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二十六話

 アイオスが示したナビゲーション先は奇しくも、封鎖作戦が行われていた場所だった。

 倒壊した橋のこちら側、南側の場所を指し、幾多はミタカとムントを追いかけて急ぐ。

 向かう先で見つけたのは二人が通ったであろう惨状の痕だった。所々で二人に遭遇して迎撃を試みたらしきどこかの武装警備員、その彼らの黒い石像が並んでいる。これは、明らかにミタカの黒い水を受けての影響だった。

 また、何らかの衝撃を受けてビルのコンクリート壁はえぐれ、まだ走れそうなトラックもひしゃげてしまっている。不思議な肉塊の黒い結晶もあることから、それらはおそらくムントの痕跡だ。ムントは今もミタカと戦っているようだ。

 幾多はそれを後にして、急げ、急げよ、と心を身体を急かして前に進む。間に合う。間に合わせる。と心で呟き、祈りながらだ。

 破壊と殺戮の痕を更に追い。気づけば幾多は走り出していた。

 だが、その先にあったのは願いとは裏腹のものだった。

「いくたー」

 舌足らずというか、幼さを感じる喋り方は、迷うことなくムントの声だった。

 幾多はその声に気づき、周囲を探る。

 すると、見つけたのはムント。いや、ムントらしきものだった。

「いくた、いたいよ。さみしいよ」

 ムントの身体は下半身が途切れ、残った上半身もほとんど黒い結晶に包まれ、その浸食はまだ進んでいる。肘から先も黒い結晶で固まってしまい、もがくことさえできない様子だった。

 幾多はムントの傍に走り寄った。

「アイオス、応急処置を―――」

『応急処置、延命処置手段なし。できることはありません』

 幾多はアイオスに命令するが、そうはっきりと否定された。リデルの時でさえ延命処置をすることができたのに、今のムントには何もしてやれないというのだ。

「馬鹿野郎! ムント、今までの再生能力はどうした。俺に真っ二つにされても平気そうにしてたじゃねえか」

「… …ごめん。いくた、いまはにくがたりない。おなかがへって、ちからがだせない」

 ムントは一見、幼子みたいな言い訳を言った。

 肉、肉があれば助かる。死体でもいい。だが、周辺にある亡骸はほとんど黒い結晶になってしまい、生身の部分はほぼない。ムントが回復するにはそれではおそらく無理だ。

「それなら―――」

 幾多は自分でも内心驚く提案をした。

「俺の身体の一部でも吸収すれば、助かるのか」

『私は反対です。推奨いたしません』

 アイオスは素早く幾多の意見に否定的な言葉を投げかける。

 それでも幾多はアイオスの反応を無視し、真剣にムントの顔を覗いた。

「それは、ほんまつてんとう、ってやつだな」

 ムントは力なく笑い、拒絶した。

「でもよ。お前はあの時、俺たちを助けてくれた。確かにいつか助けてくれよ、とは言ったけど何の得にもならないのに助けに来てくれた。ムントのことは憎かったけど、あそこまで助けに来てくれてここで見殺せるかよ」

 助けてくれたんだ。助けたい。幾多にだって、憎い相手にだってその原則は動かせなかった。

 なのに、ムントはかすかに笑っていた。

「わたしだって、にんげんらしいところはあるんだぞ」

 ムントはそう言って、薄く胸を張った。

「それに、いくたはわたしのなかではもう、ともだちだから。ともだちをすくうのにどうりやきせんなんて、ないんだぞ。わたしもおなじだ。たすかったんだから、たすかってくれ」

 ムントはそこまで言って、苦しそうに大きくえずいてから息を吸った。

「このまま。どちらにしてもわたしはしぬ。くるしんでしぬ。なさけないけど、くるしみたくはない。いくた、さいごはまかせてもいいか?」

 ムントは弱々しく目線だけ動かして、幾多の腰に下げた拳銃を見た。

 当然、幾多は躊躇した。

「本当に、助からないのか」

「そうだ」

「苦しいのか」

「そうだ」

「俺で、いいのか」

「そうだ」

 幾多はそう何度も、ムントに確認した。自分の罪深さと少なからずある偽善の心と、ほんの少しの慈善の心のために、訊いた。

「いくた、またせないでくれ」

 幾多は意を決した。拳銃の安全装置を外し、スライドを引き、薬室に弾を送る。

 そして、その銃口をムントの額に当てた。

 ムントの顔は相変わらずそこだけ、普通の人間の口だけがある綺麗な顔だった。

「ともだちでいてくれて、ありがとう。いくた」

 ムントは幾多が少しでもためらいを持たないように、かすかに笑って彼を諭した。

「ああ。何もできない俺を、恨んでくれよ」

 幾多は引き金を引いた。

 パンッと軽い破裂音と共に、ムントは一度痙攣した後、動かなくなった。

 幾多はそっとムントの瞼を閉じさせ、地面に寝かせると顔を両手で覆った。

「俺は助けようとしたんだ」

 涙は出ない。その代わりに、自分の弱さに怒りがわいてくる。泣かないために、激情がわいてくる。

「殺すためじゃない。助けようとしたんだ」

 言葉とは裏腹に、悲しみを怒りに還元していく。それが幾多にできる感情のコントロール。目的を見失わないために身体は熱で沸いていく。

 その熱い感情の向かう先は、ミタカであり、弐部であり、汚染地区全てのものだった。

『警告、警告』

 アイオスがアラートを鳴らす。幾多にはその理由が目に見えて分かっていた。

 それは蠢く黒い津波だった。

 高さはビル三階建てほどもあり、横の面積はその倍あった。津波のように巨大でありながら、スライムのように粘性があり己を引きずって進んでいる。

 その進み具合は決して速くないものの、近場のすべてを飲み込み遮るものはないように思えた。

 言い換えるなら、でいだらぼっちのようなそれは半透明でもあり中にある人影もはっきりしていた。

 ミタカだ。

 黒い津波の中にいるのは紛れもなくミタカだった。


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