17.脅威
最初の違和感で気づくべきだった。
けれど、どう考えても気づけるはずがなかった。
――紅蓮龍
王都の記録では、百年以上も前に絶滅したはずの存在。
深紅の身体に幾多の紅が混ざった鱗が作り出す大きな翼、鋭く黒い爪、そして黄金の瞳……
「魔獣たちの異常発生、異変――原因はこいつか。」
頭上から見下ろす龍は、それだけでもすごい存在感だ。
けれど、それ以上の何かを感じる……。
「こいつ、威圧……魔法を使うのか?」
重くなる空気に、魔力圧を感じる。
けれど、「威圧」を認識しているのは、アナスタシアとルーカスだけだった。
「魔力の高いものだけが、圧倒的な力の差を感じ取ることができるのか……なんて傲慢な力だ。」
周囲一帯の森の木々が震えるように、空気が焼け焦げる。
ついさっきまで、勝利の雄叫びをあげていた騎士たちの足がすくみ、魔術師戦闘部隊も恐怖に支配されているようだ。
「森まで退却だ!全員、引けっ!!」
無理やり声を張り上げて撤退の指示を出す。
討伐の希望も、勝利への糸口も、まったく見えない。
剣を持つ手が震える。
初めて、アナスタシアは恐怖に立ちすくんだ。
「大丈夫だ、思考を止めるな。」
気が付くと、いつの間にかカインが真横に立っていた。
何ができる……どう攻めよう……
カインの言葉に止まっていた思考が動き出す。
圧倒的な恐怖の前で、止まったのは身体だけではなかった。
カインはアナスタシアが考え始めると、安心したように笑い、森での騎士団再結集を迅速に進めた。
狼狽している騎士たちに何も感じることがないのか、紅蓮龍は黙って見下ろすだけで、何かを仕掛ける様子はない。戦場全体を支配する王者の風格だけが、その静寂を支配していた。
異様な静けさと、隠し切れない恐怖――眼下に見据える軍など、伝説の龍の前には働きアリくらいにしか見えていないのかもしれない。
「これなら、いけるか……」
思考をまとめて、アナスタシアが呟いた。
「カイン、龍の逆鱗だ。」
「逆鱗?」
「喉元にある唯一の逆さ鱗……だったか。」
「そんなものが?」
「あるはずなんだ。」
「まだ、確認できていない……?」
「あぁ、大博打だな。」
アナスタシアが挑発的に笑う。
「お前の勘を、疑ったことなんてないよ。」
カインが優しく微笑み返す。
「共に、来てくれるか?」
「お前について行けるのは、俺だけだろうが。」
初めて会ったあの屈託のない笑顔が広がる。
この信頼関係が、戦場でのアナスタシアの判断を支えている。
「そうだな。」
アナスタシアは、短く息をつくと、緊張に身動きが取れなくなっている騎士たちを見渡す。
「この紅龍は、恐らく紅蓮龍――伝説の炎の龍だ。」
騎士たちが一斉にざわつく。
「わたしと副団長で奇襲をかける。各部隊は、周囲の魔獣討伐を頼む。」
「団長、それはっ!」
たった二人で伝説の龍に立ち向かう意味を悟った第三騎士団の数名が、声をあげる。
「情報を持ち帰る人間が必要だ。」
アナスタシアのゆるぎない覚悟に、誰もが何も言えずうつむいた。
「なりません。」
数秒の沈黙を破ったのは、ルーカスだった。
「作戦を共有してください。各部隊の能力を最大限に生かせば、有益な情報を得るだけでなく、犠牲も無くせるはずだ。」
ルーカスは、アナスタシアに向かって一歩踏み込む。
「あなたは『英雄になろうとするな』そう言った。だから、わたしもあなたに言います。『あなたの命も等しく尊い。生きて帰りましょう。』」
「上官に口答えか?」
アナスタシアは楽しそうに笑っている。
ルーカスの言葉に、カインがぐっと拳を握り込む。
「規律違反ついでです。言いたいことは言わせてもらいましょう。」
ルーカスが挑発的に笑った。
「侮らないでください。少なくともわたしは、団長に命を預けますよ。あなたにも、わたしの能力は必要なはずだ。」
「団長、俺らのことも忘れてませんよね?」
「役立たずって言われた気がするのは、聞こえなかったことにします。」
同期のラルフとジャックが悪態をつく。
さっきまでの緊張が消えていく。
「お前たち……。」
恐怖で凝り固まっていた空気が柔らんでいく。
「団長、さっさと作戦を練り直して、あの龍に一泡吹かせてやるとしましょう。」
心強い仲間の言葉に、カインが大きく頷く。
騎士たち一人一人の瞳にも、強さが蘇っていた。
「よしっ、作戦を立てるぞ。」
第三騎士団、第二騎士団、魔術師戦闘部隊……そこに立つ騎士たちに、もうその認識はなかった。
あるのは、ドラゴン討伐部隊としての誇りと、覚悟だけだった。
***
基本部隊はそのままに、左翼と右翼はドラゴン周辺の魔獣一掃。
中央の四部隊は、ドラゴンの攻撃を集中させないよう、上下左右に揺さぶる。
その攻撃の合間を縫って、カインとルーカス、そしてアナスタシアが龍の弱点であるはずの『逆鱗』を探る。
作戦の確認をとり、隊長たちが頷きあう。
「散開!」
恐怖に立ち止まった数分は、価値のある時間になった。
散り散りだった騎士たちの士気が一つにまとまっていくのを感じる。
アナスタシアは、少し前を駆けていくカインの死角に襲い掛かる魔獣を撃退していく。
ルーカスが、二人に加護魔法をかけ、少し後ろから武器に強化魔法をかけている。
左翼のフィルとエリックが自慢の機動力を生かして、一角ウサギとガルムの群れをなぎ倒す。右翼のラルフとジャックは、息の合った攻撃で、空中戦に持ち込もうとするガーゴイルを次々と迎撃、地上に残っているガーゴイルも瞬く間に制圧していく。
バサッ
紅蓮龍の大きな翼が揺れ、地響きが鳴る。突風が地上で戦う仲間を襲う。
砂塵を巻き上げる風をよけようと、体勢を低くして攻撃に備える。
ドカッ
一瞬で、風圧に耐えられない魔獣たちは、風に飛ばされ地面に叩きつけられた。
こいつ……誰が飛ばされようが、お構いなしか。
突風が収まると同時に、カインが飛び出した。
すかさずアナスタシアが援護魔法を放つ。
ルーカスも同時に武器への強化魔法を放った。
カキンッ
鱗に攻撃がはじかれる。同時にルーカスの遠距離魔法が紅蓮龍の瞳に向かって放たれる。しかし、こちらも瞬き一つではじかれてしまった。
「これならどうだっ!」
カインが紅蓮龍から離れたのを確認して、烈火の槍を落とす。高位魔法の攻撃だというのに、一瞬で無力化される。
「やはり炎には耐性があるか。」
わずかに翼に傷がついただけで、紅蓮龍にダメージは与えられていないことは一目瞭然だった。逆鱗はまだ見つからない。紅蓮龍の圧倒的な魔力に視界が揺らぐ。
「何か……おかしい。」
霞む視線の端で、紅蓮龍の黄金の瞳が鋭くこちらを射貫いた。
その重圧に呼吸が止まる。自由を奪われるような感じたことのない脱力感に襲われる。
傾いた身体を無理やり引き上げようとした瞬間、キラリと緋色に輝く鱗を見つけた。
「あれだ。」
なぜか『逆鱗』だという確証があった。
――見つけた。
アナスタシアは、勝利の兆しが見えた気がして高揚が胸を満たした。
風がやみ音が消え、まるで時間が止まったかのように、紅蓮龍の動きをとらえる。
「狙うは逆鱗。」
アナスタシアはその一点を見つめた。




