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第8話 触れられない距離

 王太子の執務室は、以前と変わらぬ静けさを保っていた。


 重厚な机、壁一面の書架、窓辺に置かれた白百合。私が王妃教育の一環で何度も出入りした部屋。


 だが今日は違う。


 私は“召還された存在”として、この部屋に立っている。


「座ってくれ」


 アレクシスが椅子を引く。


 かつてなら自然に隣に腰掛けた位置。だが私は、向かいの席を選んだ。


 彼の指先が、わずかに止まる。


「距離を置くのか」


「必要ですか?」


「……いや」


 彼は静かに椅子へ座る。


「王家の古文書を調べさせた」


 机上に数冊の書物が置かれる。


「戴冠の兆しは、王の血が“選び直す”ときに現れるという記述がある」


「ええ」


「だが本来は王太子に宿る」


 沈黙。


「君に現れた」


 私は視線を逸らさない。


「それが問題ですか」


「問題ではない」


 彼はきっぱりと言う。


「脅威だ」


「教会にとって?」


「王家にとっても」


 率直だ。


 胸がわずかに痛む。


「私が王位を望めば、内乱になる」


「……可能性は高い」


「では、なぜ呼び戻したのです」


 彼は深く息を吸う。


「教会は既に君を“異端”とする準備を進めている」


「処刑ですか」


「公開でな」


 淡々とした口調。


 だがその拳は、強く握られている。


「それを止められるのは王家だけだ」


「殿下が」


「私が」


 視線がぶつかる。


「君を王妃に戻せば、少なくとも教会は手を出しにくい」


「守るために」


「今度は隠さない」


 彼は立ち上がる。


 机を回り、私の前に立つ。


「レティシア」


 名を呼ぶ声が低い。


「私は君を失いたくない」


 息が詰まる。


 あの日、言われなかった言葉。


「王としてではなく」


 彼は続ける。


「一人の男としてだ」


 心臓が強く打つ。


 彼はそっと手を伸ばす。


 頬に触れかけて、止まる。


「触れていいのか、分からない」


 かすれた声。


 私は目を閉じる。


 触れられれば、揺らぐ。


 だから先に言う。


「触れないでください」


 彼の手が空中で止まる。


「……拒絶か」


「違います」


 目を開く。


「触れられれば、戻ってしまう」


 静かな告白。


「私はもう、あの頃の私ではありません」


 彼の瞳が揺れる。


「戻らなくていい」


「戻れません」


 はっきりと言う。


「私は王妃では足りないと申し上げました」


「王になるつもりか」


「なれるなら」


 彼は苦笑する。


「野心的だな」


「追放されたのです。野心くらい持ちます」


 沈黙。


 彼はやがて、ゆっくりと言った。


「ならば、共に立て」


「共に?」


「私を退けるのではなく、支えるでもなく」


 彼は真っ直ぐに私を見る。


「王として、並べ」


 予想外の言葉。


 胸が揺れる。


「それは、王位を二分するということですか」


「いや」


 彼は首を振る。


「私が王である限り、玉座は一つだ」


 静かな決意。


「だが決断は、二人で下す」


 甘い提案。


 理想的な未来。


 だが。


「殿下」


 私は立ち上がる。


「その未来は、美しいです」


「ならば」


「ですが」


 息を吸う。


「選ぶのは、私です」


 彼の瞳がわずかに見開かれる。


「私は、王妃に戻るために戻ったのではありません」


 はっきりと言う。


「王になる可能性を、自らの手で確かめるためです」


 静寂。


 外で鐘の音が鳴る。


 教会の時報。


 彼はゆっくりと目を閉じる。


「……君は本当に変わった」


「ええ」


「強くなった」


「ええ」


「だが」


 彼は目を開ける。


「弱いままだ」


 胸が跳ねる。


「どこが」


「今も揺れている」


 見透かされる。


 私は唇を噛む。


「殿下も」


「何だ」


「揺れています」


 彼は否定しない。


 そのとき、扉が叩かれる。


「殿下、緊急報告!」


 騎士の声。


「教会が正式に声明を出しました! レティシア・アルヴェーンを“魔女”と断定し、公開審問を要求しています!」


 空気が凍る。


 王太子の表情が一瞬で変わる。


「来たか」


 私は静かに息を吐く。


 予想より早い。


「審問は三日後。大聖堂にて」


 騎士が去る。


 重い沈黙。


 王太子が私を見る。


「逃げるか」


「いいえ」


 即答。


「出ます」


「危険だ」


「望むところです」


 胸の兆しが、強く脈打つ。


 教会が私を魔女と呼ぶなら。


 私はその場で証明する。


「殿下」


「何だ」


「三日後、選ばれるのはどちらでしょう」


 私か。


 教会か。


 あるいは。


 王か。


 彼は低く言う。


「選ばせない」


「では?」


「私が選ぶ」


 その強さに、胸がわずかに熱を帯びる。


 だが。


 三日後。


 選ぶのは、玉座だ。


 そして私は。


 選ばれる側ではない。


 選ぶ側へ、立つ。


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