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女騎士団長、アナスタシア・マーベル~あなた以外の愛ならいらない〜  作者: Alicia Nish
第一章:騎士団長編

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20.喪失




 宿舎(オーベルジュ)は、騎士たちの怒りでごった返していた。

 壁を叩き、床を踏みつけ、机を殴りつける……声にならない憤怒の思いが音になって響いていた。

 誰かが嗚咽を漏らし、それが誰のものかもわからないままその場に溶けていく。

 乾いた空気が、焼け付いた戦場の匂いを思い出させる。

  

 「謹慎って、冗談じゃないっ!」


 ラルフの声が、窓を揺らす。普段あまり大声を出さないラルフが、拳を握りしめ叫ぶ。

 その声に呼応するかのように、強い風が吹き込む。


 「団長を貶めたいだけの軍事会議など、あっていいものかっ!」


 感情が抑えきれなかったのか、フィルも声を荒げる。

 ジャックが肩を震わせ、エリックは歯を食いしばっている。

 第二騎士団も、魔術師戦闘団も、あの戦いを生き抜いた誰からも憤りの声が上がる。


 「落ち着けっ!」


 カインの低く鋭い声が、怒号の中に響いた。

 その殺気に誰もが息を呑む。


 「団長の言葉を聞いただろう。誰よりも理不尽だと思っているのは団長のはずだ。」


 カインが怒りで沸騰しかけた宿舎(オーベルジュ)に、凍りつくほど冷たい声を浴びせる。


 「それでもルーカスの死は軽く扱われていいものでもない。

   軍として、上官として責任を果たす……そう、団長が決めたんだ。」


 静かになった部屋に、カインの低い声が響く。

 握りしめた拳は震えていたが、その震えは誰にも悟らせなかった。

 

 「ここで声をあげても何も変わらん。俺たちに何ができる?」


 突如として静けさを取り戻した部屋に、カインの問いが落ちる。


 「団長代理は俺が任を受けた。この討伐で命を落とした仲間のためにも、無事生還した俺たちが、ここで立ち止まるわけにはいかない。」


 集まった団員一人一人を見つめながら語り掛ける。


 「団長がまとめ鍛えた我々の結束を、あの頭の固い貴族院の奴らに見せつけてやるぞ。団長が正しいこと、俺たちが折れないことを見せてやろうぜ。」


 重くのしかかる空気を軽くするように、にやりと笑ってみせる。


 「その通りだ……!」


 冷静さを取り戻したラルフが、真っ先に同意する。

 カインが見まわすと、心強い同期たちの視線とぶつかる。


 「謹慎処分?団長に対するその命令が、いかに馬鹿げたものか、俺たちが証明してやるぞ。感情で秩序を乱すな。俺たちには、まだやることが残っている。」


 その言葉に、宿舎オーベルジュの空気が完全に落ち着いた。

 怒りと混乱は収拾し、静かな決意に満ちる。


 後悔するためではなく、次の戦いで狙いを定める。

 ――その場にいた誰もが、確実に紅蓮龍(アグニシル)終止符(かたき)を討つため、何ができるかを考えていた。


 ただ、その中にアナスタシアの姿だけがなかった。

 

***


 アナスタシアは自室の窓辺に立っていた。

 冷たい風が頬を撫でるが、寒さは感じない。

 ルーカスを亡くしてから凍えたままの身体が、風の冷たさを感じることはなかった。


 『討伐に失敗すれば、わたしを追い出す口実になるとでも思っている』


 軍事会議は、予想した展開で進んだ。あまりにも思った通りで、乾いた笑みが浮かぶ。


 「……わたしは、なぜまだ生きている?」


 今も生きている自分に、違和感しか感じない。


 


 アナスタシアの手元には、ひび割れて使えない魔石と傷ついてボロボロになった徽章が残っている。


 『重い鎧を脱ぐ』……結婚をそう表現したときのルーカスの声が聞こえた気がした。

 あの時手渡された訓練記録が、彼によって更新されることはもう二度とない。 

 ルーカスの魔道具に使われていた魔石を手にして、その冷たさに彼の最後の体温を思い出す。


 伝説の龍との戦いで部隊を守った功績を讃え、ルーカスには紅綬褒章が贈られた。

 泣き崩れたルーカスの母親の声が、忘れられない。

 



  『あなたに会えて良かった。あとは、頼みます。』




 「ルーカス……わたしになど、頼むな。お前が生きなければならなかったのに。」


 肩にのしかかる生命(いのち)の重みに、胸を上下させて呼吸する。

 まるで自分の周囲だけ、空気が薄くなったようだ。

 孤立した薄暗い闇の中に、一人取り残された感覚が消えない。

 投げつけられる悪意の罵声と、貶められても認められることなどない無限の地獄。

 その中で、ルーカスの最期の言葉が呪いのように聞こえてくる。




 「違う……彼の言葉は、わたしの矜持を守ってくれる小さな光だ。」

 

 声にして負の闇に引き込まれそうな思考に一縷の光を求める。


 謹慎など、ちっぽけなものだ。

 仲間を失った事実に……仲間を救えなかった現実に比べれば


 心に空いた空洞に、風が吹き抜けるのは感じる。

 それが皮肉だと思った。痛みではなく、冷たさでもなく、そこにある心の奥の空洞だけは、痛いほど感じるのだ。


 窓の外、月は我が身を恥じるように雲に隠れようとしている。

 完全に隠れることもできず、弱々しい明かりが輪郭もあやふやな中途半端な影を作る。

 ざわざわと揺れる木々の音が、王宮で聞いた非難の声に変わる。


 「のこのこと生きて帰ってくるとは、なんという恥知らず。」


 机に残された書類に目を通す気にはなれない。

 一番上に無造作に置かれた謹慎命令だけがハッキリ見える。


 静けさの中にこだまする、答えのない問いに、初めて自分の生きてきた道を疑う。




 何一つ成せていないのかもしれない。

 守れたものなど、初めからなかったのかもしれない。




 仲間との絆も、ルーカスの最後の願いも――自分の生き方すべてを、否定してしまいたいのに、壊れきれない自分がいる――それが何より苦しかった。


 規則的に鼓動を刻み続ける心音が……生きているその証明こそが、アナスタシアには罪に思えた。

 剣で斬られるより深く、炎で焼かれるより残酷な刑罰。

 それこそが、今の自分には相応しいとさえ思えてしまう。


 どれだけ悔もうと、鼓動が止まることはない。

 その音は、アナスタシアにこの世界に生きることが宿命だと告げていた。


 逃げることは許さない――そう釘をさしているようだった。

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