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 燃えている家。


 見える炎は、全て館からは遠かった。内陸部だけでなく、海岸付近の家も燃えた。館の周りのリムを増やしてから、八日が経っていた。十軒以上が燃えた。


 犯人が捕まらない。それどころか、姿さえ誰一人として見ていない。


 朗読者。


 まず、そう予想した。何者なのか。わざわざこんなことをするのは、騒ぎや混乱を起こしたい者だ。


 別の目的がある。むしろ、そちらが本当の目的なら。


 塑山の裏の軍か? 


 他にも色々と考えてみたが、それしか思い浮かばなかった。自分たちだけでなく、他の者たちも同じ考えだった。今のところ、国境沿いに大きな動きはない。


 翌日の朝、トルストたち十一人は、館への出入りを一時的に禁じられた。


 予想はしていたため、すぐに命令に従い、館を出た。


 宿は比酎の街の中に用意されていた。荷はほとんどない。もう、仕方のないことと思い定め、抵抗は一切しなかった。


 少なくとも、根島国側の人間は何もしていないはずだ。壬海の最も深いところで仕事をしているのは、この十一人なのだ。火は、全員が館のすぐそばにいる時に放たれていた。トルストはそれを自分で確認している。


 自分たち、そして王族たちが危惧しているのは、王またはそれに近い人間の暗殺である。やってもいないし、するつもりもないことで疑われ、追い出されたのは、確かに屈辱的であるが、今は根島国と壬海の関係にひびが入ることの方が痛い。


 首相が壬海側と話をつけるまでに、どれだけの時間がかかるだろうか。


 頭では、わかっていた。


 くだらないか。いや、くだらないものか。我々は、これからもっと大きなところで、仕事をするのだ。朗読者ですらない兵に、何が守れるというのか。もし我々が壬海の王族を狙うなら、もう何人も、いや、全員でも殺してしまっているところだぞ。


 自負、責任、そして誇り。それらがトルストをひどくいら立たせていた。




 

 汚名を着せられた。


 そして、名誉を挽回する機会が与えられた。


 王族は本気で自分たちを疑っているのか。トルストはそう思った。


 尾花の許可はとっていない。それでも、トルストは動くつもりであった。そもそも、許可すらいらないような気もする。


 もし、自分たちに疑いをかけられず、ただ犯人を捕まえろと壬海側に言われたなら、自分は首相には何も言わずにやる。それに、今は他にやることもないのである。


 九月の十七日。トルストは夜を待った。壬海へ来てやった仕事を全部、台無しにされた気分だった。少なくとも、自分たちは蔵上家の人間の信用を失ったのだ。何も失敗はない。それなのに、まるで何かをしくじったような気分である。


 トルストの右手の側は、あの川だった。場所は比酎の街の東のはずれ。土地が下がり、白っぽくなっている。草はなく、水のあるところまで、大小の丸い石が転がっている。向こう岸も同じような感じで、石から急に、森へと変わる。隣りの街は、山一つ向こうにある。グルー大陸の山は、どこもこんな感じで、南北に伸びている。


 十一人。全員が街へ出ている。二人一組。トルストだけは一人だった。


 どうせ、一人か二人だろう。見つけたら、そのまま殺せと部下たちに伝えた。


 こんなことに重要な人間を当てはしないだろうし、逃げられるよりは死体があった方が良い。


 顔さえわかれば、根島国の人間ではないと証明できるだろう、とトルストは考えていた。


 塑山の人間でないなら、どこのどいつだと言うのか。鉈欧の人間か星老の人間か。そんなことをする理由が、やはりわからない。今、その二国は少なくとも壬海とはうまくやっているのだ。向こうにも塑山派に近い者たちはいるが、こんな大それた動きを他国でとれるのか。下手をすれば、戦争になるのだぞ。


 左手から、街の光がトルストを照らす。


 川に沿って、一人、歩いた。


 自分たちが街へ出たのを知っていたらしい。


 まだ夜が深くなっているわけでもないが、塑山派の連中の姿がない。放火の騒ぎが続いている間も、自警団と称して街の中を叫びながら、練り歩いていたらしい。


 色々とよく考えるものだ、とトルストは思った。それで塑山派を支持する民も増えるというのだから、この国は不思議だ。貧富の格差が少ないかわりの、別の格差なのだろう。


 歩き続けると、家の間隔が広くなり、人の気配も少なくなってきた。光も各家からもれ出しているものぐらいだ。それでも、トルストはリムを呼ばない。ランプや火のかわりにはなるが、今はなんとなく良い気がしないのである。


 変わらず、右手は敷き詰められた丸い石、川、また石、そして山へと続く深い森である。


 宿で抱えていた怒りや腹立たしさは、一体どこへ行ってしまったのかというほど、落ち着いて辺りを見ている。


 空き家。


 木造でなくとも、人の住んでいない建物が目立ち始めていた。蔦が建物に絡みついている。廃墟と呼ぶ方が正しいのかもしれない。


 光。


 それか、火。


 首をひねるほどでもない、視界の左側。通りすぎようとした通りの三か四軒、奥の建物、二階。


 頼りないが、それなりに使い慣れた銃を、トルストは左の脇から静かに抜いた。


 いるのか、定かではない。腰だけを折る恰好で歩を進める。もう撃てる状態で、引き金には指を添えている。


 体は、その指先まで熱くなっている。


 何度でも味わいたい。この時間の中にいたい。そう思った。


 建物、一軒目。


 トルストはその長い陰の中へ入り、半分崩れかけた塀に背中を向けた。


 口元だけで笑った。トルストは笑いたくて笑った。


 様々な想い。


 映像。


 きれいなもの、汚れたもの。つい先ほどまで忘れていたこと。大事だったこと、どうでもいいこと。


 それらが頭の中で、自分を揺らす。


 いつも手に入らない、忘れてしまう快感。それに呼応している。そして、醒める。


 魂が震えている。


 この人生の底冷えに抗うように、声にもならぬ声で吼えている。


 二軒目。鳥型のリムを召喚し、片手でその足につかまる。大きく、羽ばたく。


 三軒目。ここだ。二階の窓。


 空中。かつ、風の中。


 トルストは、自分の中の獣が目を覚ましていることには、気付いていない。


 窓枠にガラスはない。乱雑な弧を描きながら、鳥型のリムはトルストをそこへ運んだ。


 いる。


 トルストには、自分の指の関節の僅かな振動まで感じることができた。


 窓枠に左足が触れる。


 銀色の犬。


 リムだ。見たことのある犬。それがいた。口に何かをくわえていた。


 体重はまだ、半分しか乗せていない。


 右足で窓枠を蹴る。


 鳥の足を切り離す。


 トルストの体は、回転した。


 だが、後ろを向く前に、背中から物凄い衝撃が体を突き抜けた。


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