11.覚悟と責務
アナスタシアは、朝一番で届けられた一通の手紙を手に呆然としていた。
封書の差出人は、ノックス・ミルグレン公爵――先日、父から知らされた婚約相手だ。
実家を訪問して二週間後、予想より早く怪我が回復した兄のジョシュアは、鉱山事故の処理で奔走していると聞いた。父も領地再建のため、鉱石加工にひと工夫を加えて商品開発に力を入れているようだ。
けれど、残念なことに状況は改善されておらず、焼け石に水だった。
手にした封書に目を落とす。
アナスタシア・マーベル伯爵令嬢殿
先日、正式に婚姻許可証を伯爵家に送らせていただきました。急な話で、驚かせてしまったことをお詫び申し上げます。
貴殿の第三騎士団での活躍は、広く王都に通じ、存じております。加えて、あなた自身の勇敢さや適切な判断力についても友人から伝え聞きました。領地を守るための事業提携を理由に婚姻を提案したことで、政略の意図を強く感じたことと思います。けれど、わたしはこれから先の未来を、貴殿と共に築いてみたいと望んでおります。その機会をいただけることを切に願っております――。
ノックス・ミルグレン公爵
礼儀正しい文面に、穏やかな人柄がうかがえる手紙。政略結婚として、公爵家に嫁ぐものだと思っていた自分にとって、この手紙は予想外のものだった。
ミルグレン公爵の友人って、誰のことだろう?
文面の中の人物が気になった。
同時に思い浮かんだのは、魔術師戦闘部隊の隊長として知り合ったルーカスだった。
あの時のルーカスは、ミルグレン公爵家のことを個人的に知っている口ぶりだったからな……。
祝宴での会話を思い出す。
そして、この推測が正しければ、執務室で彼が『結婚』について知っていたことも、今なら納得がいく。
あの時は深く考えなかったが、ミルグレン公爵の友人がルーカスであればすべての辻褄が合うのだ。
「……どうしたものか……。」
ため息が漏れる。
しかし、家族と領地を守ることができるのは、現状自分だけなのだ。
「大切な人たちを守る――剣でなくとも、その方法があったということか。」
手紙を机に置き、退団届に視線を落とす。
「あとは、いつこれを提出するか、決めなければ。」
指先に感じる手紙の重さと、胸の奥で軋む感情。
どちらも簡単に切り離せるわけがないが、迷いながらも少しずつ歩みを進める決意を固める。
守る形を変えて、大切な人たちを守る。
それが、アナスタシアに許された――たった一つの選択だった。
***
皮肉なことに、アナスタシアの中で婚姻の覚悟が徐々に決まっていくと同時に、職務は多忙を極めるようになった。
そのため、縁談を取りまとめるにあたって重要な分岐点になる顔合わせができないでいた。
縁談は進めるべきだと思いながら、任務が口実になっていることに安堵している自分に冷笑せざるを得ない。それでも、頭をもたげるこの先の未来は、確実にやってくるのだと、自身に言い聞かせていた。
「団長、」
カインの声が現実に引き戻す。
「やはり、魔獣の目撃数が増えています。それと、安全区域でも中型魔獣が目撃されました。」
「安全区域で?……前例は?」
「あまりありませんが、おそらく前回と同様、大型個体から逃げているのではないかと。」
「なるほど、ならば納得がいくな。」
広げられた地図を見る。
赤い線で囲われた安全区域――そこにいるはずのない中型個体を示すオレンジの印が点在している。
カインの視線を感じるが、作戦をどう組み立てるかに集中したくて気づかなかったことにする。
ふと、分布図に違和感を感じる。
「この場所……」
「あぁ、ミーヴァ湖ですか?」
「分布がおかしいな。」
「現場の調査をそのまま地図に印でまとめたものです。これが最新の情報なのですが……」
分布図は、湖を中心に明らかなドーナツ状になっているのだ。
「水辺には魔獣が集まりやすい。ここは、追加調査を……」
言い終える前に警笛が鳴った。
教会の鐘の音も聞こえる。
「最悪だな。」
カインと頷きあって、訓練場へ向かって歩き出す。
「教会の鐘の音は、目視できるところまで魔獣が迫っているということだ。」
「部隊はすぐにでも出られます。」
「フィルたちの部隊を斥候として先発させてくれ。ルーカスにはわたしから連絡をする。」
「わかりました。」
「状況が確認でき次第、作戦を立てる。だがまずは、王都まで迫っている魔獣どもを撃退だ。まずは団員、攻撃体制を整えておけ。すぐに合流する。」
「はっ!」
もう一度、視線を交わして別々に移動を開始する。
王都を襲撃されれば、たくさんの人が犠牲になる。
両親や兄、そしてミルグレン公爵の顔も思い浮かぶ。
誰一人、犠牲にしない……誰の未来も、失わせたくない。
騎士として自分が立つ理由は、それだけで十分だった。
「迷っている時間などない。」
アナスタシアは、自分が守りたいと願う未来のため、足早に魔術師戦闘部隊へと駆けだした。
***
魔術師戦闘部隊の陣営は、いつになく慌ただしかった。
魔道具の確認、魔鉱石の魔力調整、魔力循環のテスト、護符の準備――すべて同時に進行している。
加えて、前回の魔獣討伐の影響で、戦闘訓練参加者も目に見えて増えていた。
「第三騎士団の戦いは見事だったからな。無理もない。」
訓練中の魔術師たちを見ながら、ルーカスの口から独り言のように言葉が漏れる。
その声には、わずかな誇りが混ざっていた。
と、ほぼ同時――教会の鐘の音と警笛が鳴り響く。
「これは……。」
ルーカスの顔色が変わる。
迷うことなく声を張る。
「戦闘準備にかかれっ!」
号令と共に、隊員たちが一斉に動き出す。
緊急時訓練で叩き込まれた行動が自然と発揮され、混乱も無駄もなく魔術師隊員たちが列をなす。
そこへ、アナスタシアが到着した。
「準備は整っております。」
ルーカスの声に、隊全体の空気が張り詰める。
「今、斥候部隊を走らせている。至急、第三騎士団訓練場にて我が団に合流してくれ。」
「はっ!」
統率の取れた無駄のない動きで、魔術師戦闘部隊が動き出す。
その姿を見送りながら、アナスタシアの口から思わず言葉がこぼれた。
「ルーカス、すごいな。」
「あなたのおかげですよ。」
ルーカスが穏やかに笑う。
それを見たアナスタシアは、なんとなく後ろめたさに胸が痛む。
また会うことがあれば、ミルグレン公爵との関係について問いただそうと思っていた。
けれど、その機会には恵まれないまま、再び戦場に向かうことになった。
――運命は、わたしを急かしているのかもしれないな。
そんな偶然を皮肉に感じて、思わず、小さな笑みが漏れた。




