23.有能な男
王都からの噂が届く。
「第三騎士団は代理団長の指揮のもと、任務成功。」
優秀な商人というのは、情報に実に精通しているものだ。
「それでも、この功績は『アナスタシア団長の教えがあってこそ』だと言って『団長代理』の立場を譲らないとおっしゃっているために、貴族院はご立腹だとか。」
古くから付き合いのある商会長が、おおらかに笑った。
「アナスタシアさまは、慕われていらっしゃる。」
ドレスの布を吟味しているはずなのに、手元には訓練服に最適な丈夫だが柔らかい布が渡されている。
この百戦錬磨の商会長には、自分の醜い本音など、透けて見えているのだろうとアナスタシアは苦笑いした。
有能な同期は、団長不在をもろともせず任務をこなしている。
共に戦い支え合った彼は、自分などもう必要としていないだろう。
僅かに落とした視線に、アナスタシアの心の揺れを感じ取った商会長は、「騎士団があなたを待っていることは信じてやってほしい」と言い残して、商談を切り上げた。
自分が不在でも、団は成り立っている。
ならば、退団したほうが、まとまるのかもしれない。
剣すら触れずにいる日々を過ごしながら、漠然とあった不安が負の感情を呼び起こす。
訓練時代、カインとは対等な関係だった。共に切磋琢磨し、技を磨き、助け合った。
戦場で背中を預け、命を守り合いながら生き抜いた。
その結果、騎士団長と副団長という立場になった。
もう、あの頃のわたしたちではないのだな。
アナスタシアは遠くなったカインの背中を思った。
誇らしさと寂しさの狭間で揺れている心に気づかないフリをして俯いた。
***
何もしない毎日は、やはり性に合わない。
アナスタシアは、領地問題の解決策を探しに図書館へ向かった。
書架の間で、古い文献が目に留まる。
――龍への攻撃は、ある一定の量までは無効化される。
だが、遠距離攻撃でダメージを蓄積することはできる。
思わず見入ってしまう。
退団届をしたためたというのに、討伐情報を見つけるあたりは騎士としての習慣……もはや性だろう。
「蓄積されたダメージが一定量を超え、致命傷を与えるとするならば……」
無意識に討伐方法を読み上げる。
「逆鱗を狙うべし」
アナスタシアの声に、柔らかい紳士の声が重なる。
慌てて視線を上げると、そこにはどこかで見たことがあるような紳士が微笑みを浮かべていた。
父と同じくらいの年齢だろうか……落ち着きと威厳を感じさせる面持ちで、彼は文献を覗き込んでいた。
「こちらの文献に興味がおありですか?」
気づくと自然に声をかけていた。
「ドラゴンには少々因縁がありましてね。」
「わたしもです。」
貴族令嬢の装いであることを忘れて、思わず騎士として答えてしまう。
「あなたの見解を伺ってもよろしいか?」
アナスタシアは、女だてらに騎士であることを告げてよいものか戸惑った。
「マーベル騎士団長殿の意見を聞かせていただけるかな?」
躊躇した理由を読み取ったかのようにその紳士が少し強い口調で問い直す。
自分の素性を知っている。
何故かそれを納得させられてしまう高位貴族らしい紳士から、わずかな圧を感じる。
けれど、その威圧感に不快な感じは一切ない。
むしろ迷っている自分の背中を押してくれるような強さがあった。
「先の討伐で、ドラゴンに不可解な行動がありました。」
批判でも非難でもなく、純粋に意見を求められていることを感じてわずかに喜びを感じる。
「追撃をやめたのではなく、しなかったと考えると、無傷だったわけではなく攻撃は有効だったのではないかと思えるのです。」
幾度となく繰り返し見た悪夢の中で覚えた違和感。
意見を交わせるはずのルーカスを亡くし、誰にも相談することができなかった。
「討伐は可能だと?」
「あくまで仮説ですが、ドラゴンは一定量のダメージを無効化できるが、そのダメージは蓄積されている。そして、キャパを超えると蓄積されたダメージの影響も受ける。無傷のように見せているだけ。」
「つまり?」
「遠距離攻撃を続け、その攻撃が有効になってから致命傷を近距離で狙う。ピンポイントでの逆鱗攻撃が致命傷となるのは、蓄積ダメージを与えてからだということです。」
「君の分析力は本物だね。わたしも同じ見解だ。」
当たり前のように認められたことが、ひどく嬉しかった。
傷ついてボロボロになっていた騎士としての心が癒されていく気がした。
「あなたには、守りたいものがある。そのための努力もしているのでは?」
「わたしには……もうその資格がありません。」
止まらないルーカスの血が両手を染め上げる。
全身から体温が奪われるような感覚に陥った。
「けれど、君のその表情は、守るべきもののために、何を犠牲にしても為すべきことがあることを知っている顔だ。諦めていない……だろ?」
「……そう見えるなら、わたしにはまだ戻る場所があるということかもしれませんね。」
「戻る場所はある。わかっているだろう?あなたには、使命と約束がある。違うかい?」
その言葉に、再びルーカスの言葉が蘇る。
呪いになりかけていた彼の言葉が、騎士としての矜持と共に蘇る。
「わたしには、まだすべきことがありました。自責の念に暮れるのも、後悔も、彼との約束を守った後にします。」
アナスタシアが、手のひらをぎゅっと握る。
剣が――剣の重みが恋しい。
「ご挨拶が遅れ失礼しました。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「正式な場で会うことがあると約束しよう。それまでは、図書館で会ったお節介だとでも記憶しておいてくれないか。」
所作や言葉遣いから、高位貴族であるだろうということはすぐに分かった。
名乗らない――その沈黙だけで、『特別な人なのだ』と納得させられる。
けれど、大切なことを思い出させてくれた紳士――今のアナスタシアには、それだけで充分だった。
「心より、お礼申し上げます。そして、あなた様に会えた奇跡に心から感謝を。」
アナスタシアは優美に一礼し、去っていった。
***
「この手紙は、まだ開封できないな。」
カインからの手紙を机の上に戻す。
その横にあった本を見つめ、図書館で会った紳士の眼差しを思い出した。
「どこか見覚えのあるあの立ち姿……」
言いようのない安心感に、なぜか心が温かくなる。
戦場を離れて初めて味わう心の安定に、高揚感を覚える。
ようやく、自分の足で立っていると実感できた。
――紅蓮龍に終止符を
風に髪をなびかせて、窓の外を眺めるアナスタシアの瞳に、もう迷いはなかった。
月光に照らされたその横顔には、再び剣を握る覚悟と、大切なものを守る決意が宿っていた。




