1.珍しい来局とマッチョ君
珍しく若田部が“ペニーレーン”で飲んでいる。“ペニーレーン”はそもそも若田部の店なのだが、店は系列会社の栄建設に任せている。本人がそこで飲むのは今日が初めてだった。
マスターは若田部とはこの日初めて顔を合わせた。カウンターの隅っこで直立不動で若田部が飲んでいるのを見守っている。系列会社のトップ東栄会の会長でもある若田部巌は系列会社の下っ端ではめったにお目にかかれない、いわば雲の上の人なのだ。マスターが緊張して固まってしまうのも無理はない。そこでもっぱら若田部の相手をしているのはまだ若い女の子だった。
「今日は何かあったんですか?」
「何かないと来ちゃいけないかね」
「そんなことは無いですよ。私は巌ちゃんにお会いできてうれしいですけど」
「奈美恵ちゃんはいつも嬉しいことを言ってくれる」
「おっと、ここではマリですからね」
「ああ、そうだったな」
川村奈美恵は1年前のある事件がきっかけで若田部とは親しくしている。奈美恵が居候している部屋の持ち主でもある黒木俊彦の妻、麻紀を11年前に若田部が死なせてしまった。奈美恵はその黒木の亡くなった妻、麻紀にそっくりなのだ。1年前、奈美恵の元彼が巻き込まれた事件がきっかけで、当時の黒幕を逮捕するに至った。それ以来、若田部にとって奈美恵は特別な存在になっていた。
「もうすぐクリスマスだな…。今年はどうするんだ?」
「トシさんと軽井沢に行ってきます」
「そうか。軽井沢に…」
その事件の舞台が軽井沢だった。1年前の事件も、11年前の事件も。若田部は感慨深く当時のことを思い浮かべていた。そんな時、店のドアが開いた。顔を出したのは小林という男だった。
小林は店に若田部が居るのに気付くと、そのまま店を出てドアを閉めた。
「あっ!マッチョくん」
奈美恵は小林を追って店の外に出た。
「ちょっと!せっかく来たのにどこに行くの?」
「だって、今、組長が…」
小林は若田部の運転手をしている。毎日顔を合わせているし、そこそこ冗談も言い合える立場ではあるが、プライベートで顔を合わせるのはさすがに恐れ多いと言ったところなのだろう。
そんな小林を奈美恵が引き止めていると、若田部が店から出て来た。
「どうも、俺が居ると営業妨害になるようだな」
「と、とんでもないです」
そんな小林の肩をポンと叩いて若田部はその場を去った。
カウンター席に座った小林は瓶のバドワイザーを一気に飲み干した。
「いやー、びっくりしたなあ。まさか組長がここに居るとは」
「マッチョくん、組長なんて言ったらまた叱られるわよ」
「いけね。そうだった。ところで組長は何しに来たんですか?」
「ほら、また!」
「あっ!」
小林は咄嗟に口を押えて、ドアの方を見た。そして両手を広げて“セーフ”のポーズをして見せた。
「そうね…。クリスマスに何をするのか聞かれたけど、それ以外は普通に話をして飲んでいただけよ」
「ふーん…」




