13.絶望のはじまり――無謀な討伐命令
王都襲撃の危機は脱した。
だが、本当の戦いはここからだ――
魔獣よりも厄介な、人間たちとの対峙が待っている。
大きく息をつく。
案内役の従者が扉を開けると、難しい顔をした貴族院のメンバーと官僚たちが、冷ややかな目でアナスタシアを見ていた。
「では、お主はこの襲撃に違和感があると?」
「恐れながら、魔獣の動きに通常とは異なるパターンを見つけました。ミーヴァ湖周辺への調査隊を許可していただきたく存じます。」
会議場に集まった者たちがざわめく。
「調査? そんなものは時間の無駄だ。あの一帯を一掃してしまえば済む話だろう。」
現場を知らない貴族たちの戯言に、冷静さを失いそうになる。
「お言葉ですが、調査もせずに魔獣地帯に軍を送るなど無謀です。討伐部隊は必要ですが、まずは周辺を調査し、魔獣の個体と数を把握すべきです。」
「生意気な!」
「お前は我々の言う通りに動けばいいのだ!」
女が騎士であること自体が気に入らない上に、騎士団長となったアナスタシアの意見を聞こうとする者など、この会議場にはいないのだと思い知る。
「第三騎士団と魔術師戦闘部隊に加えて、第二騎士団へも出動を命じておこう。」
怒鳴り散らしていた貴族たちが、陛下の冷静な言葉に勢いを削がれる。
「部隊を結成し、魔獣を討伐せよ。指揮はそなたに任せる。」
「なっ!」
数名の貴族院メンバーがたまらず声をあげるが、慌てて口をつぐんだ。
陛下の決定に異議を唱えることはできない。
「かしこまりました。」
王命であれば、アナスタシアにできることはもう何もない。
ぐっと言葉を呑み込み、一礼して踵を返した。
***
「これほど無謀な討伐の指揮とは……。都合の良い、厄介払いだな。」
会議場での決定を、騎士団にどう告げるべきか迷っているうちに日が暮れた。
騎士団を退団する覚悟は決めた。
退団届も、提出するだけになっている。
「この状況で退団を申し出て、受理されるかは正直わからない。
だが――わたしの失態を心待ちにしている輩は、大勢いるのだろうな。」
会議場での悪意に満ちた視線を思い出す。
「討伐で失敗すれば、わたしを追い出す口実になるとでも思っているのだろう。」
魔獣討伐での失敗はリスクが大きい。
団員たちの命がかかっているのだ。
「わからずやたちめ。」
午後一番で届いた討伐命令の文書を握りしめながら、ノックスの名が脳裏をよぎる。
「いっそ、今、辞めてやろうか。」
くだらない考えが思わず口をついて出た。
「結婚は避けられんだろう……ならば、信頼できる者たちに任せる方が、この騎士団に無茶をさせずとも済むのかもしれん。」
人気のない執務室だからと言って、不用意な発言だった。
煩わしさに心が疲弊していたのかもしれない。
人の気配を察することには長けていると思っていたが、そのつぶやきが"ひとりごと"になることはなかった。
***
「団長が、結婚!?」
第三騎士団に衝撃が走った。
執務室で一人つぶやいていたアナスタシアの"ひとりごと"が、ある団員に聞こえてしまったようだ。
動揺は一気に噂になった。
「未確認の噂を広めるな。」
少し緩い態度で、カインが団員を窘める。
第三騎士団を噂の発端にするわけにはいかない。
ただでさえアナスタシアには敵が多い。
動揺する内心を悟られないように、にこやかに厳しい発言をする。
「お前ら、団長に確認する勇気などないだろ。悪いことは言わん、やめとけ。」
「でも……カイン副団長……」
団員たちの表情は、困惑というより不安が色濃く出ていた。
「あいつが、俺たちに黙って団長を辞めたりするわけがないだろ。」
この言葉に、自分の大きな希望が含まれていることを、カインは自覚していた。
だが同時に、アナスタシアが黙って去るはずがない――その信頼もまた、事実だった。
***
団員たちの不安をよそに、王都の緊張は瞬く間に高まった。
魔獣の目撃情報が次々に報告され、危険度の高い中型が王都近郊で多数ありと記されているのだ。
「討伐命令が下った。第三騎士団、魔術師戦闘部隊に加え、第二騎士団も出動する。」
カインが何が言いたげにアナスタシアを見る。
「言いたいことはわかってる。だが、時間がない。訓練場に皆を集合させてくれ。」
「はっ!」
拳を握り一礼すると、カインは足早に去った。
訓練場にざわざわと落ち着きのない空気が漂う。
第三騎士団は、いつものように隊列を組み、魔術師戦闘部隊を加えて整列した。
一方で、第二騎士団たちはぶつぶつと不満をつぶやいている。
「通常とは異なる規模の魔獣というではないか……」
「女では、経験不足だろうが……なぜ、我々を率いることになっているんだ……」
「敬礼!」
アナスタシアが訓練場に足を踏み入れると、号令に統率された足音に急かされるように、第二騎士団も整列した。
「遅いっ!」
凛とした声が響く。
「魔獣戦では、一瞬が生死を分ける。この場に納得していない者は去れ。」
「お言葉ですが……我々は王命で出動するのです。去る選択肢などありません。」
先頭の騎士が堂々と告げた。
「ならば、指揮官のわたしに従うことも王命だ。」
アナスタシアが第二騎士団に向かってそう言い放った。
「発言の許可を願います。」
どうやら納得がいかないのは、第二騎士団の総意のようだ。黙って従う気はないらしい。
「許可する。」
「指揮官殿は、初の女性騎士団長殿であります。女性を上官に持ったことのない我々には、少々難しい命令であると思います。」
上下関係などあったものではない挑発的な態度に、アナスタシアは眉一つ動かさない。
「魔獣討伐の経験は?」
「我々第二騎士団の仕事は王都警備です。魔獣が王都を襲ったことがないのはご存じの通りでしょう。経験の有無は明白だと思います。」
「そうだな。だとすれば、貴殿たちの魔獣討伐経験はゼロだ。そして、なぜ魔獣が王都を襲ったことがないのか答えられるか?」
「それは……。」
小さくなった声にたたみかけるように、アナスタシアが続ける。
「ハッキリ言っておこう、魔獣討伐に性別は関係ない。」
一体、何度この言葉を繰り返しただろうか……。
騎士団に所属してから、幾度となく繰り返したやり取りに、もう感情は動かない。
「カイン、まずは現状報告を頼む。」
「王都近郊で目撃されている魔獣は、中型群が数体。そして今回の討伐目的は、ミーヴァ湖周辺の魔獣の一掃だ。」
「調査ではないのですか?」
「陛下の討伐命令が下った。調査ではない。」
第三騎士団には、その意味を理解し、明らかに動揺している。
「報告書、分布図、現状は確認した。二か所の魔獣目撃地点で群れの分析に当たり、そのまま魔獣地帯へ向かう。」
第二騎士団たちは、状況が全く把握できていない。けれど、まだ不満は解消されていないようだった。
「改めて聞こう、魔獣が王都を襲ったことがないのはなぜだ?」
「王都にたどり着く前に、迎撃されたからだと思われます。」
「そうだ。そしてここ一年の魔獣襲来の迎撃指揮は、すべてわたしだ。不服はあるか?」
ようやく現状を理解した第二騎士団たちの顔色が変わった。
「貴殿たちの声を、戦闘前に聞けて良かった。」
アナスタシアの声色が、少し柔らかくなる。
「不信感を持ったまま、戦場に向かわせるわけにはいかない。王都を守るのが貴殿たちの仕事だ。王都を襲わせるつもりなど毛頭ないが、王都警備に残りたい者は名乗れ。この討伐の作戦の一端として、王都警備に残ればいい。」
命令に従わない、従う意思のない騎士など、戦場では邪魔だ。ただでさえ危険な任務なのだ。アナスタシアがここで覚悟を問うたのは、この討伐が難しいとわかっていたからだった。
「そのお心遣いは必要ありません。」
騎士たちに覚悟が宿る。
「ならば私に従え。責任は、すべてわたしが負う。命は預からせてもらおう。」
「はっ!」
今度は第二騎士団も揃って敬礼する。
アナスタシアは満足そうに頷き、全騎士に告げる。
「みな、英雄になろうとするな。お前たちの命も等しく尊い。生きて帰るぞ。」
騎士が生き残ってこそ、守れるたくさんの命がある――




