38.バルコニーの告白――月夜の誓い
アナスタシアが夜会の喧騒を逃れて訪れたバルコニー。
その後を追うようにやって来た『あの人』。
――二人が再び出会ったことに、意味はあるか、それとも――
夜会の喧騒から外れ、アナスタシアはバルコニーに立っていた。
騎士として戦場に立つ緊張とは全く違う空気に、心は終始、張り詰めていた。
――今のわたしには、この辺りが限界か……
情報戦ともいえる夜会でのやりとりは、常に相手との本音の探り合いだ。
キースランはさすが百戦錬磨と言ったところだろうか、自分の思惑の十分の一すら語ることなく、相手からすらすらと情報を引き出している。
「キースランさまから学ぶことは多いな。」
小さなつぶやきを掻き消すように、風が吹き抜ける。
身体がわずかに震えると、背後に足音が聞こえた。
「すみません、今戻ろうと思っていました。」
覚えのある気配に、キースランだと思い、振り返りざまに声をかける。
バルコニーにあらわれた人の姿を見て、アナスタシアの身体が凍りついた。
「カ…イン……」
会場で、一瞬だけその姿を見たような気がして、何食わぬ顔でそれを否定し打ち消した。
いるはずのない人を探してしまう未練が、自分の深層心理を映し出しているようで、慌てて否定したのだ。
「アナスタシア……」
領地でのプロポーズから、時はたっている。それでもカインの姿が、声が、まだ癒えていない傷をえぐる。カインの呼び声に反応するかのように、月明かりが雲に隠れて影を差す。
「やっぱりここだったか。」
騎士団に在籍していたあの頃のように、カインが笑う。
「そろそろだろうと思ってな。」
「……なにがだ?」
あまりに当たり前のように話しかけられて、思わず口調がいつもの自分に戻る。
「リセット……」
雲が風に流されて、月明かりがカインの顔を照らす。
「一度、頭をクリアにしたいんじゃないかと思ってな。」
優秀な相棒は、ほんの数か月離れたところで、自分の思考も癖も忘れたりしないようだ。
「この場所はうってつけだ。」
カインがそう言って笑った。
慣れない夜会の雰囲気に疲れたのも本当だ。でも、会話から得た膨大な情報を処理したくて、アナスタシアは席を外した。
――アナスタシアがリセットするなら、バルコニーは確率が一番高い。
カインはそれを見越して、ここに来た。
「お前に隠し事はできないな。」
「当たり前だろ。」
気心の知れたやり取りが、懐かしさとともに胸の痛みを連れてくる。
アナスタシアは、その痛みに気づきたくなくて、指先を強く握り込んだ。
「お前、剣を……置くつもりか?」
戦場で、敵を一気に仕留めるように、逃げ場をなくして追い詰める。
不意打ちで核心を突く問いが投げられる。
「……」
答えに詰まったアナスタシアが、ドレスの裾を握りしめた。
すぐそばで、さっきから何も変わらない夜会のざわめきと、ダンスホールに響く音楽が優しく流れている。
***
夜風にあたると言ってバルコニーへ向かったアナスタシアの背中を見送って、キースランは談笑に戻っていた。けれど、そのあと彼女が消えたバルコニーへ向かったカインの姿を見つけ、キースランは静かにあとをつけた。
「そろそろ動くか?」
安い挑発にのって、カインがキースランを睨み返したのが、ほんの数分前。
「ようやく意図に気づいたようだったからな。」
動揺を隠そうと必死だった顔が、わずかに険しくなったあと、目つきが鋭くなった。
送られる視線に、真意を知って怒りがこみ上げたのだろうと思う。
――まぁ、気づいただけ上出来か。
領地へ連れていくと宣言したあの日、アナスタシアを傷つけたカインに、キースランは少なからず腹を立てていた。あの壊れそうなアナスタシアの姿を思い出して、無意識に拳を握る。
「あの時の彼の行動くらい、おおよそ察しがつく……まぁ、同情の余地もある。だが、シアの気持ちを置き去りに決めた話は、あまりに無神経で身勝手だ。」
独り言をつぶやくキースランの顔には笑みが浮かんでいるが、それはどこか皮肉めいた苦笑にも見える。
――わたしにも、まだこんな風に憤るだけの情熱があったとは、少し驚きだ。
そう気づいて思わず笑う。
静かに踏み出したバルコニーの隅……闇に紛れて二人を伺う。
『無敗の双剣』と呼ばれたこの二人には、言葉にしなくとも分かり合える何かがあるようだ。
その姿に、瞬きを忘れて凝視する。
「少し、妬けるな……」
無意識に口にした言葉が胸を刺す。想像以上の痛みに、キースランはまた苦笑いを浮かべる。
沈黙でさえ、当然のように成立する二人の空気……もうすでに忘れたと思っていた苦い感情がこみ上げて、それを無意識にかみ砕いていた。
「それでも、この二人には必要な時間だからな……」
気配を感じることに長けているであろう騎士二人――彼らに気づかれないよう、キースランも陰に隠れて気配を断った。
***
誰の言葉だっただろうか……アナスタシアの脳裏に、現実を突きつける言葉が浮かぶ。
――沈黙は肯定を意味する
アナスタシアは何か言おうと口を動かそうと試みるが、言葉にならない。
「お前は、騎士だろ?」
カインの瞳に切なさが映る。
「……」
無意識に、指先が――あの時の傷跡を探す。
消えない傷に触れ、忘れたい過去から目を逸らした。
「わたしはもう」
――剣は持てない……
酷く喉が渇いて、息苦しくなる。
――カインに『騎士である自分を捨てる』など……言えるはずがない。
察しのいいカインなら、これですべてがわかるはずだ。
戦場で何度も救われた『心の読み合い』を、身勝手にも期待する。
「俺は認めない。」
恐らく、何を言おうとしたのか分かったうえで、カインがきっぱりとそれを否定する。
アナスタシアが息を呑んだ。
「俺がお前の帰る場所になる。」
戦場で見慣れた決意を秘めた瞳が、真っすぐアナスタシアを射貫く。
二人の間に強い風が吹き抜けた。それでもその目には、瞬きさえ許さないほど迷いがない。
「お前と共に生きていきたい。
俺は、騎士として、男としてお前が――――」
そのカインの最後の言葉を遮って、キースランがバルコニーに姿を見せた。
「シア、これ以上は身体が冷えるよ。」
自らジャケットをアナスタシアの肩にかけ、震える肩を抱き寄せた。
大切な言葉を掻き消され、カインが寄り添う二人を見つめながら拳を握る。
「ニコルソン殿。なにか、邪魔をしてしまったかな?」
バルコニーに二人でいたことさえ、問題になってもおかしくない。
それ以上に、今の会話を知られるわけにはいかない。
カインはただ黙るしかなかった。
「震えているね、大丈夫かい?」
アナスタシアにだけ聞こえるように、キースランが彼女の耳元でそっとつぶやく。その姿は、まるで頬に唇を寄せる仕草のようだ。少なくともカインにはそう見えた。
「彼女の護衛、ありがとう。礼を言うよ。」
キースランは静かにそう告げて、アナスタシアを会場へと促した。
夜会の会場を護衛している騎士団員が、招待客の令嬢と二人きりだったことを咎める様子はなく、キースランはさらりと『カインの護衛の立場を守り』、『彼女をさらっていった。』
――こうまではっきりと、立場の違いを見せつけられるとはな。
何も言えず、何もできずに見送る――今のカインの立場では、それ以外の選択肢がない。
――君は、どうする?
盤上で次の一手を求められている……そんな不思議な感覚さえ覚えた。
「俺はお前が……」
向かい風が、カインの言葉を遮るように吹き抜ける。
「欲しいんだ。」
アナスタシアに告げることができなかったその言葉は、月明かりの中で舞った風に、静かに奪われていった。
思惑に気づき、それに抗う決心をしたカイン。
それでも、キースランはどこまで先を見抜いているのか――
次回「戦場ではない戦い」
アナスタシアのために立ち上がるカイン。
男としての誇りをかけた戦いを制すため、
カインが選択した手段とは――
お楽しみに!




