29_灯真との契約
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灯真の命令が下った瞬間、椿の行動は決まった。
普段、灯真は椿の意志を優先してくれる。
椿自身はそれが嬉しくもあるし、自分が考えて行動したことが主を喜ばせる結果になったとき、この上ない喜びを感じる。
しかし今、主は私たちに命令した。
人命救助が最優先であると。
それが主の望みなら、椿が考えるべきことは一つだけだった。
誰一人、傷つけさせない。
それが、仕える者にとっての使命。
椿は、振袖を大きく翻し、疾風の如く楽奏人形たちと人々の頭上を跳ぶ。
——風纏
自身の周囲に風を纏わせ、高速移動や防御壁、かまいたちのような攻撃を繰り出すことができる椿の基底術。
付喪神たる彼女は、普通の人形には使えない「術」も扱うことができるのだ。
「あちらに行きます!」
大きな広間は三箇所ある。そのうちの一つは、最新式の自律人形が多く出展されていたはずだ。
後ろからついてきている楽奏人形に指示をだすと、楽奏人形たちも頷き、椿に追従する。
「やめろ!何をする!」
男の声、そして大勢の悲鳴が聞こえた。その方向には、出展されていた最新式の警備人形や土木作業用人形も暴走し、その一体が倒れた男の胸ぐらを掴み、投げ飛ばしていた。
「ぐはぁっ!」
男が料理が乗ったテーブルに叩きつけられる。しかし尚も攻撃の手を止めることなく土木作業人形がその男に近づいていた。
「止まれ!止まるんだ!」
関係者らしき別の男が、叫びながら制御器を必死に操作しているが、止まる気配は全くない。
そして人形が両膝を曲げ、飛びかかったとき。
苦悶の表情の男と、土木作業人形の間に、疾風が突き抜けた。
周りの皆が、風で目を細める。
しかし次の瞬間、はっと息を呑む音が生まれた。
凝縮された意識の中で皆が目にした光景。
男と人形の間にいたのは、振袖を着た幼い少女だったのだ。
「この方からお離れなさい」
椿が、手にした扇を仰ぐと、嵐のような風が局所的に起こり、人形を吹き飛ばした。
——ドゴォォォォン!
激しい衝撃音。
鉄の塊のような土木作業人形が壁にめり込み、そのまま崩れ落ちる。
そして停止したその人形に椿が近づき、屈んで手を伸ばしたとき。
『ピギィィィ!!』という短い鳴き声がして、指先に一筋の黒煙が立ち上った。
「……なるほど、今度は私に乗り移ろうとしたのですね。無駄なことを」
椿は、灯真と契約を交わしている付喪神であり、それは千手の宝具によって、何人たりとも解除することのできない特殊な術で結び付けられている。
つまり、斯様な黒蛇ごときが付け入る隙などどこにもないのだ。
しかし、そうとわかっていながらも、隙などどこにもないと分かっていながらも、灯真との契約を上書きしようとしてきたその行為自体に憤りを抑えられない。一体誰がこんなことを——。そう思いながら椿は黙って暴走していた人形に札を貼った。これは主より預かった護符で、新たな黒蛇の侵入を防ぐためのものだ。
椿はすっと立ち上がり、振り返る。
「皆さんは避難を!」
固まっていた招待客たちから一瞬のどよめきはあったものの、我に帰った者から出口に向かい走り出した。
しかし。
人形は何十体もいる。逃げ惑う彼らの行手を阻むように別の人形が、館の係員にも襲いかかる。
「ひぃっ!」
その時、二体の楽奏人形がするりと間に入った。
楽奏人形の二体は互いの手を握り、離すと、ピアノ線のような細い糸がひかれ、係員に向かって両手を伸ばしていた、暴走状態の人形の四肢に巻き付いた。
そして二体がそのまま綱引きをするように糸を引っ張ると、襲っていた人形の四肢が粉々になった。
椿と楽奏人形たちは、その後も連携をとりながら大広間にいる人形たちに護符を貼り、黒蛇を退治していった。数は多いが機動力においては比較にならない。二十体以上の自律人形たちに護符を貼り、この大広間は着実に沈静化している。
そう考えた時だった。
広間の奥で、土木作業人形が暴れていた。
人の背丈の倍はある巨躯。腕の先には、鉄の鉤爪。本来は材木や鉄材を掴んで持ち上げるためのものだ。
その人形が、傍らの展示台を、一抱えもある鉄の梁ごと鉤爪で掴み上げたのだ。
幸い周囲に人はいない。だが放置すれば犠牲者が出るだろう。
「こちらです!」
椿は土木人形に向かって走りながら、自分に注意を引きつけようと声を出す。
「ガ、ガガ…」という音を出し、顔が椿に向いた。どうやら気づいたらしい。
そして狙いを定めたように、その展示台から露わになった鉄梁を、棍棒のように椿に向かって振り下ろした。
ガァン!と激しい音を出し床が抉れる。
椿は、ふわりと後ろに宙返りをしながらその攻撃を躱していた。
「風刃」
滞空状態から扇を下から振り上げると、鋭い風の刃が発生した。
その刃は、敵の四肢を切断し、無力化する——はずだった。
しかしこの刹那、椿は胸騒ぎを覚える。
敵の人形が、僅かに椿よりも早く動き、持っていた鉄梁を投げつけてきていたのだ。
もともと、精緻な作業用ではなく力仕事のために設計された人形だ。風刃によって人形の四肢は切断されたが、先に投げられた鉄梁はほとんど暴投のように軌道を大きくずらし、弧を描きながら椿の頭上を通り過ぎた。
「しまった!」
地面に着地した椿がすぐに振り返ると、
——がぁんッ!!と天井で音がした。
高い天井の、その根元。
電気吊燈を吊るす鉄環に叩きつけられた。
そのまま落下した鉄梁の下には誰もいなかったが——。
電気吊燈の下に、幼い少女がへたりこんでいたのだ。
みし、と。
天井が、軋む。
「——あ」
誰かが、上を見た。
巨大な硝子の塊が、ゆっくりと、傾いでいく。
留め具が、一つ。二つ。ぱん、ぱん、と乾いた音を立てて、弾け飛んだ。
残った一点だけで、それは、辛うじてぶら下がっている。
「頼子!」
女の叫び声が聞こえたと思ったら、ドレスの婦人がスカートをまくり上げ、広間の中心に走り出した。
必死の形相で助けようと向かう先に、足を挫いて動けない少女。母娘であるとすぐにわかった。
頼子、と呼ばれた少女も口を半分開いたまま、声は出せずに母に手を伸ばしている。
——舞の途中で、椿に手を振った、あの少女だった。
「いけません!」
椿が言うのとほぼ同時に、残る一点の金具が外れ、電気吊燈が落下した。




