35_人形じゃねぇよ
「……やったか…?」
その言葉とは裏腹に、灯真は黒縄への警戒を解かない。
呪力による焔は建物には引火せず、ただひたすらに敵を殲滅せんと轟音と嵐のような風を起こしながら燃えている。
しかし完全に倒れるまでは、油断は禁物——。
と、思っていたその時。
「いっ!!?」
ずるり、と。
黒縄は自分の身体を脱ぐように、脱皮した。
「はははははっ!!」
大蛇が愉しげに笑った。
元の艶のある紫の鱗が復活し、灯真がつけた刃の傷も元通りになっている。
(おいおい、そんなのありかよ…!)
驚きと呆れで口を半開きにする灯真だが、対する黒縄は上機嫌だ。
「よい!よいぞっ!我をここまで追い詰めたのは久方ぶりだ。お前の名は」
「御影灯真だ。……もう帰ってくれるか?」
灯真の言葉に、黒縄は再び笑う。
「生意気な小僧だ。続けたいところだが——これ以上は彼奴が持たぬだろう」
大蛇はそういうと、自らを口寄せした宝条吉利を見下ろした。
それは、普通の者が見たら飢餓状態に見えるほど、げっそりと痩せ細り髪は抜け落ち、両手、両膝をついて四つん這いのような格好でヒューヒューと呼吸音を出していた。
「我が力を使うほど、彼奴の呪力は吸われ続ける」
「そろそろ潮時か」
「左様。心中は御免だ」
そして自らを八蛇神と名乗る傲慢な大蛇たちが念じると、巨大な異界への門が現れた。
現世の人間では決して立ち入れぬ、立ち入ったら帰って来れぬ奈落の門。
その門がゆっくりと開かれ、漆黒の闇に一匹、また一匹と還ってゆく。
そして最後の一匹、黒縄が振り返りもせず門を潜ると、重々しく門は閉まり、そしてふっと消えた。
***
重苦しい鉛色の雲の層が薄まり、僅かに陽の光が差す。
「最後まで勝手な奴だったな…」
言いたいことは山ほどあるが、その全てを飲み込みながら、灯真は門があった方を見てため息を吐いた。
そして、あの厄介な八蛇神を口寄せした張本人、——宝条吉利に近づく。
「な……んで…」
からからに干からびた皮膚、口の中の唾液もとうに失われているだろう。空気が混じって聞き取り難いほど密度の薄い声が出される。
「だ……れも…わたし…の、いうことを……ある、じ…な…のに…」
「そりゃあ信頼関係がないからだろ。人形じゃねぇんだよ」
吉利がぴくりと反応する。しかし灯真はそれ以上の言葉を続けない。その必要もないだろう。
「さーて、お前を捕らえて情報をもらいたいところだが」
未だ四つん這いで今にも崩れ落ちそうな敵に、灯真は指をぽきりと鳴らす。
しかし、その時。
ひゅおっ——と、一陣の風が吹いた。
短いながらも鋭いその風に、思わず袖を顔の前に出した瞬間。
灯真は、はっと辺りを見回す。
——風が吹いたほんの一瞬で、吉利の姿が消えていたのだ。
しかしすぐに灯真の視線は固定される。
「容赦ないなぁ…女性には優しくするものだよ」
銀髪の、スラリとした長身の男。襟付きのシャツに髪と同じ色のベスト、——そして、右目に眼帯をしていた。
眼帯の男は、まるで灯真の間合いをわかっているかの如く一息では詰められない距離を保ちながら、ぐったりとした吉利を抱えている。
(こいつ、強いな……殺気だけじゃない。気配すら感じなかった。まるで突然現れたみたいな)
考えられるとしたら、まずは灯真よりも術の射程範囲が広い、ということだが今こうして目で見ている男の気配はちゃんと有機的に感じられる。術の射程範囲が広いだけでは近づいたらわかるということ。
「お前は……」
構えてはいないが、いつでも攻撃や防御ができるように思考を巡らせながら灯真が聞く。
今は、少しでも情報が欲しい。
「あぁ…、これは失礼。僕は遊馬哪吒だよ。一応、彼女の上司なんだ」
「お前が土蜘蛛の封印を解いたやつか!」
福丸から聞いた話では、烏丸侯爵と繋がりのある陰陽師は左右の目の色が異なるらしい。眼帯をしていることから、可能性としてはありうる話だ。
灯真が鋭い目で問い詰めるが、遊馬はまるで気にかける様子もなく「土蜘蛛?」と考えた後、「あぁ、あれね」と合点がいったような表情をした。
「違うよ」
「……それだけで信じろと?」
「僕は嘘が苦手でね。でも悪いけど、本当のことも言えないんだ。だから、違う、とだけ言っておくよ」
「知ってるんだな?」
まぁそうだね、と言いながら遊馬は微笑む。
そして、風を纏い、ふわりと宙に浮くと、空間の一部が風穴のように裂けた。
(あれは、鉱山の時に見た転移術……!)
「じゃぁ、僕らはこれで退散するよ。多くの人に迷惑をかけたことは申し訳ないと思ってる。いずれ、正式に君に協力をお願いするよ」
「おま、まだ聞きたいことが——」
灯真の言葉が終わる前に、遊馬は視認できるほどの暴風を起こすと、そのまま姿を消し、去っていった。




