7_文福福丸
翌朝、御影の工房はいつもより少し遅く始まった。
あれから灯真は自分たちのいた痕跡を消した跡、福丸の本体である古い茶釜を抱えて、夜明け前に工房へと帰ってきた。
火鉢には新しい炭。鉄瓶が、ことこと、と湯気を立てている。
「ほう。それが茶釜の付喪神か」
日課である朝の鍛錬を終えた祖父が、福丸の茶釜を撫でながらしげしげと覗き込んだ。
「こら!気安く尻をさわるな爺ぃ!」
「ほっほっ。ここが尻とな」
「やめろというに!気色の悪い!」
巌のなすがままに触られている福丸を少し気の毒に思うが、そこが尻なのか、と想像すると灯真も思わず吹き出してしまった。
茶釜の傍らに座した、白装束の童子——付喪神として顕現している福丸が、拗ねるようにつん、と、顎を反らす。が、その目元には、まだ泣き腫らした跡が赤く残っていた。
「ほう、ほう。生意気な茶釜じゃのう。名はなんという」
「正式な銘は文福、鷲尾の家では福丸と呼ばれとった」
「なるほど。文福福丸か、良い名だ」
「文福、福丸……」
文福は苗字ではないので意図と違うのだろうが、福丸も気に入ったらしく、「やるな、爺ぃ」と言って笑った。
巌もにやり、と応える。
「付喪神は古けりゃ生まれるもんでもない。作り手の思い、使っていた者の思いが重なり、いつしか付喪神として顕現する。その名は大事にするんじゃな」
福丸の「おぅ」という返事に満足そうに頷くと、巌は一変して灯真に真剣な眼差しを向けた。
「で。鷲尾の屋敷で、何があった」
灯真は、火鉢の前に腰を下ろし、淡々と、語った。
内務省の使いを騙った氷室が、その正体、土蜘蛛であったこと。鷲尾邸の者は、皆、喰われていたこと。土蜘蛛は、かつて安倍晴明が地の底へ封じた古妖であり——それを、「ある陰陽師」が、解き放ったこと。
「ろくに妖気も隠さず内務省の使いなどとほざいたときは呆れたが、まさか土蜘蛛だったとは」
「ほんと、大変だったよ」
「よく無事じゃったな。さっすが我が孫じゃ!」
と言って祖父は豪快に笑い、灯真の肩をばしばし叩いた。
「いてて!その陰陽師が、土蜘蛛に教えたんだと。晴明の血がまだこの世に残っている、と」
「なるほどのぉ……そ奴がけしかけた、というわけか」
巌の目が、今度は敵に対する怒気に変わる。
「晴明公の封印を、解いた……。灯真。それがどういうことか、わかるかな」
あぁ、と灯真は頷いた。
「晴明が、わざわざ封じるしかなかった古妖だ。その封印を解ける術者なんて、そうそういない」
「そういうことじゃ。並の陰陽師にできる芸当ではない。……厄介な」
「じいちゃん、俺たちが恨まれるような心当たりあるか?」
灯真が聞くと、巌は「恨みか?」と言って「うーーーん」と首を捻りながら考えた挙句
「心当たりがありすぎて、ない!」と応えた。
「はぁ?なんだよそれ」
「それはそうじゃろう。安倍晴明の血を疎ましく思う者、法具の伝承を聞きつけて襲ってくる者もおる。そんな奴らのことをいちいち気にしとったらキリがないわい」
「……あの、陰陽師のことなら」
ぽつり、と、福丸が、口を挟んだ。
灯真と巌の視線が集まる。福丸は少し前のめりになりながら続けた。
「おらは、こう見えて、由緒ある茶釜じゃ。鷲尾の家でも、大事な客人をもてなす席にゃ、いつも、おらが呼ばれた。……だから、旦那様の内緒話も、ぼやきも、ぜんぶ傍で聞いとった」
なるほど、と灯真は納得する。
福丸は一度上を見てから、灯真と巌を交互に見た。
「…烏丸、という、お侯爵様のことじゃ」
「烏丸侯爵か…」と巌が顎髭を触る。
「そうじゃ。鷲尾の旦那様が、よう、こぼしておった。『烏丸のやり口は、目に余る』と。なんでも……金の、よからぬ不正をしておったらしい。旦那様は、それに気づいて……烏丸を諫めようとしておった」
福丸は、鷲尾卿の口振りを思い出すように言った。
「『烏丸、今ならまだ引き返せる。すべてを明らかにして罪を償え』……と。旦那様は、立派な、お人じゃった。あんな、お人じゃったのに……」
ぐすり、と、福丸の声が、湿る。
灯真は小さく頷くが、何も言わずにその続きを待った。
「……でも、旦那様は、いつも不思議そうにしておった。『烏丸は、昔はあそこまでの男ではなかった』と。『野心家ではあったが……まるで人が変わってしまった』と」
「人が変わった?」灯真がその言葉を拾う。
「うん」福丸は、こくり、と、頷いた。「旦那様は、言うておった。『あの男が変わったのは——新しい、拝み屋を抱えてからだ』と」
その瞬間。
火鉢を囲んでいるはずの工房の空気が、ひやりと沈んだ。
灯真と、巌の目が合う。
烏丸の、新しいお抱え拝み屋。
つまりそれは、陰陽師のことだろう。
「福丸よ、そいつの名前は聞いておるか?」
巌の質問に、福丸は黙って首を振った。
「いや、名前は聞いてはおらん。だが鷲尾の旦那様は見たことがあるらしい。左右の目の色が違う奴じゃったと」
「……左右の目、か。わしの知らん奴じゃな」
「しかも烏丸の人柄が変わったって」
「唆したか、誑かしたか」
巌は、白い眉を、深く、寄せた。
「侯爵を操り、晴明公の封印を解く。……そんな真似ができる術者が、いったい何を企んでおる」
「ま」といって灯真はニヤッと笑った。
「そいつが何者か知らないが、喧嘩を売ってきたら返り討ちにしてやるよ。それより」
と言って立ち上がり、福丸を見る。
「お前専用、特製の自律人形を作らなきゃな」




