表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/37

36_内務省神祀局(ないむしょうしんじきょく)

 ▪️第六章

 ——かつて、陰陽寮という役所が実在した。


 天文を読み、暦を編み、(まが)つものを占い、祓う。千年の昔、安倍晴明もまた、そこに籍を置く一人の役人であったという。

 しかし明治三年、国の近代化を図るため、飛鳥時代から続いた由緒あるその役所は、ついにその歴史に幕を閉じた——。

 そのはずであった。


葛城(かつらぎ)局長……。ただいま戻りました」


「あぁ……遊馬か。よく戻ったね」

 天井の高い部屋に、低音が響く。夕陽が窓から差し込み、白い顔が、紅く染まった。

「それに、吉利君も」


「れ……れい様……」


 遊馬に抱えられた吉利は、葛城の声で暫く途絶えていた意識を取り戻した。


「ここに連れてきてしまい、申し訳ありません」

 遊馬は、綿毛のような微笑みは絶やさないまま、葛城に頭を下げた。

「吉利君は局員じゃないので、本来は連れて来るべきではないと思ったのですが……」


「構わんよ」

 葛城はにこりと微笑む。


 ——内務省神祀(しんじ)局。


 数年前に政府がひっそりと設立した、陰陽寮の後継とも言える局である。


 設立の理由は、皮肉なものだった。


 帝都に溢れた舶来の自律人形たち。

 彼らを動かすには動力がいる。しかしこの国にはそれだけの資源、つまるところ燃料がなかった。

 そんな中、より少ない資源で確実に動く最適解が、一度は捨てたはずの陰陽道による式神札であることを発見したのが。


 ——葛城(かつらぎ)(れい)、その人と言われている。


 紺色の背広、上着の下にはベストと洋装であるが、彼はこの内務省神祀(しんじ)局の初代局長であり、現代の陰陽師の中でも最高峰と謳われていた。


 葛城は「それにしても…」と続けた。

「随分と無理をしたようだな」


 この短時間で変わり果ててしまった、吉利の肉体を見ながら目を細めた。

 筋肉も、脂肪も、水分も、そしてあらゆる力を大蛇たちに吸われてしまい、まさに風前の灯である。


「はっ!弱ぇくせに八蛇神の口寄せとかするからだろ」


 後ろから聞こえたその声に、遊馬が振り返る。


「やぁ……居たのかい。天草(あまくさ)


 天草、と呼ばれた赤髪のその男は、遊馬にも好戦的な目を向けた。


「おう優男。お前も出来の悪い部下がいると迷惑だよなぁ」


 壁に寄りかかっている天草は、肩をすくめて「やれやれ」と言った。

 出来の悪い部下、とは言うまでもなく吉利のことである。そして、吉利は今、気を失っているわけではない。意識があることを承知で、聞こえるように煽っているのだ。

 動けない吉利が、遊馬の腕の中で唇を噛む。


「己の力量を顧みず宝具を使ったことは叱責に値するが、迷惑ではないよ」


 遊馬の穏やかな声に、天草が舌打ちをする。


「良い子ぶりやがって……てめぇそれでも不動明王かよ」

「宝具と性格は関係ないと思うけどね。それとも史哉(ふみや)、君は降三世(ごうざんぜ)明王を演じているのかい?」

「ぶっ殺されてぇのか……哪吒…!」

 下の名前で呼ばれた天草の色黒の腕に、血管が浮き出る。


「二人とも、よさぬか」


 葛城が重々しい声で仲裁した。


「ちっ……いけすかねぇ野郎だぜ」

 声が響いても、天草は遊馬を睨みつけたままだったが、それ以上やり合うつもりはないらしく、天草も黙った。


「遊馬。吉利君をこちらに」

 その指示に、遊馬は「はい」と応え、葛城の前に吉利を下ろした。


 吉利は意識はあるものの、跪くこともできず、その場にへたり込んで両手をついて頭を垂れた。


「も…申し訳——ありません」

「良い」


 葛城は机の上に置いていた、掌に収まるほどの黒漆の丸い小箱を手に取った。

 蓋を開けると、中には茶色の香が入っていた。

 それをひと摘みして、卓上の香炉へと落とした。

 細い煙が、ゆらりと立ち昇る。

 そして二本の指を揃え、ふっと息を吹くと、その細い煙が、吉利の周りを筋のように囲んだ。


「これは…」


 か細い声を出す吉利に、葛城は「安心しなさい」と静かに言った。


「お前は今呪力を使い過ぎて、魂を肉体に縛る力が弱まっている。それを繋ぎ止める香だ」


 葛城の言う通り、暫くすると吉利の干からびた皮膚に少しだけ生気が戻った。


「あ、…ありがとうございます」

「あぁ、これで話くらいはできるだろう」


 安静にすると良い——。

 そう言った時だった。


 ちりん。


 どこかで、小さな金属音がした。


「……?」

 遊馬が首を傾げる。


 吉利も薄く目を開いた。

 もう一度。


 ちりん。


 今度は、はっきりと聞こえた。

 吉利の腰だった。


「吉利君?」

 遊馬が視線を落とす。


 そこには、彼女が肌身離さず持っていた蟠蛇瓶(ばんじゃびょう)がある。

 古びた瓶が、細かく震えていた。


「な……」

 吉利の顔色が変わる。

「どうして……?」


 瓶の口から、するり、と黒いものが這い出した。

 蛇。

 一本の、細い黒蛇だった。


「あれは……」

 遊馬が僅かに身構える。

 吉利は目を見開いた。

「違う……私の術では…」


 そもそも今の吉利では、黒蛇一匹を生み出すだけの呪力すら残っていない。

 黒蛇は床へ落ちると、しゅるしゅると這った。

 そして、部屋の中央で止まった。


「ち、違うんです……」

 吉利の声が震えた。

「黎様、信じてください。これは私の術では——」


 しかし葛城はその言葉には反応せず、蛇を凝視していた。

 すると。

 突如、黒蛇が膨らんだ。


「え?」


 吉利が瞬きをする。

 腕ほどの太さ。

 人ほどの太さ。

 さらに。


「なっ……!?」

 遊馬の微笑が、初めて崩れた。


 黒蛇は爆発的に膨れ上がり、天井へ頭をぶつけるほど巨大化した。

 ばきっ!と、梁が折れる。


「伏せて!」

 遊馬が吉利を抱え飛び退く。


 直後。



 ——どおん!!



 大蛇が頭を振り上げた。

 轟音と共に天井が爆ぜた。

 木材と漆喰が凄まじい勢いで吹き飛び、屋根を突き破って黒い巨体が外へ躍り出る。

 壁が裂け、窓硝子が一斉に砕け散り——。

 内務省神祀局の一角が、十秒と経たないうちに半ば崩れ落ちた。


「吉利……てめぇなんの真似だ……!!」

 天草の三叉の槍が、吉利の顔に向けて構えられる。


「ち、違う!本当に何も知らない!こんな……」


 そこまで言って、吉利の顔がはっとした表情になる。

 御影灯真。

 あの男が黒蛇を辿って自分の元へやってきた時。


 ——呪詛返しの応用だよ。大したことない——。


 あの時か。

 単に術者の力を辿る手段で使われたのだと思った。

 そう、あの時点で吉利は、御影灯真(あのおとこ)を舐めていたのだ。


「正直に言え。言ってからこの三鈷戟(さんこげき)で串刺しにしてやる」

「こ、これは——」


「これは、吉利君の術ではないな」


 黙ってみていた葛城が、黒い大蛇を見上げながら静かに言った。

 その様子に、慌てている様子は微塵も感じられない。


「では……」と見上げる遊馬に、天草が三又の槍を構えて前に出る。

「どけ。俺がやる」

「だがどんな術かわからん内は危険だ」

「うるせぇ!俺に指図するな」


 床傾き、棚が破壊され、書類が宙へと舞っている中、巨大な黒蛇が牙を剥いて葛城に襲い掛かろうとした時。


「調子に乗るんじゃねぇ!!」


 天草が跳び、三叉の槍を巨大な蛇の頭に突き刺した。

 すると次の瞬間。

 黒い巨体が、頭から尾まで一気に裂けた。

 すると、大蛇は黒い胞子のようにぶわっと霧散し、そして消えた。


「なんだ……?手応えがねぇな。張りぼてかよ」


 静寂が広がる。だが部屋はもう、部屋と呼べるような状態ではない。


「なるほど」

「葛城局長?」


遊馬が見ると、葛城は得心したような、感心したような顔をしていた。


「御影灯真……どうやら中々食えん男のようだ」


葛城は、崩れた壁の向こうへ視線を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ