第7話 再会の距離
王都の城門が見えたとき、胸の奥で何かが静かに軋んだ。
あの日、追放されたときと同じ石壁。だが立場は違う。今度は召還。王太子の名で正式に呼び戻された。
城門前には、王家の紋章を掲げた騎士団が整列していた。
その先頭に、見慣れた姿。
アレクシス。
蒼い正装ではなく、簡素な騎士服。だが背筋は変わらず真っ直ぐで、かつて隣に立った記憶が鮮明によみがえる。
馬車が止まる。
扉が開く。
私は一歩、地に降り立った。
視線が絡む。
十年という時間が、一瞬で縮まる。
「……レティシア」
彼が名を呼ぶ。
王太子としてではなく、個人の声で。
「殿下」
私は一礼する。
距離は三歩。だが埋めがたい溝が横たわっている。
「よく戻ってきてくれた」
「お呼びでしたので」
形式的な言葉。
だが彼の瞳は揺れている。
「北境で襲撃があったと聞いた。怪我は」
「ございません」
「……そうか」
安堵が一瞬、浮かぶ。
私はその表情に胸がかすかに痛むのを感じた。
だが表には出さない。
「こちらへ」
彼が先導する。
王城へ続く石畳を並んで歩く。かつては自然に隣に立っていた位置。今はわずかに距離がある。
「噂は聞いているだろう」
「ええ。王家の血についての」
「君が流したのか」
直球。
私は横目で彼を見る。
「もしそうだと言ったら」
「止めはしない」
意外な答えだった。
「教会は膨れ上がりすぎた。王家の権威が削られている」
「それで、私を?」
「利用する」
彼は迷いなく言った。
胸が少しだけ締め付けられる。
「正直ですのね」
「今さら、綺麗事は言えない」
歩みが止まる。
城門の陰、人目のない回廊。
彼は振り向いた。
「だが、それだけではない」
視線が真っ直ぐに刺さる。
「君を切ったことを、後悔している」
空気が止まる。
あの日、言われなかった言葉。
「守るためだった」
「その言葉は、もう聞きました」
「だが本当だ」
「相談はしていただけませんでした」
静かな応酬。
彼は唇を引き結ぶ。
「君は強い。だが、あのときは……」
「私は弱かった?」
「違う」
即答。
「強すぎた」
予想外の言葉。
「君の才覚は、私の想定を超えていた。戴冠の兆しまで現れた。教会が動くのは時間の問題だった」
「だから切った」
「君を王都から遠ざければ、少なくとも命は守れると」
私は目を伏せる。
守る。
その言葉は甘い。
だが。
「私は守られたかったわけではありません」
顔を上げる。
「隣に立ちたかったのです」
彼の瞳が揺れる。
「ならば、今からでも」
言葉を飲み込むように、彼は続ける。
「王妃として戻れ」
回廊の空気が凍る。
「教会と戦う。王家の権威を取り戻す。そのために君が必要だ」
王妃として。
あの頃、夢見た位置。
だが今は。
「足りません」
私の声は静かだった。
彼の眉がわずかに動く。
「何が」
「王妃では」
胸の奥の兆しが、微かに脈打つ。
「共に王に立つのでなければ」
沈黙。
彼は言葉を失う。
「……それは、私を退けると言っているのか」
「いいえ」
私は一歩、彼に近づく。
「並ぶのです」
彼の瞳の奥に、驚きと――微かな歓喜が混じる。
「大胆だな」
「追放された女ですもの。慎ましくしていては戻れません」
彼は小さく笑う。
久しく見ていなかった、柔らかな笑み。
「変わったな」
「ええ」
あなたが変えたのです。
言葉にはしない。
そのとき、足音が響いた。
振り返ると、回廊の端に立つ黒い影。
エヴァン。
王都近郊まで同行した彼は、王城へは入らないはずだった。
だが視線だけが、まっすぐにこちらを射抜いている。
王太子と私の距離。
その空気。
すべてを見ている。
王太子も気づく。
「敵国の将か」
「護衛ですわ」
「信用できるのか」
「今は」
短いやり取り。
エヴァンは無言で踵を返す。
だが去り際、私にだけ聞こえる声で言った。
「選べ」
低く、静かな声。
心臓が強く打つ。
王太子が問いかける。
「何と言った」
「何も」
私は微笑む。
だが胸の内は穏やかではない。
過去の愛。
未来の可能性。
そして玉座。
回廊に立つ私は、かつての令嬢ではない。
王妃になるだけの女でもない。
王を望む女だ。
王太子が手を差し出す。
「行こう。レティシア」
その手は、あの日と同じ温度。
私は一瞬だけ、迷う。
だがすぐに決める。
そっと、その手に触れた。
握り返さない。
ただ触れるだけ。
その微妙な距離が、今の私たちだった。




