の、グラスは動揺の声をそれぞれ上げる。
「あらあなた、どうかした?」
「イヤ、ドウもコウも……ソンだけか?ホラ、モット他にナンかこう──」
「そんなの、レナがやるってっ言ってるんだから、それでいいじゃない」
「ソウじゃ無く、母として──」
「というか、あなたの方こそ過保護過ぎよ」
「ヴッ!」
またしても怯むグラスに、ラナが追撃を仕掛ける。
「あなたは今回、依頼の仲介役を頼まれたんじゃなくて?それが個人の情で肩入れして、しかも本人が受けると言っているのに更に考えさせようとするなんて、ねぇ?」
横目にグラスを見ながら続ける。
「そんなの、どう思います?グ・ラ・ス・ フ・ァ・ー・ビ・ス・さ・ん・?」
「ヴグッ!!」
グラスはまるで叱られた子供の様に俯く。
そして、苦々しい声で呻く様に言葉を絞り出す。
「分かっタ……、頑張って来い、レナ。アァデモもし辛くなったらすぐに──」
「しつこい」
「アダ!?」
脳天に手刀を叩き込まれ蹲るグラスを他所に、ラナが晴れやかに言う。
「と、いう訳でお父さんからもOK出たわよ。レンとレイの説得も任せなさい。あ、でもその他の人には自分で言うのよ?お友達にも伝えておいてあげなさいね」
「はい」
「それとお母さん達、今からちょっと話たい事があるから──」
「分かりました。じゃあ失礼しました」
グラスのことは一切気にせず、挨拶を残して去っていくレナ。
閉められたドアからレナの気配が離れていくのを確認してから、グラスは倦怠感を感じさせる声で言う。
「ッタく、オレの女は容赦無ェなァ」
「そりゃあなたに惚れ込んだ女ですもの、多少荒っぽくても仕方ないわよ」
「ヘイヘイ、そりゃァソウだったなァ。嬉しくて堪らんわ」
カカカと冗談めかしに笑いながら、部屋の奥にある革製の椅子に向かって歩く。
行く途中で灰皿から煙管を取り、椅子に座ると懐から詰め煙草を取り出して火皿に詰めていく。
ラナも部屋の隅にあるポットでお茶を淹れると、勝手知ったる風に先程までグラスが座っていたソファに腰掛けて一息つく。
束の間の休憩時間。
十秒程続いたそれを終わりにしたのはラナの声だった。
「あの子の、本物だった?」
「……ァアー」
短いラナの問い。
問いかけられた側のグラスは言葉を詰まらせ、どう答えるべきか考えるように呻いた。
そして答えが纏まったのか、詰め終わった煙管にマッチて火を着けながら答える。
「半分ホンモノで半分ニセモン、だったな」
「半分半分ってこと?あの子がそんな半端で言ってる様には見えなかったけど……」
「半端に決めて吐かしたワケじゃァ無ェさ。あリャァレナも自覚の無ェ嘘の吐き方ダよ」
そう言って、煙草をひと吸いした。
プハァ、と煙を吐き出してから窓を見つめ、続きを口にする。
「やり遂げるってェトコはホンモノだ、レナも本気でそンつもりでいる」
そこで一旦言葉を切り、何かを考える様に少しだけ目を閉じた後、また言葉を続ける。
「タダし、その為の覚悟はニセモン。本人にしちゃァ覚悟決めたツモリだろうが、アレじゃァすぐ折れンだろうよ」
「そう……」
返事をしたラナは淹れた茶に映る自分の顔を見ながら言う。
「駄目ね、私。しっかりとあの子のこと見てたつもりのに、またあなたに負けちゃった」
自嘲の色を孕んだその言葉は、誰に向けての言葉だろうか。
鏡映しのラナの顔にはどこか寂しげな表情が浮かんでいた。
「ハッ、ンなコト一々気にスンじゃねェ。オレの女ってんならいつまでも落ち込んでンな」
「……それもそうね」
グラスの笑い飛ばした声に後押しされる様に、ラナは顔を上げる。
「じゃあ今回は私達、考え方は一緒みたいね。あなたはまだちょっと決めきれてないみたいだけど?」
「……オウ、ソラァ、まァ……ソウだな」
お返しとばかりに言葉の端に悪戯心を乗せたラナの発言に、グラスがまた叱られた様に俯く。
「でもまあ当たり前よ。『可愛い子には旅をさせよ』って諺、あれをヴァンさんに教えてもらったとき私絶対この言葉が嫌いになるって思ったもの」
「ソリャァオレも思ったさ。弟子どもにゃァいっくらデモ厳しくできンのに、息子ドモのレンとレイにゃァ点でできン。気がツキゃ甘やかしチマう」
そう言って一組の夫婦は笑い合う。
「ンまァ、当分先のコトだ。それまでに腹ァ決めりャイイ」
「そうね……それまでにあの子達二人の説得もしておかないと」
「ソンときゃオレも手伝うサ」
「あら、でも絶対に大変よ?あの子達、お姉ちゃんのこと大好きだから。絆されて逆にレナを引き止めない様気を付けないと」
「アァ、ソウか……。いっそのことヴァンにでも手伝って貰うか?」
「それは流石に……、でも確実に説得出来る手は他になさそうね……」
そんな調子で応接室の夫婦は、新たに湧いた可愛いらしい二つの障害に対しどうやって乗り越えるのかを話し合うのだった。
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side 日本区 勠研
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玉国真宮はその日、何時もの様に仕事に明け暮れていた。
HSBの会合の予定やティオノ対策委員会で目を通さなければならない書類、今年の学園生達の修学旅行での細かな予算チェックや各特自区との定期報告、他の大陸からの移住者増加に応じた都市開発の計画書など、やることはごまんとある。
今だって神議会と合同で進めている計画の為の書類を準備しているところだった。
他の者に任せるという手もあるがそうはしない。
それは他者を信用していない、ということではない。
自分の方が上手くやれるから、自分の能力の方が向いているから。
餅は餅屋に、適材適所。
ただそれだけの理由。
一応週一+αで休みも入れてるし、能率が下がらない様に適度に休憩時間も取っている。
仕事時間の密度が高いだけでそれ程ブラックというわけでもない……筈だ。
たぶん、きっと、おそらく、メイビー。
そんなメイビーブラックな仕事量をこなしつつも、真宮の表情は心なしか緩みその口角は僅かに上がっていた。
それの理由は真宮が特異なマゾヒストだから──ではなく、神議会と合同のある計画、より正確に言うなら、その計画について尋ねて来るであろう一人の人物である。
(いやー、お久しぶりに会いたいなーとは思ってたけど。こんな形でセンパイと会う機会に恵まれるとは)
敬愛するセンパイに会える。
それも向こうからわざわざ来てくれる。
そう考えるだけで顔は更にだらしなくなり、鼻唄までが自然と出始める。
そのセンパイが封印されていた時間を考えれば実質的に年齢などは真宮の方が上なのだが、真宮の中でセンパイはいつまで経っても尊敬すべきセンパイだ。
それに、如何せんここからセンパイのいるヴァナデース特自区までは結構遠い。
まとまった休みが取りにくい真宮にとっては中々会えない昔からの知り合いに会える機会でもあった。
「他に適任者が少なかったとはいえ、センパイを指名したのはファインプレーでしたねー」
ソロデスクワークの所為で増える独り言を漏らしながら、過去の自分を褒め称える。
適任が少なかったも何も、他にこの件を任せられそうな者が真宮には思いつかなかっただけなのだが。
《予見者》と呼ばれる真宮がそう言うなら、という理由でHSB側からは特に反対は出なかった。
神議会側は第五席の一麓さんが若干難色を示したものの概ね反対は無し。
そのままの流れでセンパイに任せる案が可決となった。
センパイ以外に任せられないのは信頼云々の問題じゃない。
単純に、彼女と話せるのはセンパイだけだろうという確信。
それが、理論も何もをすっ飛ばした真宮の能力に出せた最終的な結論だった。
自分達は慈善団体じゃない。
今回の計画もしっかりと打算有りきのものだ。
ただ、真宮個人の心情としては今回の計画は"黒炎の魔女"への同情に依るものが大きかった。
彼女は元々ドイツ区の名家の次女だった。
それがある日突然、屋敷が何者かの襲撃に遭い彼女を残して家族と使用人達は全員死亡。
彼女自身も、原因は不明だが"黒炎の魔女"となった。
それが当時十三歳だった彼女に起こったことだ。
そんな彼女を、神議会は危険だと判断し、HSBも治療と研究だと称してフレンスブルク郊外の森の中に追いやった。
《黒炎の魔女》の由縁となった能力を抑えられない以上、隔離は仕方ないとも思う。
ただ同時に、たった十三歳、それも身近な人が全員死んだばかりの少女にそれを強いてしまったことへの罪悪感も真宮の胸中には確かに巣食っていた。
今回贖罪の機会に恵まれたことは素直に嬉しかった。
しかし、自分が直接的にしてやれることは少ないと分かったとき少々の落胆と擬かしさもあった。
自分では、彼女を救えない。
だからせめて、全力でセンパイを支援する。
HSBの人間──それも最高議会の議員が個人に肩入れするのはあまり良くないのだが、今回はそこら辺の口実もちゃんと用意したし大丈夫だろう。
そんな決意を再確認しつつ真宮は書類の山を片付けていく。
それに少々不謹慎だが、センパイと会えること自体が楽しみなのも事実だった。
笑顔で鼻唄を再開しつつキーボード上で指を踊らせる。
──結局そのセンパイこと、訪問を完全に忘れていたキルカが真宮の元を訪れたのはそれから五ヶ月後の二月のことだった。
盛大に待ち惚けを食らった真宮が喚いたのは言うまでもない。
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side ドイツ区 フレンスブルク近郊
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(この前、またあの女が来たわね)
一人ぼっちの意識の中、彼女は思考する。
三百年前の事件の後、ここの施設に来てから度々訪れているあの女。
癖っ毛を無理やり直した茶髪に、着られてるという表現がぴったりの灰色のスーツを着た不格好なあの女。
名前は何だったか。
(確かタマズシ……?タダクニ、も違う気がする……。まあ、何でもいいわね)
そもそも日系人は苗字が多過ぎて分かりにくいし、と毒づいて考えること放棄した。
(擬かしいけど、どの道私にはどうしようもないもの。今の私じゃあ、この現状はどうにも出来ない)
項垂れる様な気分で彼女自身の無力を思い起こす。
今の彼女の力は、今ここを管理している連中──HSBにも、あの事件後に姿を見せる様になったアレにも到底敵わない。
それどころかアレに到っては、下手に近づこうとすれば存在とか、そう言ったものごと喰われる気さえする。というか実際、ここに来てすぐの頃に一度喰われかけた。
その時は何とか能力で逃れられたが、それ以来なるべく近づき過ぎない様気を付けている。
HSBにしたって、今の彼女の命運は連中に握られている様なものだ。
連中が神議会辺りに「《黒炎の魔女》が暴れた」とでも言えば、それだけで全てが終わる。
もし今ここで彼女が行動しても中途半端な被害しか出せない挙句、最悪周囲一帯ごと焼かれて終わるのがオチだ。
ただHSBもアレには下手に手を出せない様で、未だに状況が膠着していることだけは幸いというべきか。
(だからどうせ今回も何も起きない、何も変わらない)
安心というより諦観というべき彼女の思考は、三百年の停滞の中で積み重ねてきた不信の結果だった。
(ヒトバシラ委員会ねえ……。昔は人類の上に立つ凄い人達って感じだったけど、今じゃただ偉そうにしてるだけって印象しかないなあ)
ここに着いたばかりの頃は、この状況をどうにかしてくれるかもと期待していた。
彼女には到底考えもつかない手段を使って、アレに憑かれた状態でも普通に暮らせる様にしてくれるかも──最初の数年はそう思っていた。
十年と少しが経つ頃には、まだなのかと少しだけ苛立ちを覚えた。
しかし、事件の少し前に大陸の反対側で信者会との大きな衝突もあったと聞いたし、その頃はまだ大戦の傷跡が大陸中に残っていたのでその所為で少し対応が遅れているだけだと思っていた。
だか数十年も経つと、その心には段々と不信感が募ってきた。
更に施設に来て十年が過ぎた頃から薄々感じてはいたが、アレは魔力やよく分からない能力だけで無く、不老の肉体も魔女への加護とした様だった。
いくら待っても進展の無い現状がこの先何百年も続くかも知れないという事実は、彼女の焦りと苛立ちを更に駆り立てた。
百年が過ぎ、もう五十年が過ぎた頃には彼女の中に他人を信じる心は既に無くなっていた。
かと言って自分に何が出来る訳でも無い。
しかし、この現状は認められ無い。
そんな堂々巡りをこの百五十年間ずっと繰り返してきた。
そしてこれからも続けていくのだろう。
全てに対して諦観し、自分でも知らぬ間に彼女は絶望の淵に立つ。
それでも、彼女が見つめ続ける最後の希望。
「しばらくしたら迎えにいく……。だから、それまで待ってて……」
あの日、姉妹で交わした最後の約束。
彼女達姉妹が再会出来る日こそが、彼女が今最も待ち望むものだった。
(……諦めない。いつか……、必ず……っ!)
そう自分を奮い立たせて、それからゆっくり意識を浮上させていく。
いつもと変わりない日々、いつまでも変わらない日々。
そんな時の流れの中で、再会の──《黒炎の魔女》が普通の少女に戻れたいつかを夢見て。
彼女はその目を今日も、代わり映えのない現実の世界へと向けていく。
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side ???
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旧世界──2000年代までの人間社会に普及していた宗教の多くは、天というものを神の座す場所として神聖視してきた。
啓示宗教における天国然り、仏教やヒンドゥー教の天道然り、更にギリシャ、エジプト、マヤ、アラビア、メソポタニア、スラヴやケルトにゲルマンなど、多くの神話で天は神格化され人々から信仰を受けた。
古来より人々は天の遥か上には神々が住まうと考え、天を仰ぎ、焦がれ、畏れ敬い続けてきた。
そして当然神々からの御使も神聖視され、天より舞い降りるとされた御使達には空を飛ぶ為の美しい羽根があるとされた。
人々はその美しい羽根を持つと謳われた御使達を──天使、と呼んだ。
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光の差し込む礼拝堂。
ステンドグラスを通して極彩色に変じた光は、壁を、床を、絨毯を、長椅子を、教壇を、思うが儘に染め上げる。
部屋の入り口から真っ直ぐに引かれた絨毯と、その先に置かれた小さな教壇。
絨毯の両脇には簡単な作りの長椅子が十列程置かれ、堂も隅には大きな柱が何本も屋根を支えている。
その全ては簡素な見た目のもので、なおのこと斜光の主張を際立たせていた。
赤、黄、緑、青。
様々な光が自由に己の色を主張する中、ある一点だけはその極彩色をものともせず圧倒的な存在感を放っていた。
礼拝堂奥の教壇より少し下がった場所。
入り口から真っ直ぐ引かれた絨毯の上にそれは佇んでいた。
手を組んで膝を突き、祈りを捧げる様な姿勢で佇むその影だけは、光に彩られて尚別種の存在感を纏っている。
絹糸の様に長く滑らかなアイボリーの髪と、その隙間から覗く目を閉じた中性的な顔立ちは完全に人のそれとは別次元の美しさで、見る者にその影が高尚な存在だということを思わせる。
純白の布を何枚か合わせて作った長袖の貫頭衣の様な服は、光を受け己の主を飾り立てる様にキラキラと輝き、その裾から伸びる手足や首筋はまるで陶器のように白く、生命を感じさせない儚さと美しさを放つ。
何よりその影を引き立たせるのは、その背についた──三対六枚の大きく白い羽根。
祈りを捧げる間はなるべく小さくしようと畳まれているのだろうが、それでも一枚一枚が身の丈の二倍以上はあろうかと見える純白の羽根ではかえって巨大な繭のようで帰って存在を主張している様だった。
仮に誰か人間がこの光景を見たらこう思ったことだろう──天使が祈っている、と。
極彩色と静寂が包む礼拝堂の中、祈りを捧げる一人の天使。
絵画の中にでも迷い込んだとも思える幻想的で神秘的な空間は、一人の来訪者によって一時の終わりを迎える。
ガチャ、と礼拝堂の入り口が開かれる音がした。
入り口付近にはステンドグラスからの斜光が届かない所為で薄暗く、そのままでは来訪者の顔はよく見えない。
来訪者が開いた扉から礼拝堂の奥へ歩くにつれ、段々とその姿があらわになって行く。
長く少し癖のある緋色の髪をした女性で、その顔も人とは思えない程に整っている。
ただ何か怪我でもしているのか、その左頭部には包帯が巻かれていた。
教壇前で祈っている者と同じような服を着て、背中からも同じく純白の羽根が三対生えているのを見るに来訪者も同族なのだろう。
祈る人影すぐ近くまで来た来訪者は、祈祷中のその姿を見るとすぐ近くの長椅子に腰掛けた。
そしてまた暫くの間、礼拝堂を静寂が包む。
それから約十数分が経った後、祈っていた方の者がその手を下ろし目を開た。
祈り終えたその者は、すぐ近くの長椅子に腰掛けていた来訪者に声をかける。
「待たせちゃってごめんね、ギャビー。私に何か用でも?」
そう言って来訪者の女性──ギャビーと呼ばれた者の方を向く。
「いや、時間が少し空いたから久々に話でもと思っただけだ。こちらこそ祈祷の邪魔をしてすまなかった」
「大丈夫、祈りは最後まで言えたから」
そう言って笑いながら近くの長椅子に腰掛ける。
「そういえば最近話してなかったし、確かにいいね。でも何を話そうか……。お互いの近況とかかな?」
「それだと私達は、業務の話しかしそうに無いな」
「あはは、確かに。でも仕方ないって。お互い立場がある身だし、ギャビーだってさっきまで騎士達の所に行ったんだよね?」
「ああ」
どちらも人を超越した美しさを持ち、片や女性、片や性別の区別が付かない見た目をしている二人の会話は、御伽噺の中から抜け出してきた姫同士の談笑にも見えた。
「みんなどんな感じだった?」
「皆よく鍛錬に励んでいたさ。特に今日は赤のが直接しごいていたからな、何人か倒れてラフの所に運ばれていたよ」
「それはいいことだね。ただ倒れるまでやるのは少し頂けない、赤騎手には後で小言でも言ってやらないと」
「確かにな。ただしお手柔らかに頼むぞ?お前は私達のリーダーだ、そんな奴から直々にお叱りがあれば誰だって萎縮してしまう」
「彼がそれしきで大人しくなるとでも?」
「それは無いな。じゃあ前言撤回だ、存分に頼む」
あはは、フフッと、言い終えてお互い笑いをこぼす。
それらは気のおけない長年の友同士での会話そのもので、二人の相手への信頼が見て取れた。
それから暫く、他愛の無い雑談が続く。
お互が最近していること、知人は如何しているか、好きな食べ物、何処の景色が良かったか、etc.
二人の会話は終始楽しげなもので、久しい友人との時を心から堪能している様だった。
「……さて、大分話せたことだしそろそろ行くとするよ」
「もうかい?じゃあ私も行くよ。久々に話せて良かった、ありがとうギャビー」
長い談笑の後、二人は立ち上がり共に礼拝堂の扉へと歩いて行く。
「私はこの後他の天使達の方に行くけど、ギャビーはどうするの?」
「騎手達のところだな。ラフやサリィのお陰で大分回復してきた、今の内に細かな確認もしておきたい」
ギャビーと呼ばれる女性が、頭に巻かれた包帯に触れながら続ける。
「白のの奪還も近いしな。今度こそ──絶っ対に、私はあいつを助ける」
「うん、勿論だとも──」
決意に満ちたその声に、アイボリーの影は同調するように頭を揺らした。
「先の大戦で彼は、最前線にその身を置き勇敢に戦い抜いた。その結果彼は大地に縛り付けられ、奴等は彼を殺すどころかその身を喰らい、あまつさえ私達へと刃を向ける礎とした」
語りながらに薄くなって行くその目は、激しい怒りと確かな憎悪に染まっている。
「なんて冒瀆的で残忍なことか。彼の意思も覚悟も全てを無下にして、無理矢理同胞を傷付ける為に利用するなんて!──そんなこともう絶対にさせない!」
抑えきれない怒りに震え、段々と語気が強くなって行く。
独自の誠実さと高潔に基づいたその憤りは、正しくある様にも、酷く独善的な様にも見える。
ただその根幹には、仲間への敬意と思い遣りが見て取れた。
「──だから頑張るんだ」
突然落ち着いた語気とは反対に、絨毯を踏みしめる歩みは次第に速くなって行く。
「二百年間、封じられた彼の為に。三百年、捕らえられ続けている彼の為に」
ギャビーを置き去りにして扉の前へと向かい、そのノブに手を掛ける。
「奪還の日は近い。……あの腑抜けた寄生虫共に、目に物を見せてやる──」
ガチャ、と。
扉を開いた音がした。
その扉を開けた者の顔は、この世の何よりも冷たいと思える程に冷め切っていた。
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神霊や精霊、人類や妖精に悪魔など、多くの種族が住まい、入り乱れ、共存する世界のお話。
その中でただ一つだけ、自分達以外のほぼ全てを敵に回し戦い続けている集団が居た。
ある者は銀色の甲冑を身に纏い、またある者は命を量る天秤を携えて。
支配の証である王冠を被り、戦を起こす為その手に剣を鬻ぎ。
そして、ある者は──その背に神々しい羽根をはためかせ。
全ては主の為にと大地を駆ける戦士達を人々は騎手と呼び、天から舞い降り裁きを下す審判者を天使と呼んだ。
そしてそれらは、敵対する全ての存在から総称してこう呼ばれている──信者会、と。
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side 風哭領 憐天城
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「ふ〜ん♪ふふ〜ん♪ふん〜ふ〜ん♪」
蝋燭の灯一つに照らされる薄暗い部屋の中、楽しげな調子の鼻歌が聴こえる。
部屋の様子は六畳の和室で、室内には文机や座椅子、書簡台に花台など様々な物が置かれている。
それらは上等そうな見た目ながらも、その全てに統一感というものが無く、チグハグな印象を感じさせた。
更に部屋の隅に目を向ければ、大小や形が様々な箱に妙な形の置物、この場にそぐわない西洋風の燭台に何に使うかも分からないガラクタまで色々な物が転がっている。
故意に飾られているとは到底思えないその光景は、正に子供の玩具箱といった感じだった。
「ふっふふ〜ん♪ふ〜ふ〜ん♪」
そんな雑多な部屋の中、鼻歌の主は脇息に凭れ掛かり上機嫌そうに上を向きながら歌い続ける。
歌い手の見た目は十代半ばのアジア系の少年で、綺麗に整えられた黒髪とその下に見える悪戯っ子染みた笑みは何処か腕白小僧の様だ。
部屋の中で気を抜いているのか、少年の着ている直垂は所々が着崩れてしまっている。
白を基調として所々に黄色のラインが入った直垂は一見して上等そうだが、着ている本人の所為で残念な印象を与えてしまっている。
「ふふん♪ふ〜ふん♪ふ〜♪」
小さな火の明かりに照らされて、少年はご機嫌な歌を歌い続ける。
一体何がそんなに楽しいのか。
少年の目は瞑られていてどこを見ている訳でもない。
室内は鼻歌以外は静かなもので、特に面白いものが聞こえてくる訳でもない。
それなのに少年は楽しそうに笑い、歌い続けている。
「──ん〜ん♪……ふぅ」
暫くして続いていた歌が途切れる。
どうやら満足した様で、一息吐くと顔を正面に戻し、目を開く。
ただしその口角は未だに少し上がっていて、まだ楽しそうな表情のままだ。
少年は目線をゆっくりと自分の前に置かれた文机に落とす。
文机の上には何も無いが、それでも少年は楽しそうに、嬉しそうに、より一層笑みを深める。
「──あぁ、今頃キルカの奴は依頼書見て呻いてるんだろうなぁ……」
左手の指で文机の縁をなぞりながら呟く。
悪戯に成功した様な──というより実際に悪戯に成功したことを喜ぶその声は恍惚としていて、少年という見た目に似つかわしく無い程度には不気味な光景だった。
「まぁ仕方がないさぁ、なんたってあの真宮ちゃんがキルカしか居ないって言ったんだしね?恨むなら自分の特異性を恨みなよ?」
「あぁ楽しい」と呟いて、堪え切れなかった笑い声が口の端から溢れる。
少年の笑みは相応以上の幼さこそ感じさせるが、無垢や無邪気という言葉とは程遠くまるで毒林檎を作る魔女の様だった。
「取り敢えずこれでキルカと食祭式を近づけさせる大義名分は揃えた……。あぁ師匠、なんで貴方がキルカを警戒しているのか……、今回で理由尻尾くらいは掴めるでしょうか」
邪気を孕んだ笑みの中、ここに居ない者への問い掛けを呟く。
「何か知っているのでしょう?隠しているのでしょう?なにせ師匠はあの悪魔との契約者なのですから」
口調は丁寧ながらも、言葉に込められた感情は敬意とは程遠い。
人を食った様にも感じる少年の声は、仄暗い部屋の中で他の誰にも聞かれずに消えていく。
「にしてもこれから何が起こるのか……。ネルも真宮ちゃんも未だに正確な予知は出来てないってことは、キルカが関わってくることなんだろうけど」
そう喋る声のトーンは落ちていて、楽しげだった少年が思案の海に少しだけ落ちて行っているのがわかる。
「そもそも運命にも未来視にも観測されないってこと自体がイレギュラーだし。力の強い奴が運命を振り切ることは間々あるけど、キルカのあれは全くの別物だった……」
暫くの間、考えに耽りぶつぶつと独り言を漏らしていた。
かと思うと急に立ち上がり両腕を掲げ、勢いのままに嬉しそうに声を上げる。
「あんなイレギュラー神にだって居ない!食祭式だって神議会でも手を出さない例外の一つだ!そんなキルカと食祭式のぶつかり合いなんて……」
急に語調が静かになったかと思うと、掲げた両腕を降ろし自身の体を抱きしめる。
そして地面から足を離し、文字通り空中に浮きながら、浮かれた声音で言った。
「──そんなの……、そんなの絶対に楽しいに決まってるじゃんか……っ!」
身悶えする様に空中でくるくると回転しながら、然りに「あぁ」、「いいねぇ」などと呟いている。
側から見ると楽しそうだとか怪しいとか以前に、まず気持ち悪いくらいにはしゃいでいる。
しかし部屋には少年一人の為、それを指摘する者も咎める者も今は居ない。
「……あぁ、ほんっとうに楽っしみだなぁ」
一頻り喜んだ後、空中に浮きながらではあるが正気に戻った様に比較的落ち着いた口調で呟く。
それでも楽しそうな雰囲気は拭い切れてはいないが、先程の醜態よりは幾分もマシだ。
「ただ、その時に自分が行けるかが微妙なのがなぁ……。よりによってこの時期に《冥王》から呼び出しがあるなんて……」
そう語る少年の表情は心底残念そうな色をしている。
「それまでに間に合うかなぁ?間に合うといいなぁ……」
ボヤッとしながら自身の願望を溢す。
「まぁ間に合うでしょ。間に合わなくても無理矢理行けばまぁ……、《冥王》なら許してくれるでしょ」
詳しく知りもしない要件について独り合点する。
少年は、そのままくるくる回ったまま「楽しみだなぁ」と延々とぼやいていた。
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side 日本区 勠研
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りりりりー、と。
その朝、朝黄 正薇はいつもと同じアラームの音で目を覚ました。
今正薇が寝泊まりしているのは、正薇が通う学園──勠研総合学園に併設された学生寮である。
隣部屋に配慮してかアラームの音は控えめだったが、それでも正薇はちゃんと身を起こし枕元に置いていた端末を操作してアラームを止める。
ぼやけている眼を擦りながらシーツを剥ぎベッドから出ると、正薇の容姿がまだ淡い朝日に照らされた。
150cm少々のまだ低い身長に伸びきっていない手足、朝日を受けて薄く輝く銀色の長髪、少し吊り目気味だが庇護欲を沸き立たせる様なまだあどけない顔立ち。
そこに居たのは、寮暮らしをするにはあまりにも幼く思える少女だった。
それもそのはず、正薇は今年の五月に十二歳になったばかりで今も学園の初等部に通っているれっきとした児童だ。
まだ頭がぼやけたままの正薇は、ベッドに座りながら小さく伸びをして立ち上がる。
「…ふぁ」
小さい欠伸を漏らしながら洗面所に歩いていく。
勠研にある学生寮の大半は所謂1DKと呼ばれる部屋の作りをしている。
玄関を入るとまず小さな空間がありその横にTL、正面にダイニングキッチン、さらにその奥に寝室、そして風呂や脱衣所がある造りになっている。
その為寝室から洗面所へは扉を一つ開けるだけでいい。
洗面所に着くと棚から歯ブラシと歯磨き粉を取る。
歯磨き粉は風味付けなどが全くされていない大人用の物だったが、気にすることなく歯ブラシにつけてしゃかしゃかと歯磨きしをする。
しゃかしゃか、しゃこしゃこ。
5分程続けた後、嗽をして口の中を洗い流す。
その後、水でばしゃばしゃと数回顔を洗ってから棚にかかったタオルで顔を拭く。
その頃にはすっかり目も覚めた様で、キッとした吊り目もハッキリとしている。
そのまま寝室まで戻ると今度はキッチンまで歩いていく。
キッチンに入ると、スタスタと冷蔵庫の前まで歩いて行く。
正薇には些か大きい冷蔵庫を開け、中から食パンの袋を取り出す。
その中から食パンを一切れ取ると、近くに置いてあったトースターに突っ込んだ。
袋を冷蔵庫に仕舞った後は一度寝室に戻り部屋の奥に置いてあった箪笥の中から、学校の制服を取り出した。
テキパキと着替えを済ませ、いつも愛用している髪留めで髪を括り、寝巻きを洗面所横の洗濯機に放り込む頃に、キッチンの方からチーンという音が聞こえてきた。
しっかり制服が着られていることを確認してからキッチンに向かい朝食の準備をする。
食器棚からコップとバターナイフ、皿を一枚取り出してダイニングテーブルに並べていく。
冷蔵庫から牛乳とバターを出し、トースターから取り出したトーストを皿の上に置くと、自分も席に着き「いただきます」と手を合わせて朝食を摂り始める。
食事中も背凭れに身を預けず、背筋を正したまま食べる姿からは正薇の育ちの良さが窺えた。
十分少々で朝食を食べ終えると「ごちそうさまでした」と手を合わせ、食器類をシンクへ持っていく。
そのままシンクで洗い物をして、それが終わると手を拭き寝室の方は歩いていく。
寝室のラックにかけてあった鞄を手に取り、中身を確認する。一応昨晩に持ち物は用意したはずだが、念の為というやつだ。
「よし……、忘れ物は無わね」
持ち物確認を終え、部屋にかけられた時計を見る。
「出るまでまだちょっと時間あるし、本でも読もうかな」
そう言って枕元に置いてあった本を手に取りダイニングの方は歩いていく。
その本の作家は元々は正薇の父がは好きだったのだが、父がよく読んでいるのに興味を持って正薇も読んでみた。
その結果親子揃って趣味は似る物で、今では正薇自身もすっかりその作家が好きになっていた。
手に取った本も実家から父に頼んで送ってもらった物で、二日前から隙間時間の楽しみとして少しづつ読み進めている。
それから約十五分程、出発の時間になったのかダイニングテーブルで黙々と笑顔で本を読み進めていた正薇は端末で時間を確認し、本を鞄に入れると足速に玄関へと向かっていく。
靴を履き、もう一度軽く荷物を確認した後、ドアノブに手をかける。
「じゃ、いってきます」
誰もいない寮室に登校の挨拶を投げかけた後、正薇は元気に学園へ向かって行った。
レナ視点、書いてて長いなぁと思ったんです
でもレナは別に今のところ、この章の中心人物にもヒロインにもなる予定ないんですよねぇ……
でも最初書いた時1万2000字くらいあったんです。それを6,000字弱は……頑張った方ですかね?




