2.彼の横顔とカーステレオ
川村和子は同棲していた男と別れて東京に出て来ていた。娘の奈美恵とは男と同棲を始めた頃に縁を切った。奈美恵が邪魔になったからという訳ではなく、同棲していた男が奈美恵に興味を持っているようだったからだ。奈美恵のことを案じてそうなるように仕向けたのだ。それから奈美恵とは一切音信不通になっている。
東京に出て来た和子はいくつかのパートを掛け持ちしながら、静かに暮らしていた。その日はスーパーのレジの仕事に行っていた。そんな和子を物陰からこっそり見ている男が居た。最近まで同棲していた吉田孝だった。
吉田は和子が仕事を終えて出て来ると、その後を尾行した。そして、和子のアパートを突き止めた。和子が部屋に入るのを見届けると、吉田はすぐに後を追って部屋に入って行った。
「こんなところに隠れていたのか…」
部屋に入って来た吉田の姿を見て和子は驚いた。
「てっきり娘のところにでも行ったのかと思ったけどな」
その吉田の言葉に更に驚いた。
「娘とは縁を切ったのよ。どこで何をしているかも知らないわ」
「本当か?東京に行ったと聞いたから、てっきり娘のところに行ったと思ったけどな」
「奈美恵が東京に居るの?」
「なんだ、本当に知らないみたいだな」
和子はまずいと思った。吉田は奈美恵の所在を知っている。奈美恵が危ない。けれど、和子には奈美恵と連絡を取る術がなかった。
奈美恵が駐車場に下りてきた時、1台のRV車が入って来た。運転席の窓を開けて顔を出した男が微笑んだ。
「今から出勤か?」
「トシさんお帰りなさい。はい。これからお店に行くところです」
「ちょうどよかった。送って行くよ」
「大丈夫ですよ。それに、送って貰ったら帰りが困るもの」
「店が終わる頃に迎えに行くよ」
俊彦はそう言って、助手席のドアを開けた。
奈美恵はいつも自転車で店に通っている。たまにこういう風に俊彦が送ってくれる。仕事を終えた小林が迎えに来ることもある。
奈美恵がここに転がり込んだのはちょうど1年前の今頃だった。
助手席に座った奈美恵はたまに俊彦の横顔を見る。奈美恵は運転している俊彦の横顔が好きだった。
「クリスマスには店を休めそうか?」
「はい。新しい子が入るから。人手は足りると思うわ」
「まあ、お前の頼みならマスターも断れないだろうけどな」
「ダメダメ!“ペニーレーン”では私はただの従業員なんだから。トシさんや巌ちゃんとの関係は持ち込みたくないの」
俊彦が奈美恵をそばに置いているのは単に麻紀に似ているからだけではない。奈美恵のこういう性格が気に入っている。
カーステレオからは広瀬香美の曲が流れている。
吉田がどこから奈美恵の居場所を調べたのかは検討がつく。以前、奈美恵と付き合っていた男が尋ねてきたことがあった。まともな筋の人間でないことは和子にも解かった。組はつぶれたと聞いていたけれど、その辺りの人間と吉田が付き合い始めたのは和子も知っていた。和子が吉田と別れたのもそれが原因だった。
「なあ、娘と一緒に暮らしたいとは思わないか?」
「もう、私には娘なんて居ませんから」
「じゃあ、娘がどうなろうと関係ないな」
そう言って、薄気味悪い笑みを浮かべた吉田を見て一美はぞっとした。縁を切ったとはいえ、それは奈美恵のためにしたこと。たった一人の身内でもある奈美恵を和子は心から愛していた。その奈美恵に災いが降りかかろうとしている。和子は咄嗟に台所の包丁を手に取った。そして、吉田めがけて突進した。吉田はあっさりかわすと、和子の手から包丁を奪った。
「やっぱり、娘は可愛いよな。だったら、妙なことは考えるな…」
吉田は和子から奪った包丁を和子の顔の前にちらつかせた。
「解かったか!解かったなら、しばらくの間、ここに厄介になるからそのつもりでな」
それから、吉田は冷蔵庫を覗いて和子に言った。
「ビールくらい入れておけよ」




