3 再会
カノン・バーガンディが婚約を破棄され、王宮を追放されてから自ら辿り着いた辺境の地・ネオカントリーサイド地方。ウルカリア王国の王政による統治を半ば放棄された土地であり、その大半が未開拓のまま残された地域である。
魔導の力による設備開発が進むこともなく、道路や流通といった社会基盤の整備すら王政は怠っていた。しかしその反面、自然は手つかずのままに残されており、原生林や未鑑定の薬草、果実など、豊かな資源が広がっている。これから自給自足を始めるカノンにとって、格好の土地であることは間違いなかった。
「わはは」
「嬢ちゃんのつくる料理はうめえなぁ」
客など誰も来ないと評されたこの森に、時折顔を見せては食事を楽しむ者たちがいた。カノンがこの地方に辿り着いて最初に訪れた『サントモール村』の村長らに願い、廃屋だった小屋を蘇らせてダイニングとして生まれ変わらせたのだ。それから数日の間、愛犬とともに山を散策し、薬草や果物、野菜などを集めてはそれらで料理を仕込み、耕した土地に種子や苗を植えて増やそうと試みていた。そうして摘み取った恵みを用い、創意工夫を凝らした料理を作り始めていたのである。
改装が終わってからも度々修繕に訪れてくれる村の職人たちにその料理を試食として振る舞っては、わずかながらも駄賃をいただくようになっていた。当初は「お金は必要ありません」と固辞していたカノンだったが、「世の中そうはいかねえ」と職人たちが諭すため、やむなく受け取るようになっていたのだ。
「なんだか嬢ちゃんの料理を食べると、昨日の疲れが吹っ飛ぶんだべ」
「そうそう、俺なんか腰痛が嘘みてえになくなっちまったべ」
「村長もすっかり背中のびちまってよう」
畑のほうもカノンの魔法によって幾分か成長を促すことができ、このまま順調にいけば穀物なども育てられるのではないかと、カノンは胸を躍らせていた。多種多様な食材が手に入れば本格的な料理を作ることもでき、いずれ満を持して店を構えることも夢ではないだろう。
それからまた数日が過ぎた頃。
「おーい、嬢ちゃん。はぁはぁ」
「あら、いったいどうなさったのですか?村長さん」
なにやら森の中を必死に走ってきた村長やそのお付きの職人たちが、息を切らしながらカノンのもとへ駆け込んできた。愛犬もいくらか毛並みが良くなり、出会った頃は灰色に汚れていた毛もいまや眩しいほど白く美しく毛づくろいされていた。その犬がクルクルと落ち着かない様子を見せたため、カノンは誰か見知らぬ者が後から追ってくる気配を察知した。
「落ち着いてください、村長さん」
「ああ、すまねえ」
カノンは両手から水魔法で清らかな水を出してやり、それを彼らがごくごくと旨そうに飲み干し、ようやく一息ついた頃。
「実はな……辺境伯様が来たんじゃよ」
「辺境伯様?」
このネオカントリーサイド地方は王政が事実上放棄している現状を憂い、ある貴族がその管理を買って出ていた。隣国と接するまさに要害の地であり、騎士の家系でもあるその貴族は、この一帯を自らの私財を投じてまで治めているのである。わずかに点在する村や町の住人にとってみれば実にありがたい存在であり、人格にも長けた一角の人物であった。
その一帯の領主であり権力者である辺境伯が訪れたとあって、慌てふためいていたのだった。
「人探しをしているようでな、特徴を聞いたらおめえさんなんだべよ」
「まあ、わたくし、そのようなお方とお会いしたことなどございませんわ」
カノンはそう言って首を傾げた。これまで王宮関係者以外と出会うことなどなかったし、積極的に見知らぬ者と対面することもなかったのだ。だが急にどうして自分を、とさらに思いを巡らせていたその時
「ようやく。ああ、間違いない」
「はっ」
身体の芯まで響くような、低く重厚な声。つい先日、あの失意の中で馬車に揺られながら大切な語らいを交わした人物を思い出し、カノンは胸の鼓動が強く跳ね跳ぶのを感じた。
その者は走らせてきた愛馬から、堅牢なブーツの音を大地に響かせて降り立った。一歩一歩と歩みを進め、カノンに近づいたその瞬間、すっと膝を突き、片腕を地面に打ち付けるような姿勢をとる。王族に対する最敬礼の所作であった。
「お探しいたしましたぞ」
その者は彫りの深い瞼を静かに閉じ、低い声をさらに落としながら言葉を継いだ。
「聖女様」
その響きには彼の熱い想いが込められているようで、思わず彼は胸を押さえるのだった。
当然、何も知らない村の者たちは声にならぬ声をあげ、カノンと訪れた男を交互に見やり、そしてその男にならうようにカノンに対してひれ伏すのだった。
「ニコラ様、おやめください。わたくしは今、聖女などという立場ではございません」
カノンがそう口にすると、彼女を取り囲むように跪く男たちの異様な光景を前に、もはや過去の自分ではないという意思を示すのだった。
「存じております」
ニコラは俯いたまま答えた。そしてなおも語りかける。
「先日起きた王都の騒動は我々の耳にも届きました。そしてその聖女様が悲痛なお姿で王宮を追放されたということも、身辺の者から聞き及んでおります」
ニコラは瞼を開き、あくまでカノンの足元を見つめるように地面へ目を向けながら言葉を重ねた。
「そのような不憫な追われ方をなさっては、さぞやご無念であったろうと。どれほど痛ましい思いをされていたのか、それは私の想像を遥かに絶するものに違いありません」
ニコラはすっと顔をあげ、ようやくカノンの顔を仰ぎ見た。
「先日の馬車ではフードとローブを深く被っていらっしゃったため、気づくことができませんでした。不覚にも私としたことが、聖女様たるお方になんと偉そうな口を利いていたのかと、後から顔から火が出る思いでした」
カノンは優しく首を振った。胸に手を当て、ニコラの次の言葉を待った。
「いまこうして改めてそのご尊顔を拝見し、確信いたしました。ご覧ください、この左腕を」
ゆるやかな布で巻かれていた左腕は、かつての添木と包帯の痛々しい姿から一変していた。その布を外すと、僅かにあざや血管の青さが残るものの、生気を取り戻したかのような血色の良い健康体に見えた。そしてニコラは拳を強く握り締めながら語った。
「以前とは違いますでしょう。貴方様があのとき祈りを捧げてくださったおかげです。間違いございません、カノン・バーガンディ様。貴方こそ真の聖女様であります」
カノンは息をのんだ。これが己の力なのかと、未だ半信半疑ではあった。この地に来てからの村民たちの快活さ、魔法の切れ味、そしてこのニコラの腕の治癒に至るまで、すべて己の成したことだとはにわかに信じがたくいたのだ。
しかし、紛れもなくこれは動かし難い現実であった。カノンの踵がすっと浮いた。驚きに満ちた表情はすぐさま笑みに変わった。嬉しかった。ただただ喜ばしかった。周囲にいた村民たちも驚嘆の表情から「すごいすごい」と歓声をあげていた。
「カノン様。我が名はニコラ・ヴァランタイン。辺境伯にして、このネオカントリーサイドの守護者にございます。我が領地へのご来訪、心より歓迎申し上げます。聖女様の名において、この命に代えても貴方様をお守りすると、ここに誓いましょう」
ニコラは背に負っていた輝く剣を引き抜き、それを両手で持ち直すと、胸の前で掲げて祈りを捧げた。剣から眩い光が溢れだし、辺り一面を神々しく照らし出す。吹き荒れる風に村民たちは耐えきれず転がったが、カノンとニコラはその場に佇み、カノンはニコラの頭頂部にそっと手のひらをかざした。神秘なる力がニコラに宿り、やがて光は静かに収まっていった。




