26.目覚めた先の絶望
野営でできる治療は限られている。
疲弊した騎士たちを拘束し続けるわけにもいかない。
紅蓮龍討伐から一日が経ち、比較的容体が安定したことを確認して、王都へと帰還した。
伝説の魔獣討伐隊帰還の凱旋パレードを、隠れるようにするわけにはいかない。
そして、その帰還には『英雄』が必要だ。
国民が安心し、王権が揺らがぬための"象徴"が必要不可欠なのだ。
だが、この戦いの最高功労者であるアナスタシアは、まだ深い眠りの中にいる。
騎士団と魔術師部隊の総意で、凱旋のリードはカインに決まった。
「団長は……」
「俺たちに任せておけ。国民を安心させるのも、俺たち騎士団の仕事だ。」
決定が理解できても、受け入れられないカイン自身は、最後までその役目を渋っていた。
だが、アナスタシアを護衛する同期の四人、フィル、エリック、ラルフ、そしてジャックが、カインを見つめて頷く。本来なら、隊長クラスの彼らも凱旋パレードに出るべきだった。だが国民には気づかれないだろう――少なくとも表向きは問題にならないだろうと判断された。そしてなにより、彼らがアナスタシアの護衛を望んだのだ。
「お前ら、頼んだぞ。」
カインは一度だけ深く息を吐き、彼らに役目を譲った。
そして、アナスタシアが果たせなかった討伐の締めを、彼女に代わってやり遂げると決めた。
こうして、よく晴れた昼下がり、紅蓮龍討伐隊の凱旋パレードが華やかに行われた。
***
アナスタシアは宿舎ではなく、王都のマーベル伯爵邸に運ばれた。
使用人は真っ青になり、マーベル伯爵はアナスタシアの姿に言葉を失くした。
「申し訳ありません。団長は、我々を守って……」
エリックの言葉が、最後まで続かない。
「娘は、騎士として、団長として役目を果たした。君たちが無事で良かったよ。」
マーベル伯爵は、エリックの肩に手をのせてそう答えた。
その言葉の重さに、フィルもラルフもジャックも言葉なくうつむくことしかできなかった。
***
「お嬢さま、今日は暖かい日になるそうですよ。」
乳母がいつものように、アナスタシアの身体を柔らかい布で清めていく。
帰宅後すぐの医師の診断では、魔力と体力の回復が充分になされてからお目覚めになるだろうということで、時間がかかると言われた。
柔らかい陶器のような白い肌を清めている乳母の手がアナスタシアの脇腹あたりで止まる。
「お嬢さま……」
アナスタシアを幼少のころから知っている乳母は、この役割を進んで受け入れた。
若い侍女には荷が重すぎる。
レベルIIIと診断された火傷は、帰宅当初に比べれば随分と落ち着いた。
それでも"明らかに違う"その肌色は、アナスタシアの白い肌に目立ちすぎる。
「……んっ」
衣服を整えていると、アナスタシアが小さく身じろぎした。
「お嬢さま?」
乳母の呼びかけに、うっすらと目が開けられる。
「お嬢さま!」
「ここは……わたしの、部屋?」
まぶしそうに手をかざす姿に、乳母は涙が止まらなくなった。
「無理して起き上がってはいけませんよ。旦那さまをお呼びしますね。」
扉の外に控えていた従者に伝達を頼む。
すぐに医師が呼ばれ、アナスタシアの部屋には家族が集まった。
「アナ。」
ベッドの脇で泣き崩れる母を支える父と、その横で怒っているような安堵したような複雑な泣き顔を見せる兄がいた。
「領地にいらしたのではないのですか?」
「お前の一大事に、そばにいない選択などない。」
「ここからでも、仕事はできるさ。」
どうやら父も兄も、王都のタウンハウスで仕事をしていたようだ。
アナスタシアが苦笑いする。
「アナ……大丈夫なの?」
母がやっとの思いで問いかける。
「はい。ご心配をおかけしました。」
ぼんやりとはしているが、記憶はハッキリとしていた。
「どれくらい……経ったのですか?」
最後の記憶はヴェルデスの深淵で、紅蓮龍と対峙した場面だ。
状況を思い出してはっとする。
「みんなは?騎士団は無事ですか?」
「あぁ、無事だよ。お前に守られたと、頭を下げられてしまったよ。」
困ったように父が笑う。
「よかった。」
安堵のため息とともに、右脇の一部に違和感を覚える。
「わたしは、倒れたのですね。」
重い沈黙が流れた。
「三週間、意識が戻らなかったの……静かに眠ったまま全く動かなかったのよ。」
母の静かな声に、深刻さがうかがえた。
筋力の低下を見れば、数週間が経過しているだろうことも想像ができる。
それよりも、身体に不自然な箇所があることのほうが気がかりでアナスタシアは母を見つめた。
「お母さま、人払いをお願いできますか?」
「アナ……」
アナスタシアがしようとしていることを理解して、母は戸惑いが隠せない。
「慌てなくていいのよ。」
そう告げるのが精一杯だった。
「覚悟はできています。」
強い眼差しに、騎士を目指すと告げた面影が重なる。
父と兄がゆっくりと部屋を去り、パタンと扉が閉まった。
***
部屋に残ったのは、母と乳母だけ。
誰とも目を合わすことなく、誰の声も聞こえない。
乳母の手を借りて、全身鏡の前に立つ。
前合わせになっているローブの紐を解き、鏡で身体を確認する。
「あっ。」
思わず声が漏れた。
紅蓮龍と向き合っている時に最も痛みを感じた場所は、何かを張り付けたかのように茶褐色に色が変わり、皮膚の厚みが増していた。違和感の正体は、その部分だけ"何も感じない"からだった。
ゆっくりと指先でなぞったその肌は、"皮膚ではない何か"になっていた――そして、この感覚が意味することを直感的に理解してしまった。
「一人に……一人にしてくださいますか?」
アナスタシアが静かに告げる。
「大丈夫、何かあればちゃんと人を呼びます。」
ローブを重ね合わせ、母を見つめ返したアナスタシアの瞳には、感情が見つけられなかった。
怒りも、悲しみも、絶望も……動いているはずの感情は深い暗闇に沈んだ。




