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二十九話

 かすれた空は間もなく濃い朱に染まりそうだった。

 低くなりつつある夕焼け色の太陽の、眩しい残映がビルの隙間から差し込み。破れ、汚れ、傷ついたアポックの装甲は夕映えに紅く映えていた。

 そして淡い臙脂色の光は黒い水の風船をも照らし出す。幾多の左腕には未だ黒い水の風船が浮かんでいて、滴り落ちる様子はなかった。

「… …これはもう必要ないな」

 幾多は左腕を振って、黒い水の風船を捨てた。黒い水は水風船のように割れて飛散し、すぐにその特性を失ってただの水へと戻った。

 幾多自身もその身体にもう黒ずみは残っていない。左腕の変形も元の形に戻った後、口に変化することもなく。また、耳をつんざき行動を制限する声帯もこれ以上振るうことはなかった。

 幾多は人間に戻ったのだ。少なくとも、そう見えた。

「自分から有利を捨てるつもり?」

 ミタカは残り少ない黒い水を纏い、臨戦態勢を再度整える。驚きや絶望感があれど、戦意は全く衰えることはなかったようだ。

 幾多も、それに応えるように身構える。

「俺の力でお前を止めなきゃ、約束を果たしたことにはならないだろ」

「約束、約束。とうるさい男だな。どうしてそこまで拘る。約束なんて簡単に破ってしまえるだろう」

「違うな。簡単に破れるからって約束が大切なことじゃないって証明にはならない。俺は守りたいから守る。それだけなんだよ」

「じゃあ、それをさっさと証明しなよ!」

 幾多のすぐ目の前の地面から、黒い触腕が飛び出す。それはミタカの黒い水、地面に浸透させて攻撃を隠していたのだ。

 間一髪、まだ発動したままのスチームブーストで幾多は後退する。

 しかし、避けてすぐにスチームブーストの調子が悪くなった。

『蒸気機関出力低下、スチームブースト緊急停止』

「ここまできて使えなくなるのかよ」

 幾多は舌打ちをする。ともかく、次はもうでたらめな出力を用いた機動戦は望むべくもない。新しい策を立てる必要がある。

「だったら、あれ。試してみるか」

 幾多はアイオスに小声で指示を飛ばす。アイオスもまた骨伝導越しに幾多の命令を承諾したことを伝えた。

 それから、幾多は走り出した。

 ミタカとの距離を離しては抑制剤を打つことはできない。ここまでの戦いで黒い水を削りに削りきったのだ。接近するチャンスは今において他にない。

「私は抑制剤なんていらない。おかあさんの声が聞こえなくなるくらいなら―――」

 ミタカは絶叫しながら、数本の触手を幾多に向かって這わす。

 これを幾多はスマートグレネードの投擲で対応した。

 スマートグレネードはすぐに爆発した。けれど、爆発と共に出てくるのは爆炎や鉄片ではなく、白い煙だった。

 幾多は黒い触腕に捕まらぬように煙の中へと姿を消した。

 更に白い煙の勢いは衰えることなく、ミタカの身体さえも範囲に入れてしまった。

「奇襲をするつもり?だったら」

 ミタカは伸ばしていた黒い水を戻し、それを周囲と地面とに張り巡らす。周囲に纏うのは防御のため、地面に這わすのは索敵のためだった。

 地に潜った黒い水が地面の振動を捉える。それはミタカの左からだった。

「遅い!」

 ミタカは全身にまとった黒い水を左側に押し出す。黒い水は見事、跳びかかってきた、右腕に抑制剤を持ったアポックを捕らえて包み込んでいた。

「これで二度目だな。今度は変身する前に浸して侵して―――!」

 ミタカはアポックに黒い水を浸透させる過程で気づく。アポックの中身はあまりにも抵抗感がないのだ。

 それはあたかも綿の詰まっていない人形のような感触で、違和感を覚えた。

 ミタカは見た。アポックの破れた左腕、そこには再生した幾多の左腕などなかった。

『オーダーリスト、ピグマリオンです』

 アイオスの言葉の後、無防備になったミタカの背中に大きな衝撃が走った。

「タッチダウンだ」

 幾多はアポックを着ず、最低限度の防護服だけでミタカの背中側にいた。あえて自分からアポックを脱ぎ、アイオスにアポックを自律させることで奇襲を成功させたのだ。

 ミタカの背中から、中身が空となった抑制剤の針が抜かれる。

 この戦い。勝利者は幾多だ。

「ああ、残念だな」

 ミタカは呟いた。

「さようなら、おかあさん」

 ミタカは悲しそうにそう別れを告げた。


 太陽が半分ほど、地平線を作る外壁の陰に沈み、反対側の空に星がちらほらみえる。

 夕闇の下、ミタカと幾多は並んであおむけになっていた。

 どちらも、助けられた申し訳なさも助けた喜びもなく、無表情で点々と瞬く星の数を数えているかのように静かだった。

 先にしゃべりだしたのはミタカの方だった。

「色々あったな」

「そうだな」

 どうでもいい世間話のように、二人はそう呟く。まるで何事もなかったいつもの施設内の一室における話みたいに、無為に声が響く。

 ミタカは言葉を口にした後、強く口を結んで歯がゆんだような顔になった。

「私はどう謝ればいいんだろう」

 救いを求めるような弱々しい声で幾多に問いかける。いつもの強気な彼女の口調とは打って変わったそれは、それ自体が謝罪のようだった。

「謝る必要はない」

 幾多は反対に、意志の固い喋りで否定した。

「全部は<毒の意思>って奴のせいだし、原因を作った偽の抑制剤を作った連中の仕業だ。謝られるのはお門違いだ」

「それでも私は幾多にも山城にも、それ以外の罪のない人間も襲った。今更罪深くないなんて言わないけど、取り返しのつかないことをした。そのせいでムントも、リデルも死んだ。私のせいだ」

「… …ああ」

 幾多はそれに対しては相槌を打った。

「だけどよ。例え拳銃がミタカで拳銃の引き金を引いたのがミタカでも。俺はその拳銃の持ち主として、責任は俺にある」

「違う!」

 ミタカは小声だったそれまでにないくらい、語気を強めた。

「この殺意も、この殺戮も、全て私のものだ!」

「もしそうだとしても、俺はそれら全てに責がある。だからミタカは何をしてもいいし、間違いがあるなら今回みたいにまた止めてやる」

 幾多は決意めいてミタカの言葉を受け止める。まるでそれが自分の使命だと、言わんとしているようだった。

 ミタカは顔をくしゃくしゃにして今にも泣きそうになっていた。

「何故そう私を背負おうとする」

「んー、そうだな… …」

 幾多は少し考える、頭の中で思案する。

 答えはそう複雑なことではないにも関わらずだ。

「それが俺の仕事だからさ」

 ミタカは幾多の言葉に、あっけに取られた。

「それは嘘だ!」

「嘘じゃねえって」

 ミタカと幾多は、嘘だ。嘘じゃないとしばらく問答を続ける。まるで言った言わないの会話のように終着点はなく、段々ミタカも可笑しくて噴き出す始末だった。

「うーそだ。嘘じゃないなら幾多は大馬鹿者だな」

「なら、それでもいいよ」

 幾多はむかっ腹を立てながら、ミタカの譲歩に乗ってやった。

 そんなことをしていると、遠くから瓦礫をかき分けるかのように装甲車が走ってきた。

 装甲車は二人のすぐそばまで来て止まり、後部の扉を開いて誰かが出てきた。

 出てきたのは二人になじみの顔だった。

「遅かったじゃねえか。所長」

「これでも説得して急いでもらったんだからね」

 防護マスクのアクリル越しに見えた顔は山城だった。山城はやれやれといった感じに、二人に近づき、二人の顔を見比べる。

「まさか本当に一人でミタカに抑制剤を打つなんて思わなかったわ」

「一人じゃないさ」

「ん? どういうこと?」

 幾多は要らないことを喋り、しまったと思ったが、そこは機転を利かした。

「アイオスもいたしな。それにムントは助けられなかった」

「… …そういうものよ。こちらはこちらで、枕木燃料精製所に向かった警備部隊の一部をこうして援軍にしてもらったし。何もかも一人でってのは難しいわね」

 山城は安楽椅子で幾多に面倒を任す人間とは思えない発言をして、幾多を困惑させた。

「それはそうと、さっさと帰るわよ」

「分かってるって」

 幾多は半身を起き上がらせ、すぐに立とうとした。

 その時、ミタカは寝そべったまま幾多に向けて口を開いた。

「色々と、ありがとう。幾多」

「ああ、なんだ? 今更素直になったか」

 幾多は山城に促されて、先に装甲車の後部扉から疲れで重くなった身体を引きずり、乗り込んだ。

「あっ、そうだ。アイオスとアポックにミタカを運ばせれば―――」

 幾多は自分がアポックを着ていないのを思い出して振り向くと、山城の姿だけが見えた。

 装甲車のすぐ外にいた山城はバイザー越しに冷たい顔をして、どこからか取り出した拳銃を構えていた。

 拳銃を向けた先は、ミタカが寝ている場所だった。

「おい、所長。何して」

 幾多が言い終わる前に、山城は引き金を引いた。

 拳銃からは二発、続けて狙いを変えて二発、発砲音を響かせた。

「止めろ! 所長!!」

 幾多はミタカの元へ駆け寄ろうとした。しかし、後ろから警備部隊の部隊員に四人がかりで羽交い絞めにされ、それはかなわなかった。

 なおも暴れる幾多を、部隊員は持っていたアサルトライフルの銃底で強かに幾多の顔面を殴る。

 何度か殴られ内、ついに幾多は意識を手放した。


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