第4話 揺れる王都
伝令が出たのは、夜明けと同時だった。
エヴァンの配下らしき若い騎士が、無駄のない動きで馬に跨がり、北へ――いや、王都へ向かって駆けていく。
私はその背を、何も言わずに見送った。
これで最初の石は投げられた。
あとは、水面がどう揺れるか。
馬車は再び動き出す。北境へ向かう道はさらに険しくなり、森は深く、空は低い。だが私の意識はすでに王都にあった。
今頃、封書は反教会派の貴族の手に渡る頃だろう。
彼らは疑う。調べる。噂を流す。
教会は否定する。火消しに走る。
その過程で必ず、綻びが生まれる。
「楽しそうだな」
横から声が降る。
馬に並走していたエヴァンだ。
「そう見えますか」
「目が笑っている」
私は頬に手を当てる。
「癖かもしれません」
「戦場で笑う奴は二種類いる」
「ほう?」
「狂っているか、勝ち筋が見えているかだ」
私は微笑む。
「どちらだと思います?」
「……後者だと厄介だ」
彼は前を向いたまま言う。
風が強くなり、外套が翻る。
そのとき。
胸元が、熱を帯びた。
脈打つ。
今までとは違う、鋭い鼓動。
「……っ」
思わず手を押さえる。
「どうした」
「いえ……」
だが違う。
これは単なる魔力の高まりではない。
遠くから、何かが呼応している。
王都の中心――王城の方向から。
戴冠の兆しは、本来、王が即位するときに玉座の魔導石と共鳴すると言われている。
だが今。
まだ即位もしていない私に、なぜ。
「王都で何か起きたな」
エヴァンが低く呟く。
彼も感じ取ったのか、それともただの勘か。
私は目を閉じ、意識を集中させる。
遠く、遠く。
ざわめき。
怒号。
鐘の音。
――暴動。
反教会派の貴族が証拠を突きつけたのだろう。教会は否定し、信徒が反発し、群衆が集まり、やがて衝突が起きる。
想定通り。
想定通り、のはずなのに。
胸が締め付けられる。
市場で笑っていた子供。
パンを焼く職人。
彼らは何も知らない。
「止めるか?」
エヴァンの問い。
私は目を開ける。
「……どうやって?」
「追加情報を流せば、火は別方向に向く」
できる。
私の手元にはまだいくつかの証拠がある。
だが。
今、火が教会に向かっているなら。
王家は動かざるを得ない。
王太子も、動く。
私は首を振った。
「いいえ」
「即答か」
「迷っていません」
嘘だ。
一瞬だけ、迷った。
だが迷いを見せれば、私は戻れなくなる。
守られる側に。
「これは始まりにすぎません」
エヴァンは黙る。
やがて小さく息を吐いた。
「……覚えておけ」
「何を」
「最初の一滴は軽い。だが二滴目からは、手が慣れる」
血の話だろうか。
それとも罪の。
私は視線を逸らさない。
「慣れるつもりはありません」
「だが積み重なる」
その声は、経験を知る者のものだった。
しばらく沈黙が続く。
やがて馬車の後方から、マリアが不安げに顔を出した。
「お嬢様、王都で……何か?」
「少し騒ぎが起きているだけよ」
「私の家族は……」
王都に住む平民の家族。
私は一瞬、言葉に詰まる。
守れるとは言えない。
だが。
「大丈夫」
そう告げた。
それが嘘かどうかは、まだ分からない。
だが彼女の顔に少しだけ安堵が戻る。
その笑顔が、胸に刺さる。
私は拳を握る。
――私は王になる。
王になるのなら。
この罪も、混乱も、すべて背負う。
夕刻、野営地に着く頃には、胸の共鳴は収まっていた。
だが代わりに、別の知らせが届く。
エヴァンの配下が戻ってきたのだ。
息を切らし、馬を飛び降りる。
「将軍。王都にて教会前で衝突。死者三名、負傷多数。北方伯が拘束されました」
マリアが小さく悲鳴を上げる。
エヴァンは私を見る。
「三名だ」
数字。
たった三人。
されど三人。
私はゆっくりと頷いた。
「……想定より少ない」
自分の声が、驚くほど冷静だった。
エヴァンの視線が鋭くなる。
「悲しまないのか」
「悲しんでいます」
「そうは見えない」
私は微笑む。
「見せる必要がありませんもの」
彼は数秒、私を見つめる。
やがて言った。
「お前は王に向いている」
それが賞賛なのか、警告なのか。
「ですが」
彼は続ける。
「人には向いていない」
夜風が冷たく吹き抜ける。
私は目を伏せた。
人に向いていない。
それでいい。
人として守られる道は、昨日捨てた。
焚き火の炎が揺れる。
その赤い光が、私の影を大きく伸ばした。
影は、私よりもずっと大きく、ずっと歪んでいる。
その歪みこそが、これからの私なのだと。
どこかで、理解していた。




