27.欠陥品
「正直に申し上げて、騎士として復帰することは、難しいと思います。」
伯爵家の侍医が、申し訳なさそうに告げた。
それは、事実上の『引退宣告』。
父に促され、医師は部屋を出ていった。
アナスタシアは、呆然とその姿を見送った。
「難しい……ということは、不可能ではないのですよね?」
すがるように父へ問いかける。
体力は確実に落ちている。
そのうえ、筋力も戻さなければならないのだ。
「現場復帰は難しい。当然ですよね。以前と同じように動けるには時間がかかる。」
消えてしまいそうな希望の灯を必死に守るように、アナスタシアは様々な思考を巡らす。
騎士団で再び仲間と剣を交える姿を想像して、微笑み。
動かない身体に膝をついて絶望する。
感情の高波が押し寄せて、一縷の望みを呑み込んでいく。
無言で視線を落とし、小さく息を吐くと、覚悟を決めた顔で父がアナスタシアに向き合う。
「貴族院からは、事実上『解雇通知』が届いている。」
「な…なぜ?」
「奴らは、お前を『欠陥品』と判断したようだ。」
父の言葉に、初めて涙が頬を伝う。
「わたしはもう……騎士には戻れない……と」
身体の奥底から、虚無という闇が広がっていく。
生きる意味を失くし、未来には何も映らなくなった。
「……わたし、もう……」
強い風が窓をうつ。
ガタガタと震えた窓枠の音に共鳴するように、アナスタシアの身体が震え出す。
うぁああああああ
全身を震わせて、身体の奥底から絞り上げるようなうめき声が響く。
絶望という生き物が存在するのなら、その鳴き声は喉を切り裂くような音なのかもしれない。
とめどなくあふれる涙を拭うこともなく、天を仰ぎ泣き叫ぶ。
抱き寄せられた父の腕の中で、ただひたすらアナスタシアが泣き崩れた。
***
絶望の淵にあっても、明日は平等にやってくる。
ルーカスを亡くした時の空虚とは違う、深く暗い闇が心を支配していた。
「ルーカス……やはり、わたしが生き残ってはいけなかったのかもしれないな。」
残された魔石に語り掛ける。
――生きる意味を失った。
人生に絶望するには充分な理由だ。
騎士団に必要ない人間だと宣告された。
だからこその『解雇通達』だったのだろう。
「いまさら、わたしに何ができるというのか……」
つぶやきに重なるように、扉をノックする音がした。
「アナ。少しいい?」
「はい。」
みっともなく泣き崩れた日から、母はよく部屋を訪れる。
無理やりにでも笑おうとする娘を痛々しく思っているのだろうか、見つめる瞳が不安げだ。
「領地から届いたの。」
手渡されたのは一通の手紙。
送り主は――カイン・ニコルソン。
「領地のあなたの部屋で、未開封のまま残されていたそうよ。
……あなたに開けてもらえるのを、待っていたんじゃないかしら?」
それは、謹慎中に訪れた領地で受け取った手紙だった。
勇気がなくて開封できないまま、王都帰還命令が出されそのままになっていたのだ。
カインへの想いを自覚したばかりで、大切な仲間を亡くした。
感情のコントロールが効かなくなりそうで、どうしても読むことができなかったものだ。
「ありがとうございます。」
動揺を隠して手紙を受け取る。
「あなたを励ますことになればいいのだけれど。」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません。わたしは……」
「いいのよ、アナ。ゆっくりと時間をかけていいの。」
包み込む春の日差しのような温かい母の優しさに、どれほど救われて来ただろう。
足掻き、藻掻きながら、沈んでいくのを止められずにいる。
それでも、光を見失わないでいられるのは、家族がそこにいてくれるからだ。
「これは、騎士団の仲間からの手紙です。読んでみますね。」
母は微笑むと、部屋を出ていった。
手紙と向き合う機会をくれたのだろう。
開封しようと手紙を掴む指先が震える。
「いまさら読んでもいいのだろうか。」
すっかり時期を逃してしまった。
けれど、気遣ってくれた使用人や母の気持ちを無駄にはできなかった。
小さなテーブルに腰掛け、ゆっくりと手紙を開く。
そこには――
お前の覚悟はわかっているつもりだ。
お前はお前のままでいい。
お前の価値はお前が知っているはずだ。
ただ、もし見失うことがあったなら、俺に聞け。
俺がお前の価値を忘れることはない。
お前が思うより、お前の生命は重い。
忘れてくれるなよ。俺にとって、お前は失うことのできない仲間だ。
――カイン
小刻みに震える身体を抱きしめ、深呼吸する。
傷口が疼いた気がしたが、思うようには動かない。
そしてそれは痛みさえ感じることができない。
家を守るという未来。
わたしを理解し尊重してくれる旦那さまとの、剣を持たない未来。
騎士としての未来。
わたしを理解してくれる仲間と、剣で大切なものを守る未来。
「あの時のわたしは、どちらの未来にも不安をもっていたな……贅沢な話だ。」
選べないと思っていた。
どちらの未来も大切で、大きな意味があった。
だからこそ、どうすべきか迷った。
「未来が選べないというのは、今のわたしこそが言えること……なんだろうな。」
運命の皮肉さに、思わず笑った。
空を切るような白々しさがあっても、笑うことができた。
「そうか、未来は未知数ということか。」
絶望的な暗闇しか見えないこの先の人生に、悲観しかしていなかった。
けれど、幸せしかない未来が存在しないように、絶望しかない未来もまた存在しないのだ。
「カイン――わたしはまた、お前に救われたな。」
同期として、仲間として最も信頼してきた男性。
大切な人が『失いたくない仲間』だと言ってくれた。
わたしの生命は重いと教えてくれた。
「王宮の者たちは、初めからわたしの生命などどうとも思ってはいなかったじゃないか。」
耳を傾ける場所を間違えてはいけない。
ましてや、心を預ける相手を間違えていいはずがない。
久しぶりに、頬を撫でる風を心地よく感じた。
ゆっくりと波打つ鼓動が、生きている証なのだ。
「生き延びたことに意味を見出すのはわたしか……」
未来を思うたび、失くしたものの影が色濃さを増す。
明日の自分を楽しみだと思える――それが奇跡なのだと知った。
今はまだ強がりだとしても、そう考えられることが未来へ踏み出す一歩になるはず……そう信じたかった。




