2 始まりの森
その後もカノンは馬車に揺られ続け、終着駅で下車した。そこには小さいながらも賑やかな街があり、既に夜の帳が下りようとしていたため、安宿を確保した。明日からどう行動すべきかに思いを巡らせながら、彼女は深い眠りについた。
翌朝早くに目覚めたカノンは、直ちに出発の支度を始めた。いつまでも現状を嘆いていては何も始まらない、そう思い至った彼女は、即座に行動へ移したのだ。
まずは聞き込みを行い、街の近くにある小さな村の、村長の邸宅を訪ねた。
「どこかに空き家はございませんでしょうか」
カノンが問うと、村長は「今は無いが、森の中にひとつ廃屋がある」と答えた。カノンはそれでも差し支えないと伝え、すぐに案内してもらった。
ただでさえここは、ウルカリア王国の中でも指折りの辺境であり、さらにその中でも海に近い静穏な森であった。王都の威光など届くはずもない土地であり、魔物も数多く生息するという。
「ほんに、こんな場所でええんかの?」
村長は自ら紹介しておきながら、心配そうな様子を見せた。
「ええ、構いませんわ。むしろ、この場所が気に入りました」
「めずらしいお嬢じゃのう」
奇異な目で見られたカノンが笑みを投げかけると、村長は気分を良くしたのか、曲がっていた背筋をしゃんと伸ばした。
「なんじゃ……力がみなぎってきたぞい。おい、みんなでここを綺麗にしようではないか!」
村長に同行していたお付きの者たちも、手足から光が溢れるような活気を見せ、力強い姿勢で持参した道具を握り締め、トントンカンカンと廃屋の修繕を開始した。
「キッチンがございますわね」
「へい、ここも直しますぜ」
有り余る力を発揮する職人たちは、ついでと言わんばかりに周囲の樹木を伐採し、廃屋を隅々まで丁寧に修繕していった。
そこでカノンは、ひとつアイデアを閃いた。
「あの、もしよろしければ、キッチンを少し大きめに改修していただくことはできますでしょうか?」
「へ?なにをなさるんで?」
「できれば石窯のコンロを四つほど。それからカウンターも作っていただけますか?」
「もしかして、お店でも開かれるんで?」
「ええ、それが面白そうかと思いまして」
「ははは、お嬢さん、冗談を言っちゃいけねえ。こんな森の中、誰も来やしませんぜ」
「それでも一向に構いません。たまにどなたかが訪れてくださるだけで十分ですの」
「はぁ、そうでやすか……」
カノンは過去の自分を称賛した。誰の目にも触れぬよう重ねてきた、あの研鑽の日々を。地味と評価された光魔法のみならず、あらゆる属性魔法を修めてきた己に誇りを持った。
『困難の日々がこれからもあり、高き山もあるだろう。しかしそれもまた人生の醍醐味である』
ニコラが残した言葉を、カノンは心の中で反芻していた。これだ。これなのだ。何が起きるかは分からないが、それを決めるのもまた自分自身なのだ。改めて彼の言葉に感謝の念を抱いた。
その後も改修工事は続き、その合間にカノンは、職人が端材で即席で作ってくれたカゴを手に、山へ山菜や薬草の採取に向かった。野いちごや柑橘、葡萄なども実っていたため、枯らさぬ程度に摘み取っていく。
その帰り道、一匹の野犬と遭遇した。その犬は怯えながらも、カノンへ歩み寄る素振りを見せた。どうやら群れからはぐれてしまったらしい。
「あなたも捨てられてしまったの?」
カノンは匂いを嗅がせるように、そっと拳を差し出した。すると犬は近寄り、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。
「おいで。怖くないよ」
「クゥン……」
やがて弱々しく鳴いた犬の顎を指で優しく撫でると、犬は頭の重みをカノンの手に預けてきた。
「よしよし、そうかそうか。きみも一人ぼっちなんだね。一緒に暮らそうか」
カノンの言葉を理解したのか、犬は再び小さく鳴き、彼女の足元に入り込もうとした。
「ふふ、いい子だね。よし、おいで」
カノンはカゴの中から薬草を取り出して与えた。犬は一瞬嫌がる素振りを見せたもののすぐに頬張り、さらにカノンの手から与えられた水を含むと、急速に元気を取り戻した。
「良かった。それじゃあ、行きましょうか」
カノンはカゴを持ち直し、犬と共に廃屋のあった場所へと戻っていった。
「お嬢ちゃん、そいつは魔物だて」
村長をはじめとする皆が驚愕し、腰を引かせて後退りした。
「あら、そうなのですか?でも構いませんわ。わたくしの頼もしい護衛となってくれるでしょうから」
カノンの肝の据わった態度に、村長らは腰を抜かしそうになりながらも「大したものだ」と感心し、これならばこの森でも生きていけると胸を撫で下ろした。
廃屋は見事なまでに綺麗な小屋へと生まれ変わり、カノンの要望通りダイニングも完成した。広々としたキッチンの前には5人ほどが座れるカウンターと小さなテーブルが二つ、椅子が合計8脚も備え付けられた。
「素晴らしいですわ。これなら大勢のお客様をお迎えできますね」
「だからお嬢ちゃん、こんな場所には誰も来ねえってばよ」
「うふふ」
カノンは村長や職人たちの心配を余所に、ただただ胸を躍らせ、小屋を建ててくれた報酬として手切れ金の残りの金貨をすべて手渡した。
「こんなにもらってもええんかの?」
「ええ、いまのわたくしには勿体なさすぎるものですから。そのかわり、この小屋をわたくしにくださいな」
これから自給自足の生活を始めるカノンにとって、通貨など不要であった。しかしこの時のカノンは、これから訪れるであろう予測不能な出来事の数々を、まだ知る由もなかったのである。




