第39話 印
帰れない。
「おい? どうした?」
男が顔を覗き込んでくる。
どうしたもこうしたもない。この男。自分がした事がわかってるのか。
勝手にこちらに連れて来て。帰り道を消すとは。
どうしてくれる。どうしてくれよう。
スミレは、怒りを込め、男を睨んだ。
「な、なんだよ。何そんなに怒ってんだ?」
わかってない。わかってないのか。
あまりの怒りのためか、息苦しい。呼吸ができない。
(本当に息ができない!?)
はくっとスミレは口を開閉する。
手まで震える。
視界が揺れる。
(息が‥‥!)
目が霞む。
深呼吸しようとするが、でるのは短い自分の息。
空気が自分を押しつぶそうとしているようだ。
人は怒りすぎると、呼吸困難になるのか。
「おい!どうした?おい!」
(あなたのせいだから‥‥‥!)
その思考を最後に、スミレの意識は途切れた。
誰かに。呼ばれた。
(誰? 誰なの?)
わからない。
スミレを呼ぶ声は、ただ必死で。悲痛で。聞いていられないくらいで。
膝をつき、天を仰ぐ瞳からは、とめどなく流れ出る涙。
スミレを呼び続ける。
ああ。どうか泣かないでほしい。
私はここにいるから。
(ん‥‥)
スミレはゆっくりと目を開けた。
かなり長い時間、寝てしまったのだろうか。
頭がひどく痛い。身体を動かすのもひどく億劫だ。自然、眉間に皺を寄せてしまう。
こうも寝覚めが悪いのは、久しぶりである。
このところ、学校に深遠館に忙しくしていたので、眠りも深かった。
筋肉痛はあったものの、目覚めはよかった。
異常に身体が重い。
それを押してゆっくりと起き上がる。
途端、起こる眩暈。
それをおさえるように片手を顔に当て目を閉じる。
しばらくしてからそっと目を開くと、今度は視界が揺れなかった。
「ここは?」
八畳ほどの和室。その中央に引かれた布団にスミレは寝ていた。
見知らぬ部屋。
服も制服から白地に青い小さな花の模様がある浴衣に替わっている。
自分はどうしたのだろうか。
確か自分は。
「あー!! おねえちゃん、目を覚ましてるぅ」
そこまで考えたところで、元気な子供の声がスミレの思考を止めた。
声の先をみると、着物を来た小さな男の子が開いた襖からこちらにむかって駆け出してきた。
布団のわきに座り込む。どんぐり色の髪と瞳。4、5歳位だろうか。
「おねえちゃん、おはよう」
そしてニッコリ。
「ええ。おはよう」
つられてスミレも笑う。
「おねえちゃん、ずーっと寝てたからね。みんな心配してたんだよ」
「そう。ごめんね。心配かけて」
「ううん。いいの。よかった、起きて」
「うん。あのね」
「あー! 忘れてた! おねえちゃん、起きたら、すぐ知らせてって言われてたんだ! 僕、行かなきゃ!」
「あ」
「またね! おねえちゃん!」
男の子は言うだけ言うと止める間もなく去って行ってしまった。
スミレは引き留めるために挙げた手を、力なく下ろした。
まあいい。
あの子は、誰か呼びに行ったようだから待っていよう。
一息つくと、起きる前のことに思いをはせる。
自分はどうしたのだろうか。
確か。自分は貴船に呼ばれて。
それから。
スミレは次の瞬間、すべてを思い出した。
そうだ。ここでゆっくり寝ている場合じゃない。
(帰らなきゃ)
布団をよけて、立ち上がろうとした。が、足に力が入らない。
足ばかりでない。身体にも力が入らない。
震える体に愕然とする。
(なぜ?)
自分の体はどうなっているのか。
「ああ、これこれ、無理しちゃいかんよ。まだ寝てなさい」
と、そこへ白髪を後ろでちょこんと結んだ作務衣姿の老人が部屋に入ってきた。
その後ろには先ほどの子供いる。
スミレは老人に布団に戻されると礼を言いつつ、尋ねた。
「あのここは? 私、どうなったんですか?」
「落ち着きなさい。ゆっくり話してあげるから。気分はどうだの?」
「気分は悪くないです。ただ、頭も体も重くて。立ち上がるのもできなかったんです。私、どうしたのでしょうか」
「うむ。大丈夫じゃ。それは当然の状態だからの。気分は悪くないんじゃな。息苦しいとか、息ができないなどはないんじゃな」
「はい。それはないです」
「うむ。ちょっと失礼するよ」
老人はそういうとスミレの前髪を搔きあげてじっと額を見つめている。
「おお。二つじゃ」
「本当だ~。二つだ~」
老人の後ろで子供もはしゃぐ。
「あの?」
何が二つなのか。
「ああ。すまんの。印が現れている。大丈夫そうじゃな。まあ寝られていたから大丈夫かとは思ったがの。目覚めてみないと印は現れんのだよ」
一生懸命説明してくれているが、内容がわからない。
「あの。印ってなんですか」
「ああ。こちらの世界に馴染んだ印と言ったらよいかの。あちらとこちらの世界の空気が違うんじゃ。こちらの空気は清澄で濃密でな。あちら側の人間は、通常は、窒息して死んでしまうんじゃ」
「なっ!」
「だから、レンドルフ様が貴女を抱いてきた時にはびっくりしたんじゃ。全く、無茶をなさる」
スミレを助けたのは、一か八かの賭けだったのか。
(あの紅茶色の髪の男。今度会ったらただじゃおかない。どうしてくれよう)
心にしっかり刻んだスミレは、ふうっと怒りを逃した。
「私、一日で二度死にかけたんですね」
一度は塔の中で。二度目はこちらの世界へ連れて来られたせいで。
それに何やら額に印とやらまで出ているらしい。
キャパオーバーである。
自分はどこまで行ってしまうのか。
(もう! 何が出て来ても驚かないから!)
スミレは無理やり痛む身体を起こし、老人と向き合った。
「あの。私はスミレ、東条院スミレと申します。この度はお世話をかけて、申し訳ございません」
「わしはオム。こちらは孫のチムじゃ。何、わしらは大したことはしてないよ。身体ももう少ししたら、魂と一緒でこちらに馴染むだろうて」
「はい。それで先ほどの質問なんですが、ここはどこでしょう?」
「ここはお前さんが倒れた建物のすぐ隣にあるわしらが住む家じゃ。ミルナーレの館と呼ばれておる。わしら、異界への扉の守り人の住まいじゃ」
「ここは、私の住む世界ではないんですね」
彼ら2人、日本人よりも彫が深い。先ほどの男に至っては日本人には到底見えなかった。
スミレの呟きは、もはや確認と諦めに近い。
「ああ。そうだの」
わかっていたが、がっくりである。
スミレは気を取り直して質問を続ける。
「先程、私の額を見て、二つあるとおっしゃってましたが、それは?」
「ああ。こちら側で生きられる印じゃ。こちら側の大気に受け入れられると額に印がでる。大きゅうなってから、印がでるのはまれじゃ」
それは、どういうことだろうか。
こわくて突っ込めない。
「ほれ、見てみなされ」
オムは自らの前髪をかき上げ、スミレに額を見せた。
滴を逆さまにしたような形のあざがあった。臙脂に似た赤。二つ。
「それが、私にも?」
「色が違うがの。それに、二つある。二つでるのは、珍しい」
「そうなんですか? でも、オムさんの額にも二つありますよね?」
「ああ、それはわしは、ここの守り人だからの」
にっこり笑う老人はそれ以上説明はいらないだろうと暗に匂わせる。
これ以上突っ込んでいいものか迷っていたスミレに更にオムは追い打ちをかける。
「それに」
老人はスミレの額をじっとみる。
「まだ増えそうだ」
「ええ!?」
「ふおふお! わしの勘じゃがの」
「あの! この印の数にはどういった意味があるのですか?」
迷っている場合ではなかった。これは聞いておかねばならない。
「一つは普通の人間、二つから何かしらの力がある人間じゃ。スミレさんには、何か人とは違った特技があるんじゃないかな?」
「ああ、ええっと」
「ああ、言わなくても構わんよ。だからかのう。スミレさんはこちらに馴染めたのかもしれんのう」
だとすると、この老人も何らかの能力を持っているという事か。
なんだか本当に異世界に来てしまったと実感する。
「これ以上は、わしからは説明できん。明日、国の偉いお人がここに来るからの。今後の事は、そのお人に聞いておくれ。今日のところはこのまま身体を休めたほうがよい。身体が回復せん事には、何もできんからの」
確かに。私は帰れるのか。それにはどうしたらよいのか。聞きたい事はたくさんあるが、座るのもやっとなこの状態では相手と交渉することもできない。
「寝る前にこれを飲みなさい」
渡されたのは、暖かい飲み物が入った湯呑。
「身体を回復させる薬じゃ。少し飲みにくいが我慢して飲むんじゃ」
「はい」
促されるまま、ちびりと口に含んだ途端、広がる渋み。
思わず顔が歪む。
しかし回復第一と、スミレは一気に飲み込んだ。
身体が拒否反応を起こしたようにぞわぞわと小さく震えた。
「ほれ、水じゃ。えらいぞ。これで明日は大分楽になってるじゃろうて。そら、寝た寝た」
「ありがとうございます」
スミレは促されるままに、身体を横たえた。
(聞きたい事、知りたい事沢山あるが、それはすべて明日)
そう自分に言い聞かせ、スミレは無理やり目を閉じた。
スミレ怒ってるからか、パニックにはなってません。怒りも行動のエネルギーですね。




