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第8話 パウンドケーキは前触れ

「できたわ」


 最後の仕上げに杏子をのせて、今出来上がったばかりのパウンドケーキを、スミレは眺めた。


「うん。我ながら良い出来」


 これならば、片桐も喜んでくれるだろう。


 背がずば抜けて高くないのだが、(本人にはまだ成長途中であると、不満そうな眼差しをされた)目に生気が戻ってきた片桐は、女子を思わず後ずさりさせる雰囲気がある。

 香蓮の会社の社員に武道を教えてもらっているのも、一役買っているだろう。

 そんな彼だが、お菓子を食べる時、目元がほんの少し緩む。

 特に美味しかった時など、見えない尻尾がパタパタしているのを見えた気がした。

 きっと甘いものが好きなのだと、スミレは確信している。


 今日も彼は東条院ビル7の3階にあるトレーニング室で、汗を流している。

 まだ体調が万全ではない為、アルバイトはもう少し先になるようである。

 ちなみに同じフロアには柔道場剣道場などもある。


「後一時間もすれば帰ってくるわね」


 今は土曜日午後2時を少し過ぎたところだ。

 今日は学校が休みだった為、スミレは久しぶりにお菓子作りに勤しんでいた。

 片桐は3時休憩にひとまず帰宅するだろう。

 その時に今出来上がった杏子のパウンドケーキを振る舞おう。

 もちろん、香蓮への差し入れも忘れてはならない。


「それにしても、彼の親はどうなっているのかしら」


 自分の親も大概なので、人の親をとやかくはいえない。


(でも)


 スミレは片桐の話を思い出して、顔をしかめた。


 同居するようになって、片桐の家庭の事情も少しずつ、見えてきた。

 片桐は小さい頃、早いうちに母親を亡くし、しばらくは父親と二人で暮らしてきた。

 が、やがて父親が再婚。その再婚相手の女性とは馬があわず、加え、弟が生まれたことで益々と片桐を構わなくなったらしい。

 それでもまだ小学校のうちは、食事は出してくれていたようだが、中学に入るとお金だけ渡されて、あとは殆ど何もしてくれなかったようだ。

 実の父親も気づいているのかいないのか、片桐を助けてくれることはなかったと、ぽつりぽつりとご飯を一緒に食べながら、片桐は話してくれた。

 それでも中学卒業までは、彼の親友とその家族が助けてくれたので、片桐は生き延びられたと話していた。

 ただ卒業式の日、親友と喧嘩別れをしてしまい、全く援助がなくなってしまったという事だった。

 親友との喧嘩の理由。これについては、彼は口をつぐんだ。

 スミレも無理に聞かなかった。


 人は食事がとれないと力がでない。でなければ、気力も涌かない。抵抗する力も失う。

 小さき黒きモノが、片桐に代わってSOSを出したのかもしれない。出せない彼に代わって。

 それは視える人にしか、視えない救命信号。

 それをキャッチしたのがスミレ。

 見過ごせなかった責は、最後まで取らなければならない。


「私だって、あの家から出れていなければどうなっていたか」


 自分を見て、怯える母親。気味が悪いと遠ざける兄。


 香蓮が自分を救い出してくれていなければ、自分は生きてはいなかったかもしれない。


 家庭は子供時代の世界の大半を占めている。

 そこから締め出される辛さを自分は誰よりも知っていた。


(二度と味わいたくない)


 スミレは下唇をきゅっと噛みしめた。


 と、そこへ来客を知らせるベルが鳴った。


「変ね。片桐くん鍵を忘れて行ったのかしら?」


 いつもなら渡している合い鍵を使い、ベルなど鳴らさずに、入って来る筈だ。

 それに帰宅時間にはまだ少し早い。

 スミレは頭を傾げると、玄関に向かう。


「あっ!」


 玄関に到着寸前、嫌な予感がして、瞬時にキッチンに引き返すと、目にもとまらぬ速さでラインを開いた。


(帰宅不可。指示あるまで、ジムで待機)


 そう打ち込むと、玄関にとって返し、扉を開ける。


 とそこには。


 二秒前の予感通りの人物たちがいて、飛び込んできた。


「姉さまああ!!」


 迷わずスミレの懐に抱きつく二人。

 スミレの弟妹双子の暁久(あきひさ)真理亜(まりあ)である。


(そうだった)


 スミレがケーキを作ると、なぜか必ずこの弟妹が現れるのだ。

 2人の情報網によるものかはたまた。


(私の予知か)


 確率80%以上。

 この前触れを忘れていた自分に、苦々しさを感じる。


永江(ながえ)、いるのでしょう?」


その呼びかけに答え、扉の死角から姿を現したのはスーツ姿の男。

少し長めの髪を後ろに流して柔和に微笑んでいる。東条院家の一人、永江。


「お久ぶりでございます、スミレ様。お元気そうで何よりでございます」

「挨拶はいいわ。いつも言っているでしょう。来る時は連絡を入れなさいと」

「はい。ですが、事前に連絡を入れますと、何かしらの理由をつけてスミレ様は会ってくださらないとお二人が嘆かれるので。いつも突然の訪問になってしまいます。スミレ様もお二人を泣かせるのは本意ではないでしょう?」


 この男はいつもこうだ。厭味ったらしいったらない。

 確かに事前連絡があった場合、悉く断るスミレである。

 その理由も知っているくせに、こうして涼しい顔をしてスミレを責める。

 主人に対する態度ではない。


(まあ、私はもう永江の主人ではないけど)


 この彼の様子から、片桐について香蓮は東条院本家に、父に、報告はしていないようだ。


(ならば)


 片桐が同居している事を知られてはならない。

 それはすなわち、この3人を絶対部屋に入れてはいけない。

 部屋に入れば、自分以外がここに住んでいる事が確実にばれる。


 そうなれば、最悪あの家に連れ戻されてかもしれない。

 ここにいられるのは、東条院の名に恥じる行為をしないのが大前提である。

 事情があるとはいえ、同い年の男子を家に置いているとわかれば、問答無用の措置を取られてしまう可能性大だ。

 片桐にスマホを持たせておいてよかったと胸をなでおろす。


(よし! 隠し通すわよ!)


 スミレは決意を固める。


「今日は本当に困るのよ。実は家の中を少し片づけているの。それで、かなり散らかっているのよ。とても上がってもらえないわ」

「それは申し訳ありませんでした。すぐにこの永江が処理を致しましょう」

「いえ! いいの! 私の好きなようにやりたいんだから。手伝いは不要よ」

「わかりました。お嬢様がそういうのなら」


 永江の切れ長の目が、僅かに細まる。

 この何もかも見通そうとする永江の目は苦手だ。

 小さい時、幾度も嘘を見破られている。

 今回はそうはならないよう、敢えて目を逸らさない。


「ええ。だから今日は上がってもらえないのよ」


 途端、それまで黙って話をきいていた暁久が、不満の声を上げた。


「えっ! じゃあ姉さまと、お茶はできないのですか?」

「できないの?」


 真理亜も泣きそうな顔をする。


「いいえ。今日は香蓮姉さまのリビングを借りましょう。二人とも永江と先に行っていてちょうだい。私は今できたばかりのパウンドケーキを持って後から行くから。できれば、お茶の用意をしておいてちょうだい。できるかしら?」

「お茶の用意! 僕、できるよ!」

「私も! 永江行きましょう!」


 2人はパッと顔を明るく輝かせ、永江の腕を掴み引っ張る。


「わかりました。ではスミレ様、先に行っております」

「ええ。すぐに行くわ」


 スミレは3人を送り出すと、静かに扉を閉めた。


「ふう。何とか誤魔化せたわね」


 だが、これから数時間は、忍耐の時間になるとスミレは知っていた。




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