15_恋は盲目
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鬼を退治してから数日が経った昼下がりのこと。
灯真は、一緒に連れていた椿と共に、雨月堂の店の一角にある古書を眺めていた。
「あんた、買うの?買わないの?」
詩乃舞が聞いてきたので、灯真は口を尖らせて思案しながら唸った。
「うーんどうしようかな」
「優柔不断ねぇ。ちゃっと買っちゃいなさいよ」
雨月堂では来店した客に茶を出している。古書を眺めている灯真も、店にある長椅子に座りながらその茶を啜っていた。
「それより、鉱山はどうなった?」
「そんなに直ぐ稼働ってわけにいかないわよ」
「まぁ、そうだよな」
「心配しなくても緋緋色金が採れたら真っ先に回してもらう約束はとってるから安心なさいな。あ、そうそうそれより——」
そう言って詩乃舞が着物の袂から何かを取り出そうとしたその時。
からん、店の戸が勢いよく開いた。
「ごめん!」
差し込む逆光を背に、スラリとした人影が仁王立ちしている。
仕立ての良い白のスーツ。金の海中時計の鎖がポケットからのぞいている。整った顔立ちにはたっぷりとした自信が湛えられていた。
男は、店内をぐるりと見渡し、詩乃舞を見つけると、かっ、と、目を見開いた。
「おぉ!やはりここだったか!!これは僕のずの…いや、運命が導いてくれたのだ!」
「…は?」
突然ご来店した謎のスーツの男に、詩乃舞が固まる。
男は、つかつかと詩乃舞に歩み寄り目の前まで迫ると、優雅に片膝をついた。そして胸ポケットにさしていた一輪の薔薇をさっと差し出した。
「麗しの君よ。どうか、僕と結婚を前提にお付き合いを願いたい!」
いきなりの言葉に、詩乃舞は「はぁ?」と声を上げる。
灯真も啜っていた茶を吹き出した。
二人とも間違った反応ではないと自信を持って言えるはずなのだが、なぜか目の前の男も一歩も引かぬ自信を漲らせている。
「いや、いきなり何を……」
あぁ、申し遅れた、と言って金田一は立ち上がり、ずい、と詩乃舞に近づく。
「麗しの、君。僕は成益金田一だ。成益財閥の、ひいては次代の蒸気産業を担う男だ」
「はぁ」
「三日前だ。三日前のあの午後。僕を乗せた車の車窓から…君を見つけた」
「はぁ」
突然入ってきた成益金田一という、どっちも苗字みたいなリバーシブルな名前の男は、詩乃舞の「なんなのこいつ」な表情を全く気にしていない。なかなか集中力のある男だ、と思いながら灯真はその様を眺めている。
金田一の独白は尚も続く。
「その時、僕は理解したんだ。これは……まごうことなき運命だ!あぁ、麗しの君よ——」
「あ、あのお気持ちは嬉しいんですが、金田一さん」
詩乃舞の言葉に、金田一は目を輝かせた。
「おぉ、おぉ私の名を呼んでくれたか!なんだね麗しの君よ!」
「私たち、その、お互いを知らなすぎると思いますの」
「その点は心配無用だ。運命とは突然。知らないことは障害ではないよ」
「でも私の名前も知らないのでしょう?」
そこで金田一は、はたと気付いたように大仰に頭を抱えた。
「なんということだ。確かに名は大事だ。麗しの君よ、君の名を教えてくれないだろうか?」
「雨宮、——詩乃舞です」
「雨宮…しのぶ……なんと、なんと良い名だ!想像以上だ!」
詩乃舞は身体を少しだけしならせ、頬に手を添えた。
「そんなに私のことを想ってくださるなんて…」
「もちろんだ!では!」
「でも」といって詩乃舞は憂いの顔を作った。
「殿方のお気持ちというのは、口ではいくらでも仰ることができますでしょう」
「この想いが偽物であるはずがないではないか。あぁ!どうすれば」
「実は……困っている友人がおりますの」
え、と灯真は内心で遠い目をした。
詩乃舞はゆっくりと語り出す。
「先日、とある山あいの鉱山で、恐ろしい妖が出たのです。もう退治はされたのですけど……その友人が心細い思いをしております」
——友人というのは、めし屋のお上のことだろう。嘘は、言っていない。恐ろしい妖を退治したのは、他ならぬ詩乃舞と灯真ではあるのだけれど。
「私、その友人に、これを届けたいのです」
詩乃舞が袂からうやうやしく取り出したのは、お守りだった。
「これは、私の店にある福溜めの守りというもの。厄を除け、運気を招く、たいそう有難いお品。……妖の出た地は、祓ったあとも、しばらくは悪いものが寄り付きやすい。だからこそ、この守りを持たせてあげたくて」
「おい、それって…!」
様子を見ていようと考えていた灯真が、思わず声を上げてしまった。
金田一は、灯真のことを初めて認識したように「んん?!」と睨んだ。
「なんだ君は?」
「お、おれは御影灯真。詩乃舞の幼馴染で…ってそんなのどうでも良いんだよ、それより……」
「お、幼馴染だと!」
金田一は、わなわなと震える。
「幼馴染、すなわち、幼き頃より詩乃舞と甘い時を過ごしてきたということか!おのれ……!!」
金田一は、びしっと灯真を指差す。
「灯真と言ったな!詩乃舞を賭けて尋常に勝負だ!」
「なんなんだこいつは。心底迷惑だ、と灯真は思った」
「灯真様。それは心の声でございます」
椿の冷静な言葉に「あ」と口を押さえた。しかし心配しなくても金田一には聞こえていないらしい。
灯真は気を持ち直して、軽く咳払いをした。
「……勝負はしない。それよりそのお守りはお前じゃ荷が重い。やめときな」
「——なんだと?」
「ちょっと。灯真は黙ってて」
詩乃舞がむくれた顔をしながら割って入る。
「金田一様。私を想ってくれるなら、お力を貸していただけませんか?」
「なんと健気な!よし、使いの者をすぐにでも走らせよう!」
「……いいえ」
詩乃舞は、悲しげに、首を振った。
「これは、とても、大切なお品。……見ず知らずの、使いの方では心配なのです。信じられる、たしかな方の手で、届けていただきたい」
「ならば!」成益は、胸をどん、と叩いた。
「この、成益金田一が!自ら、この手で届けてこよう! それこそ、僕の誠意の証!」
「本当に……?ああ、なんて、頼もしい」
詩乃舞は、感極まった、というふうに、両手を、胸の前で組んだ——が。
「……ただ」
「これはとても高価なお品……祖母から、決してタダでは人手に渡すな、と、きつく言われておりますの。有難いお守りには、しかるべき対価がなければ神や仏にも失礼だと」
「造作もない!いくらだ!」
「二十万円です」
なんて奴だ。
「安い! 詩乃舞の友への想い——その、健気なる心根を考えれば、二十万など安いものだ!僕が払うから安心するのだ!」
こうして——ものの見事に。
成益金田一は、二十万円で、一つのお守りと、危険なお使いを、喜び勇んで、買い取ったのであった。
***
金田一が意気揚々と二十万円の小切手を切っていたその時。
詩乃舞は、もう一つ別のお守りを懐から出し、金田一に握らせた。
「これはおまけの、魔除けのお守りです。道中肌身離さず持っていてくださいね」
「なんと、詩乃舞が私に……!大切にしよう!」
さらりと渡されたそれを、灯真は横目でじっと見ていた。
福溜めの守りは、運気を「招く」、有難い品——と、詩乃舞は言った。だが、あれの本性を、灯真は知っている。あれは、運気を、溜め込む器だ。いわば、空の、水瓶。中身が空のうちは——満ちるまで、周りの運気を吸い上げ続ける、いわくつきの代物だ。
持たせた魔除けは、その「吸い」から、持ち主の身を、守るための、相殺の品。これがあれば、多少、運に見放されても——妖に付け込まれるような大事には至らない……はずだ。
確かにあれさえ、失くさなければ、の話だが。
「では、行ってくる!朗報を楽しみにしていたまえ!」
薔薇を、ひらり、と振って、成益金田一は、颯爽と店を出ていった。表に停めた、ぴかぴかの蒸気自動車が、しゅう、と白い息を吐いて走り去っていく。
からん、と、戸が閉まって。
しん、とした店内に。
「……ふぅ」
詩乃舞が、小切手を、うっとりと、灯りに、かざした。
「二十万。……いい、お客だったわぁ」
「お前なぁ」
灯真が、じとりと、睨む。
「あんな押しの強いだけの坊ちゃんに、空っぽの福溜め二十万で売りつけて……夜道なんかだめだろ」
「大丈夫よ。魔除け、持たせたもの」詩乃舞は、けろりと言った。
「運は吸われても、命までは、取られやしないわ。それに少し痛い目見れば諦めるかもしれないでしょう?」
「うーん」と唸り、灯真は、立ち上がった。
「ちょっと、様子見てくるよ」
「あら」詩乃舞が、にやりと、笑う。「恋敵の、心配?」
「んなんじゃねぇよ」
灯真は、椿を促し、成益の走り去った方へと、足を向けた。
嫌な予感が――術者の勘が、どうにも、ちりちりと疼いて仕方がなかったのである。
本当のことを言えば、大正時代の20万円は今の価値で5000万〜1.2億円くらいなのだそうですが、この世界だと、多分200万円くらいだと思います。




