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女騎士団長、アナスタシア・マーベル~あなた以外の愛ならいらない〜  作者: Alicia Nish
第二章:運命が紡ぐ未来

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34/45

34. 愛してくれる大人の男

何も選べないと思っていたアナスタシアは、

「選ばなくていい場所」へと導かれる――

特別な役割も、存在証明もいらない。

ただ『思うままに過ごせばいい』と、その人は言ってくれた――。




『強硬手段』というのは、時と場合によっては、ある種の救済かもしれない。

戸惑う暇も、迷う暇もなく、キースランに連れられて領地へと向かっていた。


「わたしが領主を務める公爵領へ――一緒に来てもらうよ。」


言葉にされた決定事項は、覆す方法をすべて封じられ、お茶をしているわずかな時間に、優秀すぎる侍女たちによって準備まで整えられてしまった。


「何も考えなくていい。」


そっと握られた手から、優しさが流れてくる。


「何も言わなくていい。」


手の甲に触れた唇の感覚に、指先まで温かいしびれを感じる。


「世の中がどんなに広くても、騎士をエスコートする栄誉を与えられる人は少ないだろうな。

  まして、これほど美しい人の騎士になれるなんて、わたしはどこまでも幸運らしい。

 感謝するよ、シア。」


驚くほど快適な馬車の中で、侍女もおらず、二人きりになっていることに動揺しているうちに、いつの間にか愛称で呼ばれるようになっていた。あの慌ただしい準備の最中に、まるで荷物を確認するような流れで、愛称を認めさせられてしまったのだ。


「大公閣下……急すぎます。」


突然に詰められた距離に、どうしていいかわからず、アナスタシアは俯いた。


「キースラン。」

「え?」

「キースランだ。」


射貫くよう眼差しが向けられる。


「キースラン……さま。」


一段と大きくなる心音に、胸が裂けてしまわないかと心配になる。

照れくさくて、小さな声で名前を呼ぶ。

大人の策士は、ここと決めたら退路はすべて断って攻めてくるらしい。


「シア、もう一度ちゃんと呼んでくれ。」


名を呼ぶまでは諦めないだろうと、顔を見なくてもわかる。


「キースランさま。」


意を決して、今度は顔を見て名を呼ぶ。


「領地に着いたら、何がしたい?」


名前を呼ばれたことが嬉しかったのか、キースランが屈託のない笑みを浮かべる。


あはは


緊張が弾けたように、つられてアナスタシアも笑い声を上げた。


「いいな。その笑顔が見れて安心したよ。」


眼差しが大人びる。

ガタンと大きく揺れた拍子に浮いた身体を、自然に抱きとめられる。

気づけば身体は密着している。

バクバクと不自然なほど大きな音を立てる心臓に、身体が熱くなったことを感じると、キースランの心音も近くで響く。どことなく、鼓動が速く聞こえる。

腰に添えられた手にわずかに力がこもり、そっと顔を見上げると、目が合った。

何も考えられないまま、時間がスローモーションで過ぎていく。

ごく自然にあごを持ち上げ、キースランの顔が近づいてくる。


甘くなった空気に気づいたときには、もう逃げられなくなっていた。


「残念、時間切れだ。」


ふっと笑ってキースランの手が緩む。

馬車がゆっくりと止まった。

どうやら、公爵邸に到着したようだ。

アナスタシアは、離れていくキースランの指先に、寂しさを感じたことには、気づかないことにした。


***


「おかえりなさいませ、大旦那さま。」


一目で家令とわかる紳士が、キースランを迎えている。


「シアの前で、大旦那はやめてくれ。」

「ノックスさまは若旦那様と呼ばれることを嫌がり、キースランさまは大旦那さまと呼ばれることを嫌がられては、使用人は困り果ててしまいます。申し訳ございませんが、呼び名は業務に差し支えますので、受け入れていただきます。」

「相変わらず、手厳しいな。」

「褒め言葉として、受け取っておきましょう。」


何気ない会話に、二人の信頼を感じる。家令としての秩序を守りながら、心地よい距離感をもつ。彼が一流であることが、この一瞬で感じられた。


「ヴィクター、こちらがアナスタシア・マーベル伯爵令嬢だ。」

「アナスタシア・マーベルです。お世話になります。」


家令とはいえ、相手は公爵家の使用人。失礼にならないように礼を尽くす。


「一介の使用人に、丁寧なごあいさつ、痛み入ります。ミルグレン公爵家で家令をしております。どうぞ、ヴィクターとお呼びください。」


視線を交わし挨拶を済ませると、キースランがすぐに会話に入ってきた。


「準備は?」

「整っております。中庭へどうぞ。」

「ありがとう。」


会話の意図が読めず、二人の顔を交互に見る。


「シア、疲れているかい?」

「いえ、大丈夫です。」

「それは良かった。じゃあ、中庭へ移動するよ、おいで。」


流れるような仕草で手を取る。エスコートに慣れているのだろう。気が付けば取られた手は腕へと運ばれ、キースランが歩き出していた。



「うわぁ。」


玄関の吹き抜けにも驚いたが、左右の階段をまるで額にしたように、中央には大きな扉があった。

軽々とその扉を開けて、一歩踏み出すと、そこには中庭というには広すぎる美しい庭園が広がっていた。

柔らかい日差しの中に広がる風景に、思わず感嘆の声が漏れた。


「気に入ったかい?」

「とても綺麗。」

「わたしのお気に入りの場所へ案内しよう。」


手を引いて歩きだすキースランは、さっきまでの色気とは対照的に、はしゃいでいる子供のようだ。


「ここだ。」

「……すごい。」


庭の真ん中に大きな木が立っていた。そして、その幹にはいくつもの小さな白い花が咲いている。


「木の枝ではないところに、花がいっぱい。」

「この大きな木は楠。咲いているのは富貴蘭(ふうきらん)という東洋の蘭の花だ。」

「東洋の花?」

「まずは、ゆっくり深呼吸してごらん。」


促されるまま大きく息を吸う。すっと心が洗われるような、爽快感溢れる香りがした。そして、その香りに、少し甘い匂いが混ざっている。


「香りは、楽しめたかい?」

「香りを楽しむ?」

「そうさ。庭は見て楽しむ人が多い。でも、わたしはシアに、全身で楽しんでほしいと思ってるんだ。」

「全身で?」

「五感を使ってね。」


キースランが、茶目っ気いっぱいにウインクを飛ばす。


「視覚、嗅覚ときたら、次は聴覚かな……ほら、耳を澄ましてごらん。」


促されるまま、アナスタシアは静かに耳を傾ける。

風が青く茂る木の葉を揺らし、ざわめく音が聞こえる。


「そして、残りは二つ……触覚と味覚だ。」


楠の下に整えられたテーブルに、二人で腰掛ける。ヴィクターに確認していたのは、このことだったのかもしれない。まるで魔法のように、絶妙なタイミングで何もかもが揃えられている。


ボナ・ぺティート(召し上がれ)。」


上品なティーカップにはオレンジペコの優しい香り。そして、お皿にはバターたっぷりのマドレーヌが用意されている。


「どうだい?」


旅の疲れを癒すように、紅茶がゆっくりと身体にしみていく。口にしたマドレーヌからは贅沢なバターの味がする。そして、それをくどく感じさせないオレンジピールのさわやかさと、わずかな苦みに気づく。


「美味しい。」


気が付けば、自然と笑みがこぼれた。

心から自然に笑えたのは、いつ以来だろう。

ポロリと涙がこぼれる。


「君の心は疲れていたんだ。傷ついていることに気づくことさえできないくらいね。」


キースランが指先で涙を拭う。


「シア。ここでは君は君の思うようにすればいい。好きなものを見て、好きなものを食べて。泣きたいときには泣いて、好きな時に笑っておくれ。わたしはどんな君も見逃さない、見逃したくない。最高に贅沢に、わがままに過ごそう。」


芝居がかった口調で笑うキースランの優しさに、また笑みがこぼれる。


――わたしが思うように過ごす、最高に贅沢でわがままな時間


キースランの優しさが、静かにアナスタシアの心へ届いた。




大人の溺愛は、どこまでも甘く優しい。

傷ついた心をゆっくりと癒し、

やがてそれは、再生へと繋がっていくのだろうか――


次回「穏やかな日々」

ゆっくりと癒されていく毎日の中で

アナスタシアが気づいた譲れない想いとは――

お楽しみに!

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