7 揺れる王都
辺境伯ニコラ・ヴァランタインの提案は、カノン・バーガンディが森の奥でひっそりと営む、ダイニングと称した小さなレストランを多くの人に知ってもらい、彼女の作る料理を広めると同時に、街道を整備して人々の往来を円滑にしようという計画であった。
カノンも当初思い描いていた生き方からは随分と離れてしまったものの、ニコラとの出会いやサントモール村の住人たちとの関わりによってその方向性は大きく変わり、彼女自身の心にも変化が芽生えていた。
一度は捨て去ろうとした人生。それが今や協力者に恵まれ、リルルという神獣との心通わす絆、そしてニコラという密かに将来を期待させる存在を得たことで、カノンのこれからを少しずつ、けれど確実に変えようとしていた。
その頃、王都では
「なにぃ?結界を維持するのに金がかかるだとぅ?」
「は、はい、そうなのですゲオルク王子。セリーヌ様のお張りになる結界は、維持に多大な人員を要する上、触媒も必要でして……」
「そんなもの、いくらでも手配できるだろう」
「はっ……しかしセリーヌ様の魔力消費量は尋常ではなく、前聖女カノン様の100倍以上に及びまして……」
「てめぇ……アイツの名前は出すなと言っただろうが」
「は、はいぃ!申し訳ございません!しかしながら現状を鑑みますと、高価な魔石も大量に消費しており、このままでは我が王国の蓄えが枯渇することは明白でございます……」
「……ふむぅ……それほどまでに深刻であるか。まあ、ひとまずは安価な結界でお茶を濁しておくとしよう」
「はっ……ですが、それでは魔物が通り抜けてしまう恐れが……」
「そのために衛兵や剣士がいるんだろう。お前たち文官はそれらを統括するのが仕事だ。さっさとお手際よく進めろ」
「はっ…………それでは、これにて失礼いたします……」
「ふぅ…………少々厄介なことになってきたな…………」
「ねぇ、なんだか最近、肌がヒリヒリ痛まない?」
「そうなのよ、私もすっかり日焼けしてしまって」
「前はそんなこと、ちっともなかったのにねぇ」
「そうよねぇ。そういえばカノン様がいなくなってから、嫌なことばかり起きている気がするわ」
「そうよ、きっとそれよ。カノン様の結界のおかげだったのよぅ!」
「振り返ってみれば、あの頃は穏やかで良かったわねぇ。魔物なんて全く見かけなかったもの」
「ええ、本当にそうよ。最近は小さなコボルトやカエルの魔物が裏庭にまで群れているわ」
「今はまだいいけれど、そのうち大きな魔物が押し寄せてくるんじゃないかしら?」
「やだ、縁起でもないこと言わないでよ。恐ろしいわ、そんなことになったら」
「カノン様、お戻りになってくださらないかしら……」
「本当よねぇ…………」
「おとうちゃん、ただいま」
「あ、ああ……おまえか……おかえり……」
「今日もあまり気分がよくないの?」
「ああ……あんまり変わらねぇなぁ……」
「そっか、心配だね。突然おとうちゃんが病気になっちゃうなんて」
「ああ……なさけねぇなぁ……」
「元気出して。今日も美味しそうな焼き鳥を買ってきたよ。それとお薬もね」
「あ、ああ……娘よ、いつもすまねえなぁ……」
「おとうちゃん、それは言わない約束でしょ」
「そう言われたってよぅ……俺の稼ぎがなくなっちまって……」
「大丈夫!私がなんとかするから!」
「おめえだって学校があるんだ……あまり無理をさせたくねぇんだよ……」
「良いバイト先を見つけたから……平気だよ。私、頑張るからさ、おとうちゃん……」
「ああ…………早く良くなって、また大工仕事をやりてぇなぁ…………」
「なんですと!?我々男爵からも追加の税をむしり取るおつもりか!?」
「そのようですぞ。私どものような商人からも、重税を課す気でいるらしいのです」
「いやはや、現在の王政には心底困り果てたものだ……まったく、あの無能王子が全権を握ってからというもの、ろくなことがありませんな」
「まったくです。我々商人もめっきり商売がやりづらくなりましてね。これまで取引していた業者が、どうやら他でより良い販路を開拓したらしいのです」
「なんですと。このウルカリア王国において、この王都以上に好条件で取引できる商会など存在するはずが……」
「それが最近、西の土地で奇妙な噂を耳にしましてな」
「ほほう、詳しく聞かせていただけますかな?」
「ええ。西方一帯を治める辺境伯ニコラ・ヴァランタインとかいう若造が、なにやら妙な動きを見せているらしいのですよ。街道を整備し始めたり、西の海を荒らす海賊の討伐に乗り出したりしているそうで」
「ニコラといえば、前王の側近であったバティス・ヴァランタインの倅ですな。奴め、恩を仇で返すつもりか」
「ですが私ども商人は、仕入れ先の業者を失っては手詰まりです」
「どうにか手を打たねばなりませんな」
「この重税も、実のところセリーヌ様の結界維持費に充てられるようですぞ」
「なんですと!?まったくろくでもないな、あの王子は」
「現在は我々から魔石を買い取っていただけるので潤ってはおりますが、それもじきに枯渇します。そうなったとき、この王都は……」
「いやはや…………これは真に由々しき事態ですな…………」
「うわああ!!毒イモムシだぁ!!」
「こっちはフロッグメンだ!くそっ!この野郎!」
「だめだ、倒しても倒しても湧いてきやがる!」
「空を見ろ!」
「ミニワイバーンの群れだ!」
「うわぁ!結界がワイバーンを勝手に攻撃してるぞ!」
「さらに魔石が消費されてしまう!」
「攻撃光線が眩しすぎる!」
「目がぁ!」
「くそぅ……なんて扱いづらい結界なんだ……」
「まったくだ……派手なだけで役立たずな結界だな……」
「魔石は浪費するわ、小さな魔物は防げないわ……」
「おまけにあの光線のおかげで、夜まで眩しくて敵わん」
「ああ……カノン様の結界は素晴らしかったなぁ……」
「お、おい……万が一王子の耳に入ったら大変なことになるぞ」
「あ、ああ……そうだな……」
「それにしても……美しく艶やかな黒髪だったなぁ、カノン様は……」
「本当にそうだよなぁ……」
「はい?市民の前に出ろとおっしゃるのですか?」
「は、はい。セリーヌ様が民にお姿をお見せになるだけで、皆様の不安も和らぐかと……」
「お断りいたしますわ。どうしてわたくしがそのようなことを?」
「現在、王都は混乱の渦中にございます。民は困窮に喘ぎ、病も蔓延しております。魔物の侵入も絶えません。セリーヌ様が民の前で結界をお張りになるお姿をお見せになるだけでも……」
「嫌だと申しておりますの。何度も言わせないで頂戴。わたくしは結界を張るだけで酷く体力を消耗いたしますのよ。そのような身分の低い市民に見せる姿などございませんわ。文官であるあなた方でどうにかしなさいな」
「左様でございますか…………それでは本日はこれにて失礼いたします」
こうしてウルカリア王国の王都は、様々な厳しい苦境へと落ち込んでいくのであった。




