14_成益金田一のビッグバン
▪️第三章
ある日の、午後のことであった。
帝都の大通りを、一台の黒塗りの蒸気自動車が、しゅう、しゅう、と、優雅に白い息を吐きながら走っていた。
他の車とは一線を画すほどの磨き上げられた車体。そして成益財閥の紋。
その車内の後部座席で、成益金田一は、ふかふかの革張りに身を沈め、退屈そうに頬杖をついていた。
「ふん。今日の会合も、退屈だったな」
車内にいるのは金田一と、お付きの運転手の長谷部のみだ。一応、金田一は長谷部に聞こえるように言ったつもりだが、反応はない。
次代の蒸気産業を担う男——と、自他ともに認める金田一にとって、年寄り連中の商談など、あくびの出るものばかりだ。
退屈だ、と思う。
年寄り以外にも不満はある。「出会い」がないのだ。
金田一は自分のルックスにもそれなりに自信を持っている。少なく見積もって平均以上、いやAランク。いやいやそれこそ歴代の成益家の中でも突然変異ではないかと思うくらいトップクラス、というかトップではないだろうか。
……ちがう、そんなことが言いたいのではない。とにかく男女問わず、彼に擦り寄ってくる者たちは多いが、それは自分に向けられたものではないことも分かっている。要は金田一の後ろにあるものに目が眩んでいるのだ。
金田一は「はぁ」とため息をつく。真に、この俺の心を震わせるような運命的な出会い。そういうものは、どこかに転がっていないものか。
そんな茫洋とした願望が、最近大きくなっている。
「この俺を射抜くような女性はいないものか」
長谷部の反応は期待していない。独り言を自覚しながら何気なく、車窓の外へ視線を向けたその時。
ふと、一点で、止まった。
往来の、雑踏の中。
一人の娘が、いた。
長い髪がはらりと風になびく。矢絣の着物に、袴、革のブーツ。大きな瞳。その、凛とした横顔。紗がかかったようなきらきらとした女性が向こうから歩いてきたのだ。
「……な、なんだ……と……!!」
———時が凝縮される。ずぎゃん、と何かに撃たれたような衝撃。
いやそれでは全然足りない。神が与えたもうた濃密な一滴を舐めた直後、金田一の心はビッグバン並みに爆発した感覚。
どく、どく、と、心の臓が、早鐘を打つ。頬が、かっと、熱くなる。ぴかぴかの車窓にびたりと顔をつけ、凝視する。
「あ、あの、娘は……!!」
かはぁ!と堰を切ったように息をした。
「お、おい長谷部!い、今俺は何分息を止めていた!?」
「三秒ほどでございます」
くそう、話にならない。なんなのだこの運転手は。そんなはずはないだろう。少なく見積もって八分は止まっていたはずだ。
いや、しかし人間がそんなに息を止められないことくらい知っている。落ち着くんだ俺。
とにかく。
「——運命だ」
金田一は、確信した。
あれこそ、俺が生涯をかけて探し求めていた、麗しの君に違いない!あの、凛々しさ。あの、気高さ!
「車を止めろ!」
「次の予定に遅れてしまいます」
「そんなものは全てキャンセルだ!」
「無理でございます」
なんなのだ。箱の中の鳥すぎるだろう!俺!
激昂しそうになったところで我に帰った時には、もう、蒸気自動車は、娘の姿を通り過ぎていた。人混みに紛れ、その緋色の袴が、見えなくなる。
「おのれ……!!だが、逃さぬぞ」
金田一は、ぐっ、と、拳を握った。瞳は、めらめらと、燃えている。
「長谷部!今のあの娘を捜し出せ!」
「はぁ。どの娘でございましょう」
嘘だろ、長谷部が朴念仁であることは知っているがそれは嘘だろお前。いい加減にしろよ、と思いながら金田一は目を丸くした。
いや、今はそれどころではない。こんな奴に脳を割いている時間が勿体無い。考えろ、考えるんだ金田一。
金田一の頭脳が電光石火の如く回転する。
娘は、この車とは反対方向から来て、通り過ぎた。
然るに、俺が向かっている方向とは、反対方向に歩いていったはずだ。
ということは、さっき車がいた地点よりも、向こう側に歩いていたはずだ。
しかし娘の姿が見えなくなった。
曲がり角はない。
「なるほど」
笑みを讃えながら金田一は一人呟いた。
この勝負、俺の勝ちだ。
姿が見えなくなったのは、きっと建物に入ったからに違いない。
どの建物だ——!!
冴え渡れ俺の勘!
こうして——。
三日の後。成益金田一は、まんまと、一軒の古物商へと、たどり着くことになる。
その店の名を、雨月堂。
そして、彼の見初めた"麗しの君"こそ——おそらく帝都でも指折りの商魂たくましき若女将、雨宮詩乃舞その人であったことを。
この時の金田一は、まだ知る由もなかったのである。




