10.迷い、不安、そして葛藤
何をしたのかも思い出せない数日を過ごし、宿舎に帰ってきた。
それでも、毎日は繰り返される。
淡々と執務をこなしながら、やり切れない気持ちに蓋をする。
冷たい風が吹き抜ける廊下を踏みしめるように訓練場へ向かう。
カキンッ
大きな一歩を踏み込んだ先に、なじみのある鉄と汗の匂いがする。
安心すると同時に、いつもと違う胸の重みを感じた。
「整列!」
団員の声に、自然と顔が引き締まる。
「あらためて、みな討伐ご苦労であった。国王陛下からも、ねぎらいのお言葉を賜った。」
誇りに満ちた団員たちの表情に、自身の生きてきた道の正しさを確信する。
「スタンピードを防ぐことができたのは、何よりみな訓練の賜物、君たちの連携あってこそだ。我々第三騎士団は、今後も戦場を生き抜く訓練を続ける。この訓練を成し遂げることが、君たちの命を繋ぐことになる。心してかかれっ。」
「はっ!」
団員たちは足並みを揃え、一斉に敬礼する。
各隊の隊長が指示を飛ばし、訓練が再開された。
どの団員の目にも、決意と自信がみなぎっている。
わたしがいなくとも……この団は大丈夫だな。
訓練の部隊配置は、あの日の戦闘を思い起こさせる。
『我が隊で必須の、生きるための訓練。』
魔獣討伐の時にルーカスに笑ってみせたあの言葉を思い出した。
あの時、戦況を動かし、団員たちの命を守ったのは、自身の判断だった。
「わたしの誇りも、生き方も、間違っていなかった。」
独り言のようにつぶやき、不安を押し殺すように拳を握った。
「騎士として、"大切な人を守るために剣を振るう"。」
迷いを振り切って訓練を見つめる。
感情の揺れは、判断力を妨げる。
恋愛感情は、自分には必要ない……切り捨てるべきものだ。
わたしが迷えば、それは誰かの命を危険にさらす。
厳しく見据えた先の団員たちの命の重みを感じていた。
「騎士団長として、わたしが守るべきものを選ぶ。」
大切なものを見失わないように、決意を胸に刻む。
空高く燦々と輝く太陽を見上げた。
心の中に巣くう暗闇に、この光が届けばいいのに……そう願わずにはいられなかった。
***
「こんな遅くまで、仕事ですか?」
日が暮れた執務室に、聞き覚えのある声が届いた。
「ルーカスか。」
「夜分に失礼します。」
「失礼だとわかっているなら、明日でもよかったのでは?」
なんとなく、いい予感がしなくて無下にする。
「顔色が悪いですよ?」
嫌味など気づかなかった様子で顔を覗き込んでくる。
ルーカスの距離感はいつも絶妙だ。
安心させておいて不意に距離をつめてくる。
そして何より、声が――優しい。
「少し眠れていないだけだ。」
ルーカスを前にすると、本音がこぼれてしまうらしい。
思わずため息が出る。
「……何かを迷っている?」
心を見抜かれたようで、ドキッとする。
この場所が薄明りであることに、心から感謝した。
「どういう意味だ?」
笑みを作り、冷静を装う。
「結婚……ですか」
つぶやきは小さかったが、確かな声が聞こえた。
予想していなかった言葉に動揺が隠せない。
だが、ルーカスの言葉には好奇心も悪意も感じなかった。
それがせめてもの救いだった。
「知っているのか?」
誤魔化したくなくて、彼の真意を探る。
正直に言えば、この話題には触れてほしくない。
けれど、この手の話は誇張も嘘も多い。
「風より早く噂が届く――王都とはそういう場所ですよ。」
つぶやくようにルーカスが答えた。
妙に信憑性がある。
受け答えに嘘がないことを感じて、嫌な予感が的中したのだと思った。
「そうか……」
事実を見つめようとする視線が痛い。
何をどう話していいのかもわからず、重い沈黙が流れる。
「あなたの実力は確かだ。」
戦場を共に生き抜いたからこそ、この一言の重みを知っている。
ルーカスの魔術師戦闘部隊の隊長というのは仮の立場だ。
本来の先鋭の魔術師戦闘団――団長からの言葉ならばなおさらだ。
「ただ、その鎧が重くなり、脱ぎ捨てるというのなら、それは誰にも止められない。」
ルーカスが何を意味するのか分かって、息を詰める。
空気が軋んで肌を刺す。
任務も、信頼も、誇りも、何一つ変わっていない。
ただ、自分の中にあった自信だけがぐらぐらと揺れていた。
その揺らぎを足元に感じる。
「団長殿。」
足場が崩れる感覚に、身体が大きく揺れた。
――次の瞬間、わたしはルーカスに抱きとめられていた。
***
ガタンッ
執務室に入ってきたカインが目を見開く。
ルーカスの腕の中に、アナスタシアが抱きとめられている。
一瞬で、頭に血が上る。
「貴様っ!」
「揺らすなっ!!」
胸をつかもうとしたカインをルーカスが静止する。
その迫力に、びくりと肩が揺れた。
「おそらく貧血だ。」
その言葉で初めて、青白い顔のアナスタシアに気づく。
カインは、いつもと違う状況にかえって冷静さを取り戻した。
「わたしが運ぶ。任せてくれ。」
そう告げて、躊躇するルーカスの腕の中からアナスタシアを奪って抱き上げる。
思うよりはるかに軽い彼女の重みに少し驚く。
「助けてくれたことには礼を言う。」
平静を装い、短く告げた。
アナスタシアの様子がいつもと違うことには気づいていた。
気づいていながら何もできなかった。
ルーカスに遅れをとったことが腹立たしかった――結果、アナスタシアは奴の腕の中にいた。
自分の不甲斐なさに腹を立てながら、何より説明のつかない苛立ちを抱えたまま、カインは執務室を出た。
***
重い瞼をあけると、日差しが刺すように眩しい。
医務室だということはわかるが、何が起きたのかまではよく思い出せない。
ベッドサイドには、カインからのメモが残されていた。
――今日は、ゆっくり休んでください。
仕事のことはご心配なく。
簡潔に書かれたメモに、彼らしい思いを見つけて思わず笑う。
窓の外で小鳥がさえずり、光が柔らかく部屋に差し込んでいた。
「わたしは……。」
自分の心の弱さを思い知らされた気がした。
迷いを押し殺し、責務を優先してきたが、心はすでに限界だったのかもしれない。
「思うより悩んでいたということか。」
眠れていない自覚はあった。
それでも責務を果たしているつもりだった。
個人の感情より、何より重い騎士の誇り。
――今はまだ、わたしは騎士だ。
ゆっくりと窓辺に歩み寄る。
日差しを浴びて、大きく息を吸う。
全身に広がったぬくもりに、わずかだが不安が溶けている気もした。
カインが好きだという気持ちを、捨てることも、忘れることもできない。
胸の奥で揺れる想いを受け入れた。
それでも、騎士であることはわたしのすべてなのだ。
確かに、政略結婚という現実は未来を制限する。
「守りたいものを守る――わたしの幸せは、わたしが選ぶ。」
訓練場の騎士たちの誇らしげな顔を思い出す。
ルーカスの意味深な言葉。
同期の頼もしい仲間の笑顔。
そして、カイン――
迷いも不安も、未来に対する葛藤も……答えは何一つ出ていない。
それでも心は少し晴れていた。
見上げた空に浮かぶ真っ白な雲が、これからの未来にも続いている気がした。
今週もお読みいただき、ありがとうございます。
次週――
強い覚悟と責務を胸に、アナスタシアが戦場へ
王宮から利己的な命令が下り
カインとルーカスと共に命懸けの共闘へ
その中で芽生える感情は――信頼だけではないかもしれない
「最悪の予感」の序章
魔獣討伐の戦場でアナスタシアと仲間たちの絆が試される――
どうぞ、お楽しみに!!




