9 再び王都へ
王都へと向かう街道を懸命に荷車を曳き、そして押す者たちがいた。車輪がついてはいるものの、お世辞にもスムーズとは言えず、さりとてゆっくり歩めば楽かといえば決してそんなことはなかった。ガタガタと音を立てて揺れる車体を押し立てながら、その一団はあゆみを進めていった。
「重いですねぇ」
「カノン様、どうか馬車でお休みください」
「いいえ、ニコラ様こそお疲れでしょう」
ようやく完成した屋台を、サントモール村の村長や職人たち、ゴルゴンゾーラ町の仲間、そしてニコラの部下たち十数名で小隊を組み、運んでいたのである。空は快晴。爽やかな風が皆の頬を撫で、汗ばむ額も心地よく乾いていくのだった。
「嬢ちゃん、そろそろ着くべよぉ」
先頭を守りながら進むニコラの部下たちやリルルとともに歩んでいた村長が、嬉しそうにカノンたちへ声を上げた。やや小高い丘を先に登り切った村長が、王都に聳える王宮殿の頂を見つけたのだ。王都の城下町までは、あとほんの少しの距離であった。
「いよいよですな」
「そうですね……大丈夫でしょうか」
「私たちがついておりますぞ。カノン様なら、きっと皆さん喜ばれるはずです」
カノンの胸中には、不安よりもはるかに重いものが渦巻いていた。不条理な理由で婚約を破棄され、そればかりか王都を追放された過去。そんな癒えぬ傷を負わされた場所へ、もう一度戻ることになろうとは。カノンにしてみれば、二度と足を向けることはないと考えていた地である。そこへ今一度、カノンは降り立つ覚悟を固めていた。
通行証を門衛に示し、ニコラ一行は滞りなく王都城下町の門を通過した。あらゆる場面や人脈に顔が効くニコラが率いる隊とあっては、門衛のほうが恐縮して頭を下げている始末であった。
「ドキドキしました」
カノンは懸念を口にしつつも、目を細めるその顔はすこぶる楽しそうであった。
「ははは、こういったお忍びもちょっとした娯楽になるものですな」
ニコラも朗らかに笑い声を上げた。胆が据わっているとはまさにこのことか、これぞ一地を統べる主としての風格であった。
王宮へと続く城下町を進むうち、カノンはふと違和感を覚えた。いや、嫌な予感はすでに的中していたのだ。追放された頃の街並みとは、あまりに懸け離れていた。人影は激減し、至る所に草が生い茂り、街全体に手入れが行き届いていない。それどころか、野ネズミを狙う小魔物までもが草むらに潜んでいる有様だった。
すっかり変わり果ててしまったこの土地で、自分に一体何ができるのだろうかとカノンは深く思い巡らせた。このような姿に落ちぶれたのも、ひとえに己の責任であるように思えてならなかったのである。
脳裏に過ぎる過去の残滓に苛まれ、カノンは思わず足を止めてしまった。胸を強く抱え、猛烈な心の痛みを耐え忍ぶ。冷や汗があごをつたい、息苦しさに呼吸が乱れた。
その時、不意に肩へずしりと温かい重みが載せられた。
「カノン様」
ニコラがカノンの両肩を強く抱き寄せていた。人目を憚ることなく、ニコラは不安にかられるカノンの震えを熱い抱擁によって受け止めた。
「私では、力不足でありましょうか」
不器用な言葉ではあった。だが、カノンにとってはそのひと言で十分だった。いかなる言葉よりも、目前に広がるどんな光よりも、この温かく重厚な肉の厚みは何よりカノンの細く怯えた心を深く癒やした。
カノンはニコラの胸に吸い込まれるように、自らの身体の重みを委ねた。ニコラの打つ高鳴る心音を、カノンは頭の骨を通じて直に感じ取っていた。
「いいえ……ニコラ様、わたくし、あなた様がいてくださるだけで、何だってできますわ」
一瞬微かに瞼を見開いたニコラだったが、そのまま静かに目を閉じ、カノンをいっそう強く抱きしめた。
「この辺りがよさそうじゃの」
サントモール村の村長たちが選んだ場所は、城下町の中央に位置する広い公園であった。そこから東西南北へ街の街道が伸びており、王宮から離れた位置であるため、多少目立つ行動をとっても注視されにくいと判断したのだ。
「では、まずはこの一帯だけに」
カノンはそう呟くと、魔法を唱えた。微かな色すらうかがえないほど薄い、ベールのような結界であった。一見質素に思えるその結界であったが、張り巡らされた瞬間、一行は明らかに周囲の空気が変わったことを察知した。
直射日光が一気にやわらぎ、初秋の空気はいっそう爽やかさを増す。近隣に潜んでいた野獣や魔物は即座に立ち去る気配を見せ、萎れていた草花はすぐさまのびやかに立ち上がっていった。
「おお……もうこれほどまでに違いを感じられるものなのか」
ニコラは驚嘆した。かつてかすかに感じていたセリーヌの、形ばかり絢爛な結界との格段の差を肌で感じ取った。
「うはは、やっぱり嬢ちゃんの結界はちげえや」
「さぁ、やるぞい。嬢ちゃん、わしらは街の住人に声をかけてくるでの」
村長やお付きの職人たちも歓喜し、すぐさま屋台へと人を呼び集めるべく駆け出していった。
カノンは屋台の設営に取りかかった。
「今日は初日ですので、簡単なスープにいたします」
カノンは手際よく調理を始めた。公園の噴水近くにある井戸から、ニコラが水を汲んできてくれた。食材は薬草やハーブ、野菜や果物とともに、小さくちぎった小麦の団子を煮込んでいく。特別な味付けではなく、派手な彩りもない。だがカノンは、心を余すことなく込めたこのスープで、王都城下町で苦しむ人々を癒したいと願っていた。その一心で料理を完成させたのである。
やがて村長たちの呼び込みが功を奏し、さらに漂う温かなスープの匂いに引き寄せられ、街の住人たちが公園へ集まり始めた。カノンの屋台を目指し、列をなして一直線に足を進めてくる。
「なんだなんだ」
「美味そうな匂いだぞ」
人々の顔色は酷く悪かった。青ざめ、生気を失った者ばかりである。カノンは痛感した。もしあと一歩到着が遅れていれば、取り返しのつかないことになっていたかもしれない、と。不安と安堵が交錯し、カノンは一瞬悲しみに沈みかけたが、本来の目的を思い起こすようにすぐさま胸を叩いて自分を奮い立たせた。
「みなさん、こんにちは。今日は身体に優しいお料理を召し上がっていただきたく、炊き出しに参りました。無料ですので、遠慮なさらずたくさん召し上がってくださいね」
ほっかむりをし、エプロンを身に纏ったカノンの姿は、一見するとただの配給係の料理人に映ったことだろう。笑顔の陰には悲しみと些かの憤りが隠されていたが、カノンはどこまでも慎ましい一市民を演じきった。
「なんだこれ……すごく温かい……」
「久しぶりだ……こんなに美味そうなものは……」
職人たちが拵えてくれた大量の木製の器へ、慎重にスープを盛り付けていく。具材の偏りが出ないよう、一杯一杯心を配りながら注いだ。
「焦らず召し上がってくださいね。おかわりもたくさん用意してございますから」
普段口にしない急な滋養は、時に胃の負担となる。カノンは住民たちの身体を気遣い、ゆっくり噛み締めるよう声をかけた。いかなる大人数にも対応できるよう食材は潤沢に備えてあり、時間の許す限り振る舞い続けた。
「おお……咳が止まった」
「魔物にやられた毒が消えていくぞ」
「あんなに肌を刺していたピリピリとした痛みが引き散っていくわ」
住民たちの口から漏れる声に、カノンは心の底から胸を撫でおろした。カノンとニコラが切望した通りの結果であった。二人が画策したこと、それは、カノンの手料理によって王都の人々を救済することに他ならなかった。
住民たちは口々にカノンの料理のおかげだと歓声をあげた。久方ぶりの活力を取り戻し、人々は歓喜に沸いた。これが一日限りの取り組みで済むものではないことは、カノンも重々承知している。どれほどの期間この活動を継続すべきかは知る由もなかったが、果てなき試練に立ち向かう覚悟を定めたカノンとニコラの表情は、穏やかで、どこまでも優しさに満ちていた。




