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婚約破棄された聖女、辺境の地で平和なダイニングを開く  作者: 藤沢春


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8 理不尽

 ニコラ・ヴァランタインがカノン・バーガンディの()む森に訪れる周期は、時折天候によって多少は左右されるものの、ある時から決まった曜日に幾分か(さだ)まっていた。

 しかしある日を境に、カノンはその周期にズレを感じた。その間隔が大きく異なることはそれほどなかったが、決定的に間が空いた時があったのだ。


 そこでカノンは、ニコラがようやく訪れたその時に切り出してみることにした。


「ニコラ様、もしお答えになりにくいようでしたら結構なのですけれど」

「カノン様、承知しております。私がここへ参ることについてでございますよね」


 ニコラはすぐにカノンの表情で察した。あからさまに顔に出ていたのかとニコラに背を向け顔をまさぐるカノンであったが、ニコラはすぐにその理由を説明するのだった。


「実はですね、私は時折王都へ招集がかかるのですよ」


「わたくしが初めてニコラ様とお会いしたあの日についても、確かそのようなことがあったとおっしゃっていましたよね」


「ええ、定例会議のようなものなのですが、各地域の首長(くびちょう)が王都に一堂に(かい)する機会がありまして。普段でしたらあの時のように季節の変わり目あたりに行われるのですが、ここのところちょっとした異変により王都周辺が混乱を極めているせいで、度々(たびたび)召集されているわけです」


「異変……ですか?」



 カノンはこの神妙(しんみょう)な表情に変わったニコラを見て、これは少しただならぬことなのだと察知した。カノンは少しニコラを待たせて、冷たい紅茶をグラスに入れてニコラへ差し出し、自分もニコラの前に座って同じように冷たい紅茶を口にした。


「ふう、生き返ります。では続きを。実は申し上げにくいのですが、その……カノン様の後釜(あとがま)となった中聖女・セリーヌ様のお張りになる結界についてなのです」


「お気になさらないでください。わたくしにとって既に過去のものとなっておりますので。存じておりますよ。セリーヌ様の張る結界はとても『煌びやか』で『輝かしい』ものなのだとか」


 カノンはできるだけ皮肉に聞こえないよう配慮したつもりだった。


「そうですね。それがまた問題になってはいるのですが。そのセリーヌ様の結界がどうやら酷く『役立たず』であると思われます。いや、率直に申し上げてあらゆる面で問題だらけです」


 扱いづらい話題の問題点に対し、ニコラの表情は暗く、そして終始(うつむ)き加減であった。右ポケットから手拭いを取り出し、額の汗を拭う仕草は、一つの地方を統べる貴族とは思えないほどの焦燥感をカノンに与えた。


「失礼いたしました。続けます。具体的に言いますと、流行り病、直射日光と月光による皮膚や目の損傷、小型魔物の侵入、それによる農家の被害、そして今までよりもさらに酷い不公平税制の施行など、混乱というにはまだ生やさしいくらいのことになっております」


「まあ、それはなんて酷い…………なぜそのようになるまで放っておいたのでしょうか」


「セリーヌ様の張る結界に莫大な費用がかかることがまず最初の問題でした。それを問題視した文官どもが王子に相談し、結界の強度を下げたのが第二。そしてそれにより人体への影響や、維持費の高騰などによるものが主な原因でして。さらにそれをしばらく王政は隠蔽(いんぺい)しておりました。王子による指示だと思われます」


 カノンは絶句した。胸に手をあてたまま身体を硬直させ、背中に冷や汗がつたうのすらわからないほどだった。視線を落とし、肩を振るわせた。実際にまだその惨状を見たわけではないが、おおよその見当はつく。善良な市民が高税と流行り病に苦しみ、さらには農作物まで荒らされる生活を想像し、カノンは思わず(まぶた)を固く閉ざした。


「そのようなわけでございまして、いささかこちらへ参る時間が取れませんでした。いいえ、カノン様には関係のない話でございます。申し訳ございません」


 ニコラは殊勝な面持ちで手を膝につき、がくりと項垂(うなだ)れるようにカノンに詫びた。カノンはその姿を見てまた心を痛めた。なぜこのような一角の人物が、皆に愛され、慕われ、親しまれる人格者が腰を曲げて詫びるのか。世の中とはこれほどまでに理不尽なのかと、胸を鈍器で打たれたような痛みを覚えたカノンであった。

 そんなニコラを見て、この世を憂い、カノンは一つ頭に浮かんだことが明確な思いとなり、覚悟を決めた。


「ニコラ様、どうかお顔をあげてください。わたくし、少し考えが浮かびました」


 その神妙な面持ちをしたニコラがすっと顔をあげた正面には、眉を少しあげ、口角も少し上がっているカノンの絶妙な表情があった。






「屋台……?だべか?」


「ええ、こうなんていうか……大きな屋台!車輪をつけて……お鍋が二つくらい入るようなものなのですけど……できますか?」


 カノンは身振り手振りを交えながら、自分の思い浮かべるものを身体いっぱいに使って表現した。その説明を受けたサントモール村の村長や職人たちは腕を組み、首を傾げながら訝しげな表情でそれを見ていたが、ようやくなにかを掴んだのか一人の職人が一歩カノンの前に歩み寄った。


「嬢ちゃん……そいつぁ…………」


「む、むり…………でしょうか?」


「そいつぁ…………すんげえ楽しそうだなぁ!!」


 満面の笑みを浮かべながら奥歯を光らせる職人は親指を立てる。それをみたカノンとニコラはホッとした表情で、お互いを見つめ、これから起こそうとする事象に、不安と期待の面持ちを浮かべるのだった。



 そして目の前に仕上がったそれは、一般的な屋台の概念を大きく覆す代物であった。


 通常であれば縦横(たてよこ)一間(いっけん)ほどで、四方を開けば正面がカウンターに早変わりし、残りが物置となる程度の簡素な構造である。折りたたみの椅子やテーブルを添えるのが関の山だろう。


 だが、カノンが職人たちに依頼したのは、その倍近くもある特注品だった。中には寸胴鍋が二つ綺麗に納まり、食材の貯蔵庫やスパイス棚まで完備されている。まさに家庭のキッチンをそのまま外へ連れ出したかのような仕上がりであった。

 サントモール村には鉄職人も集まり、鍋や屋台の各部材を設計製造した。


 こうしてカノンの屋台は出来上がり、明日から早速ことを起こす準備を、カノンのダイニングにて二人は最終調整していた。





「うふふ、楽しみですね」


「ええ、私もとても楽しみであります」


「それにしてもわたくしの正体がバレませんでしょうか?」


「ははは、お気になさらず。カノン様の魔法をもってすれば大丈夫です。それに何かが起きましたら私が対処いたしますので」


「あまり物騒な事が起きませんように」


「ですな」


 カノンは素材や道具など、屋台に持ち込むものの準備をようやく終えて、二人分の温かい紅茶をテーブルにおき、ニコラが剣の手入れをしていたテーブルの対面に腰を下ろした。


「左腕のお具合はいかがですか?」


「ありがとうございます。はい、カノン様のおかげでこの通り、少年時代に戻ったかのようであります。本当に、感謝申し上げます」


 ニコラはそういうと、袖を捲った左腕を天高く持ち上げ、拳を握り、自身の胸の前で力瘤をつくる。以前はまだ血管の青い部分やあざが残っていたが、今やすっかり血色のいい肌艶と、溢れるような筋肉がそびえていた。


「本当に良かった」


「私は半分諦めておりました。父亡き後、このネオカントリーサイドをどう守っていこうかと……」


 ニコラはハッとして唇を閉じた。このような内情をぽろりと漏らすような事は今までなかった。ニコラの影を落とす瞼を見たカノンはかえって気を遣わせぬよう、しっかりと聞いておく必要があると思い、思い切ってニコラに聞いてみることにした。


「ニコラ様、良かったらニコラ様の人生の歩みを、お聞かせ願えませんか」


「ええ、いつかはお話ししなければと思っていたところです。では、僭越ながら」


 ニコラはそういうと、出されていた温かい紅茶に一口つけた。静かに(すす)るニコラは瞼を閉じ、ゆっくりと喉へと潤した。湯気がニコラの銀色の髪をつたい、このやや涼しくなってきた初秋の夜に、ティーカップが皿に置かれる音が響いた。




「父が亡くなって、はや五年になります」



 たなびく雲に隠れていた月明かりが窓を通して二人のテーブルを照らした。カノンは無言でカーテンを閉め、ニコラの続く言葉を待った。


「もともと私は剣士であると共に、王都防衛隊の一員でした。父はその頃前王の側近であり、魔導剣士でありました。非常に腕の立つ剣士であり、民からの評判もよく、王にはいずれ王宮の管理職を任せる旨を伝えられていました」


 ニコラは少し空を見つめるような視線で、カノンではないどこか遠くを眺めていた。


「しかしそんな折、ゲオルク王子が王政の実権を掌握(しょうあく)しました。もともと高齢だった王や、病弱な第一王子では務まらないと目されていたのですが、どういうわけかゲオルク王子が突如現れたんです」


 眉を(ひそ)めながら厳しい表情を浮かべるニコラはやや語気を強めた。


「その頃でした。そういった混乱の最中に父が立場を追われることになったんです。民からの信頼も厚く、軍の統率力など内政・軍事ともに力をつけていたので、(うと)ましく思う者がいて当然ではありましょう。そんなことで父は王都から西方の地、この辺境に追いやられてしまいました」


 ニコラは口惜しそうに歯噛みをした。ギリという音がこの静まり返った小屋に鳴り渡った。


「しかし父は嘆くことなく、王政の手が行き届かなかったこの地を『ネオカントリーサイド』という地名をつけ、管理することにしました」


 カノンは口を閉ざし、眉間に力を入れたまま聞き入っていた。しかし両手は膝に置かれ、エプロンの裾を力強く握っていた。


「私は父とともにこの地を興そうと努めていました。そんな時です。ある時王宮からの依頼で、王都近くの洞窟から厄介な魔物が現れたとのことで討伐依頼を受けました。父と私は複数の部下を連れ、その洞窟に入ったところ、その時の編成では太刀打ちできないほどの大物が現れました。私たちは必死に抜け出そうとしましたが、洞窟の入り口が塞がれてしまっていたんです」


 ニコラは目を細めながら左手を眺め、右手でその肌をさすった。まるでそれはなにかがそこに宿っているかのような、慈しみを感じさせる手つきだった。


「父は私たちを(かば)い、魔物に対峙し討ち死にしました。どうにか退路を築いた部下たちとともに抜け出しましたが、父の亡骸(なきがら)は今もなおその洞窟の中です。そして私は深手(ふかで)を負ったのです」


 ニコラはそっと目を閉じ、「以上であります」と小声でカノンにささやいた。そのニコラの瞳の端から、一筋の光るものが頬へとつたった。


 カノンは持っていた手拭いでそっと目頭を押さえた。静まり返った小屋には、しばらく二人を包み込むような啜り泣く声が響いていたのだった。

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