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32_強がり

 ***

 灯真の言葉が終わる前に、吉利の右手が動いた。

 素早く印が結ばれる。

 瓦の間に黒い影が走り、灯真に向かって伸びてくると思ったら、バキバキと音を立てて盛り上がり、大蛇が現れた。


「——蛇縛(じゃばく)!!」


 吉利の術によって突如、屋根の瓦の下から現れた大蛇は、灯真の足から頭までをあっという間に巻きつき、ぎりぎりと締め上げる。


「ぐっ……」

「あはは!ざまぁないね!!。このままゆっくり骨をくだいてやろうかし——」


 その瞬間、吉利はぞくりと背筋が凍りつくような悪寒が走り、全力で跳躍した。

 対峙していた灯真をも飛び越え、着地した場所から態勢を低くして振り返る。

 がらがら、と屋根の瓦が崩れる音がした。


「なっ…なに……?」


 吉利は息苦しさを感じるほどに、確実に身の危険を感じた。まるで自分の心臓を素手で撫でられたような気持ち悪さ。

 吉利がいた場所には、御影灯真の姿があった。

 背後を取られた。いやそれよりも。


「なんで……!?お前は絡めとったはず——!!」


 しかし、大蛇によって締め上げているはずの灯真の姿はない。それどころか、大蛇はぐったりと横たわって事切れていた。


(いつの間に?!幻覚を見せられた?)

「お前……何をした!」

 威嚇するように吉利が睨む。

「さぁな。自分で考えろ」


 しかし、灯真はそれ以上踏み込んではこない。

 温度のわからない静かな眼。


 吉利にはそれが、何かに対する不満や後悔といった、なんらかの負の感情を孕んでいるように見えた。


(攻撃の気配がない…?後ろを取ったら追撃してきても良いはずなのに)


 つまり、相手もそこまでの余裕はなかったということだろうか。

 確かに自分は今、油断していた、と思う。


(術の発動は私の方が早かったはず。ということは捕らえた後、もしくは捕らえる寸前ににあいつが幻術を使って、蛇縛の蛇を斬った——が、それが精一杯だった?)


 そして後ろを取ったが自分に気づかれ、機を失った。

 だとすると、奴のあの目は無念の表情?

 そう考えるのが自然だろう、と結論づける。

 吉利は冷や汗を噴きながら呼吸を整え、それでも「ふふっ」と嗤って口角を上げる。


「いいわ……年下だけどあなたも壊し甲斐がありそう」


 吉利が二本の指を揃えて右手を振り降ろすと、三枚の札が現れ灯真を囲む。

 灯真の前方、右後ろ、左後ろ。


三蛇牢(さんじゃろう)!!」

 半透明な黒の壁が下から突き出し、パキン、と音を立てて結合する。呪力による三角柱の牢獄の結界。さらにその牢の中には毒蛇が無限に沸き上がる拷問用の術だ。

 すでに膝下まで迫っている蛇を、灯真が気持ち悪そうな顔をして見ている。


「痺れ!痛み!嘔吐!よりどりみどりの毒が味わえるわよ!全身の血がゼリーみたいに固まるまでゆっくり壊してあげる!」


 毒蛇の「毒の濃度」は吉利によって調整される。


 濃度を高くすれば苦しむ姿を見ることができない。それは吉利にとって戦利品がない戦いに等しいため、普段は弱毒でじわじわといたぶる。最初は「殺すなら殺せ」と強がりを言っていても、体のいたるところを蛇に噛まれ、痛みと毒で理性を失えば、どんな屈強な剣士でも、理知的な陰陽師でも最後には泣きじゃくり、吉利に赦しを請う。それだけで吉利は相手を愛し、濡れることができた。


 過去の男たちを思い出す。徐々に壊れていく男、急にぷつりと壊れてしまう男。


 はぁはぁ、と吐息が漏れる。


(あぁ……早く来て…いや、まだ。まだよ。ちゃんと強がりが言えたら強くするから、まだ我慢するのよ……)


 想像するだけで愛おしい。至福の時間だ。


 吉利は我慢できずに一度、——ぶるっと震えた。


 だめだ。これは戦いなのに。自分の悪い癖であることは承知している。

 でも我慢ができない。

 さぁ、早く……!


 ——しかし。


 灯真は声を上げるどころか涼しい顔で蛇と牢獄の結界をまるで観察するように眺め、そして時折、吉利の方にもちらり視線だけ送っていた。


 すでに腰まで埋まっている。とっくに悶えていても良いはずだ。吉利に嫌な予感が過ぎる。


(なんで?!すでに毒の濃度は上げて全身の神経が過敏になっているはず。蛇が体に触れただけでも激痛が走るはずなのに……痛みを我慢しているの?いや、そうは見えない。私の毒はそんなヤワなものじゃない)


 だとすると可能性としては一つしかない。そもそも噛まれていないのだ。

 だがあの中にいてそんな状況は不可能なはず——。


「もうないんだな?」

「え?」

「——斬!」


 謎の言葉を言った後、灯真が手にしていた木刀で一閃。

 ただの一撃で、三蛇牢(さんじゃろう)の結界が切られた。

 結界が破壊されたことで、蛇たちも黒煙となって蒸発するように消える。


「なっ——」


 吉利が目を剥いて驚くと同時に、灯真が瞬時に間合いを詰めてきた。

 木刀が眉間に突き立てられる寸前で、吉利は体を捻り、躱わす。

 疾風のように吉利の身体を通り過ぎた。

 灯真はそのまま静かに着地し、くるりと吉利に向き直る。


「うん。大体わかった」

「……なんですって……?」

「お前を捕らえて、持ってる情報を吐かせる」


 その言葉に、吉利は苛立ちを覚える。


「ガキが……舐めるんじゃないわよ……!!」

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