33_八方焔蛇
吉利は、懐から金色の輪を取り出した。
中央には蛇の彫刻。そこから八本の骨組みが放射状に伸び、外周の輪から鋭く突起している。
それを宙に放り、念じると、手に収まるほどの大きさだった宝輪が三尺ほどの大きさまで巨大化し、吉利の背後に回った。
放射状に伸びた輪の柱が、後光のように見えていることを想像し、吉利は万能感に浸る。自然と笑みが漏れた。
しかしこれは、使うな、と言われていた。
正確には——お前ではまだ御しきれぬ、と。
知ったことか。
この小僧は、ここで壊す。壊さなければ気が済まない。
吉利は、両腕を胸の前で交差させた。
手のひらを身体側に向け、人差し指・中指・薬指を伸ばし、親指で小指を押さえる。
「その構え——大瞋印か」
御影の小僧が警戒したように呟き、腰を落とした。
いいぞ、もっと畏れろ。
「謹請——軍荼利明王が八臂に纏いし眷属よ」
詠唱と共に、宝輪が闇を帯びる。
「忿怒の焔を纏い、いま此岸に顕れよ……!」
一瞬。
後悔するほど全身から力が抜けていく。呪力が、生気が、根こそぎ宝輪に吸い上げられていくような感覚。
だが、後には引けない。
「——八方焔蛇!!」
宝輪から黒炎が噴き出し、八本の柱がどろりと足場の瓦に垂れる。
そしてそこから、黒炎を纏った紫色の八匹の大蛇が顕れた。
「あは……あはは……!」
吉利が笑った。膝が震えているのは恐怖ではない。髪の毛すら重く感じるほど力のほぼ全てを宝輪に吸われ、立っているのがやっとであることは事実だが、それよりも歓喜の方が大きかった。
「さぁ……奈落の蛇神よ!あの憎たらしい小僧を壊しておしまい!」
「あぁ?」
八匹のうちの最も体の大きい一匹が、身体をくねらせ吉利の顔に迫り、鋭い目で凄んだ。
「貴様ごときが……俺たちに指図するか」
「なっ——」
脊髄に氷水を注入されたような悪寒。吉利の笑みが凍りついた。
大蛇の顔がさらに近づく。
圧倒的な存在感。黒炎を纏った鱗。その隙間から、溶岩の内側のような赤い光が漏れている。
「誰に向かって口を利いている」
「私は……あなたたちを口寄せした主人よ!」
「主人?」
大蛇が、喉の奥で嗤った。嘲笑、侮蔑の混じった低く、地を這うような音だった。
「これしきの力で、よくもぬけぬけと……本体の十分の一も顕現できておらぬわ」
他の七匹も嘲笑うように吉利を見ていた。
蛇使いとして自分よりも長けている術者に会ったことはない。そんな自負を持っている自分を、誰も主人と認めていない孤立感。
「……ッ」
それは、吉利にとって屈辱以外の何者でもなかった。
(なんなの……どいつもこいつも…!)
しかし。と拳を握る。
対峙している御影灯真は、攻撃してこない。おそらく大蛇を警戒しているのだろう。
「……宝輪の契約により命じるわ」
八匹の蛇が、方方で舌をちらつかせながら唸る。
「……気に食わぬ」
「同感だ。お前の命令など聞かぬわ」
本来であれば宝具を通して口寄せされれば、神と称される者であっても手綱を付けられた状態。
それが契約であり、口寄せされた対象はその報酬として術者の呪力を糧に、現世で力を使うことができるのだ。
だが、八匹の蛇神はあまりに誇り高く、傲慢で、そして何より強い。
気に入らなければ、吉利もろとも文字通り消し飛ばすことなどわけないし、躊躇もしないだろう。
例え、それで元いた棲家に戻れなくなったり、力を失くすなど自らに代償があったとしてもだ。
やがて最も大きな一匹が、面倒そうに灯真へ目を向けた時。
大蛇の気配が変わった。
「ほう……これは」
愉しそうな声色。他の七匹も同様に灯真に気づく。
「なるほど……これは、よい」
大蛇の口の端が釣り上がった。
「気が変わったぞ。この者を殺れば良いのだな」




