第3話 取引の代償
賊の死体は森の闇に沈み、夜は何事もなかったかのように静まり返った。
焚き火の火が、ぱちりと弾ける。
護衛兵たちは負傷者の手当てに追われ、マリアは震える手で湯を沸かしている。私は少し離れた倒木に腰を下ろし、炎を見つめていた。
向かい側に、エヴァンが立つ。
「情報と言ったな」
直球だ。
「ええ」
「どこまで知っている」
私は指先で薪を転がし、火の勢いを整える。
「聖教会の財務帳簿の写し。王太子殿下の側近の出入り記録。北方伯と教会の密約草案」
護衛兵の一人が息を呑む音がした。
エヴァンの目が細まる。
「なぜ持っている」
「王妃教育の一環ですわ。財政監査も学びますもの」
半分は嘘。半分は本当。
実際には、私は疑っていた。教会の金の流れを。王太子の焦燥を。だから自ら調べた。
「それをどうする」
「あなたの国に渡すこともできます」
森の空気が一瞬で冷える。
敵国の将軍に、国家機密を。
「だがそれでは足りない」
私は続ける。
「私は、王都を揺らしたいのです」
焚き火が揺らめく。
「揺らす?」
「ええ。教会と王家の均衡を」
エヴァンはしばらく黙っていた。
「目的は」
「……問い直しますわ。あなたの目的は?」
彼の瞳がわずかに動く。
「ヴァルディアは、王国の内紛を望んでいるはず。北方の関税、鉱山権、聖教会の影響力。どれもあなた方にとって障害でしょう?」
彼は否定しない。
「内紛が起きれば、国境は緩む」
「ええ」
「だが、民が死ぬ」
焚き火の火が、ぱちりと弾ける。
私は視線を逸らさない。
「戦争が起きても死にます」
「それはお前の国だ」
「もう違いますわ」
静かに言い切る。
沈黙が落ちる。
エヴァンは私を観察するように見つめた。
「覚悟はあるか」
「何の」
「揺らした先の責任だ」
責任。
王太子が選んだ言葉。
王として最善を選んだ、と。
ならば。
「ございます」
即答する。
「私が揺らしたのなら、私が支えます」
「王になるつもりか」
問いは鋭い。
私は微笑む。
「なれるなら」
彼は鼻で笑う。
「王を舐めるな」
「舐めていません」
胸元が熱を帯びる。
「王になる資質が、あるかどうかを試したいだけです」
エヴァンの視線が、私の胸に一瞬落ちる。そこに宿る何かを感じ取ったかのように。
「……王家の魔力か」
私は答えない。
彼は小さく息を吐く。
「いいだろう」
焚き火の火が、彼の横顔を赤く染める。
「取引を受ける。ただし条件がある」
「お聞きします」
「情報は段階的に渡せ。まずは小さな石を投げろ。王都の水面がどう揺れるかを見る」
「賢明ですわ」
「そしてもう一つ」
彼は一歩、私に近づく。
「俺を利用するなら、最後まで利用しろ。途中で情に流れるな」
心臓が一瞬、跳ねた。
「泣かない女は信用しないと言ったでしょう」
「泣くなとは言っていない」
低い声。
「迷うなと言っている」
焚き火の向こうで、マリアがこちらを不安げに見ている。
私はゆっくりと立ち上がった。
「では、最初の石を」
懐から、小さな封書を取り出す。
「これは?」
「北方伯と教会の裏取引の証拠。まだ確定ではありませんが、疑いを抱かせるには十分」
「これをどうする」
「あなたの配下に渡してください。王都の反教会派貴族へ匿名で届けさせる」
エヴァンは封書を受け取る。
「暴動が起きる可能性がある」
「承知しています」
「無関係な商人や市民が巻き込まれる」
わずかな間。
「……承知しています」
自分の声が、思ったよりも硬い。
彼はじっと私を見つめた。
「想定していたか」
「ええ」
嘘ではない。
計算の中に、民の混乱も含まれている。
王都が揺れれば、王家は動く。教会も動く。その隙間が、私の帰還の道になる。
だが代償は。
焚き火の火が小さく揺れる。
エヴァンは封書を懐に収めた。
「明朝、伝令を出す」
「ありがとうございます」
「礼を言うな」
彼は背を向ける。
「これは戦だ」
森の闇へと歩み去るその背を見送りながら、私は自分の掌を見る。
震えていない。
恐怖も、罪悪感も、今は薄い。
だが夜が深まれば、きっと思い出すだろう。王都の市場で笑っていた子供たちの顔を。王宮の庭で花を摘んでいた侍女たちの姿を。
それでも。
私は目を閉じる。
「……遅いのです」
選ばなかったのは、あちらだ。
私を切り捨てたのは、王都だ。
ならば私は、遠慮なく揺らす。
焚き火の火が、最後の薪を飲み込む。
火の粉が空へ舞い上がり、夜に消えた。
その小さな火種が、やがて王都全体を焼くことになるとは。
まだ、誰も知らない。
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